しろ、その愛。
今日は、愛犬しろの四十九日。
ライオンズゲートもまだ開いてるから、きっと明るく照らされて極楽浄土へ着けるはず。
最後は尿毒症になってしまい、苦しみを最期には手放して逝った、しろ。
7週間=四十九日が経って、今思うこと─
しろが亡くなった当初は、「あの時、ああしていたらどうだっただろう…?」「もし、こうしていれば…?」と、いわゆるたらればを反芻しては胸が潰れ、
「ここにいない」という時間も空間も空虚すぎて、涙を流す日々だった。
この「たられば」から抜け出せたのは、チャネラーさんを通じて、しろの想いや今の様子を知ることができたからだ。(「ココナラ」アプリを利用しました)
そうして、毎日はするべきタスクをこなしながら過ぎ、お盆休みが始まるタイミングで迎えた四十九日。
しろがいなくなった「寂しさ」は、しろと過ごしたりしろのために使っていた時間がぽっかり空いて、しろがいた家中あちこちのベッドやクッションが空っぽだから。
しろがいなくなった「哀しみ」は、一番大切で大事で最優先だった存在が、失くなったから。
元気だった頃の愛らしさは言わずもがな、病気がちになってからは何をさしおいてもしろの苦痛を和らげて、出来得る限りしろのペースで過ごすことが第一義だった。
しろは、自分より大切な存在だった。
そしてそれと同時に、自分を一番頼って愛してくれた存在が失くなったから哀しいのだ、とも最近気づいた。
しろが生きている間は、自分が与えている愛しか見えてなかったけど、亡くなった今、しろが私に与えてくれていた愛を、こんなにも感じている。
父を亡くした後にも感じたことだけど、亡くしてから受けとる感情の、なんと大きくて深いことか。
亡くしてなお、今も、毎日、愛をありがとう。そんな気持ちで満ちている。
#ペットロス #四十九日 #ありがとう
