映画『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』が素晴らしかったので、大ヒットして松竹の黒字が増えてほしい話

お年寄りから子供まで、とは言わない。昨日30日に公開された『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』の話である。前作『閃光のハサウェイ』の時から「こんなバリバリの政治ドラマをアニメ映画でやるなんてすごいな」と思っていたのだが、今作はそれをはるかに超える出来であった。政治的に激しく分断された世界、えげつないまでの貧富の差、テロと弾圧の中で揺れ動くまだ未熟な自我を抱えた若者たち。
誰が見ても思う通り、原作小説の核には富野由悠季の青春時代の追憶があるのだろう。学生運動が激しかった時代に傷つきやすい自我を抱えて成長した彼の作品には、いつも社会変革とそれに対する疑いの間で揺れ動く青年を描いてきた。小説三部作として書かれた『閃光のハサウェイ』原作小説は、映像化などまったく念頭にない、政治と青春と恋愛の物語として書かれている。
これは本来的には映像にまったく向かないはずの物語なのだ。ハリウッドだろうが邦画だろうが、この小説を映画にしましょう、とは誰も思いもしないはずである。世界で唯一、まったく独自の資本背景を持ち、作りたいものを作りたいとハンコを押すことのできる企業、バンダイナムコとサンライズだけが「この富野由悠季の小説を映画にしましょう、それも三部作で」と決定することができる。そして彼らはそれをやったのである。

モビルスーツの(あまり)出てこないガンダム映画、というと、レイバーの出てこないパトレイバー、押井守のパトレイバー映画を思い出す人も多いだろう。だが『ハサウェイ キルケーの魔女』はあれ以上にセリフと議論の多い会話劇になっている。

で。

こう書くとあんまり面白くなさそうじゃないですか。真面目な内容で議論ばっかりして、エンタメとしてはいまいちなんでしょ?と思うのが当然である。ところが、『キルケーの魔女』はめちゃくちゃ面白いのである。劇中で交わされる政治論や人生論、あの「トミノ節」と呼ばれる含蓄だらけの言い回しに半分くらいしかついていけなくても、なぜか映画としてぐいぐい引っ張られてしまう。

そんなことがありうるのか?と思うかもしれない。僕も実際に『キルケーの魔女』を公開日に見ていなければ半信半疑だったと思う。でも実際そうなのである。めちゃくちゃ面白い。この内容がなんで面白いのか、自分でもよくわからないので整理するためにこの記事を書いているといっても過言ではない。

この映画のエンターテインメント性を担保しているもののひとつはキャラクターたちの魅力だろう。その筆頭が「キルケーの魔女」のタイトルにもなっているギギ・アンダルシアである。富裕層や政府高官の間を渡り歩く、若く美しい愛人稼業の美女。ブルジョアの象徴のような社会的位置、ハサウェイの政治信念からもっとも遠いところに立ちながら、なぜかハサウェイに関心を示すこの「魔女」が物語に強烈な求心力を生んでいる。

重要なのはこのギギ・アンダルシアの美しさ、性的魅力が単なる物語のアイキャッチではなく、むしろ富野由悠季がこの物語で語ろうとしているものの本質にかかわっているということである。政治と性、というのは大江健三郎の「セブンティーン」からずっと続くテーマなのだが、ハサウェイは大江健三郎が右翼の少年として描いた主人公を左翼の青年として描きなおしたようなところがある。肉欲をこえる、と言いながらギギにひかれてしまうハサウェイの青春の悩みが、政治劇、革命劇の中心にある。

また、アニメーションスタッフたちの技量もこの映画を退屈なものにしていない大きな要素だ。男も女も、人間をキャラではなく人間らしく描く。言うのは簡単だが、スクリーンに実現するのは恐ろしいほどの技量がいる。それを『キルケーの魔女』のスタッフはみごとに達成している。

こんなアニメ映画を作れる国は今、地球上に日本しかない。ほかの国の技術や才能をあなどるわけじゃない。『ズートピア2』も素晴らしかったし、中国アニメ『羅小黒戦記2』はアニメーションの未来から来たように洗練されている。でも『キルケーの魔女』みたいな映画は世界中を見回してもどこにもないし、そもそも作ろうとすら思わないだろう。バンダイナムコとサンライズだけが、億単位の金を投じてこの富野由悠季の小説を原作に劇場アニメ映画を作ろう、と決断できるのだ。

『キルケーの魔女』は、驚くべきことに、前作を上回る勢いでヒットしている。あの会話劇にもかかわらずである。このペースでいけば30億を超えるという予測もある。30億というのは300万~400万人の観客が動員されるわけで、この内容のアニメ映画を数百万人が見る国、というのは世界に類を見ない市場である。

日本凄いと言いたいわけじゃない。人気漫画原作でない、単発、あるいはオリジナルのアニメ映画はことごとく苦戦している。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』も、ゲーム的なリプレイと恋愛のコミュニケーション技術を重ねた素晴らしいアニメ作品だったのにそれに見合う客が入っていない。でも『キルケーの魔女』みたいな作品をヒットさせるシステムを、ガンダムという歴史の中でサンライズとバンダイナムコは獲得したのだ。

これが松竹作品であることも重要である。近年の100億ヒット作はことごとく東宝だ。『ジークアクス』まで東宝にもっていかれてしまった。そもそも東宝でなければスーパーヒットできない構造だという声も多い。でも近年の松竹は『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』が30億、『ガンダムSEEDフリーダム』が53億、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』が45億と気を吐いている。『キルケーの魔女』が大ヒットして、松竹とバンダイナムコとサンライズに金が入れば、また世界のどこにもない映画を見せてくれるかもしれない。

ここから先は

826字
絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

七草日記

¥500 / 月

絵やマンガなどの創作物、WEB記事やTwitterに書ききれなかったこと。あとは映画やいろいろな作品について、ネタバレを含むのでTwitt…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?