メメント・モリ日記(12月9日)
ヤキが回った中年は風邪がなかなか治らない。
先週ひき始めた風邪が、今週末になっても完治することなく、特に夜中にオオカミの咆哮の如き咳が止まらず、その咳というのが、自分では全くコントロール不可のとんでもなく腹筋を使うタイプの咳であるので、朝起きると、どっと疲れている。
年を取ると、本当に碌なことがない。
夜中じゅう咳という名の咆哮をあげていたせいで疲れているので、朝の子どもへの声掛けも余裕がない。「なんでハンカチをもってないのだ!」「あんた水筒は?」「パンを床に置くな」など、体調の良い時なら笑ってすますようなことで子どもを叱り、あげく親子喧嘩を頻発させている今週であることよ。
しかしそんな今週、ひとつとても大切なことがあった。
それは昨日一番末の娘が、7歳から8歳へとメタモルフォーゼを遂げたこと。
人間は1年、季節がぐるりと廻ればそのまま年をとるのだからそれはあたりまえの、自然の理、というものなのだけれど、この娘は生まれつきにひと病持って生まれた難儀な人生を歩いているその最中であるため、今年も無事にお誕生日が迎えられたという事実は、この人に関わる全ての人々のいる方角を
「皆様の御守りのもと、無事にひとつ年をとる事ができました」
など、十字を切って後、伏し拝みたくなるもの。
特に生まれて8年ともなると、関わってくださる場所も職種もその人数も幼児の頃よりもぐんと増え、そして多岐にわたるもので、親はそろそろどこに足を向けて寝たらいいものか、ちょっと分からなくなってきている。
そんな8年。
そして今年、娘の誕生日の翌日である本日は大学病院の受診日であり、それは先月の受診日「次、いつにするー?」と、ごくフランクに予約入力画面を見ながらわたしと娘に話しかける主治医に向って、大変珍しく娘自らが「この日にしたい」と申し出たものだった。
「お誕生日の翌日を受診日にしておけば、先生に『あたし昨日8歳になったよ』と言えるから」
と本人が思ったかは知らないけれど、ともかく誕生日の翌日である本日、いつものように大学病院を受診、まず初手でいつもの血液検査があり、処置室で看護師さんに、
「あたし昨日お誕生日!」
という自らのバーステイのアピールをした後、採血の結果を待って、診察。
そのはずがこの日は、なんだかずいぶん待たされた。
大体は1時間程で小児科の処置室で採血した3本分のスピッツの成分表が、中央採血室から主治医のPCというか電子カルテ?に届き、そこで初めて呼び出し機のブザーが鳴るのだけれど、この日は1時間を過ぎても1時間半を過ぎても呼ばれない。
まちぼうけ。
「先生、いてないんかなー?病棟?」
「先生は今、病棟にあんま用はないんちゃうかなー?」
「ほな寝てるんかなー」
「寝てへんとは思うけどなー」
先生のいる診察室の前で、一体先生は中でなにをしてはるのでしょうかクイズに興じること30分。先生の診察室の扉がからりと開いて中から出て来たのは、娘が出生したその瞬間からNICUを出る日まで主治医であった、新生児科のドクターで、どうやら週に1回だけやってくる娘の現・主治医と中で話し込んでいたらしい。
こういうことは、割とある。ついこの前も、病棟の小児循環器医と話し込んでいて、なかなか診察の順番が回ってこなかった。これはまあ仕方ない、皆元直属の上司である人とは、色々と相談がしたいものだもの。
さてこの時、扉から出て来たドクター、普段赤ちゃんの城であるところのNICUで、心臓やら肺やらに問題を抱えている赤ちゃんを見守り続けている新生児科医は、娘のことをよく覚えていてくださっていて、わたしも病院で先生をお見掛けすると、いつも会釈をする。先生は大変にシャイというか寡黙な方なので、お話はしない、いつも軽く会釈をして、あとはにこにこするだけ。
「あっこんにちは」
「……(にこにこ)」
「娘ちゃん、ほらM先生やで」
「……(にこにこ)」
大体こんな感じ。
青いスクラブの新生児科医は、本当に言葉数の少ない方で、かつて娘がNICUの患児であり、わたしがその母だった頃は、IC(インフォームドコンセント)の時にも静かにぽつぽつ話をされて、突然ふっと立ち上がり、「…えっ?今ので説明終わりですか」のようなことが何度もあったのだけれど、それでも毎度娘を見る視線が大変に優しかったことと、娘の疾患が心臓の複雑怪奇な奇形であったので、当時はほぼ毎日心エコーを取っていたのだけれど、その当時から癇癪持ちというか気難しい所のあった娘が
「なにぃ?エコーだとう?ことわる!」
と言わんばかりにぎゃんぎゃん泣いてじたばた暴れるのを、ちょっと困った顏でプローブを片手に持ったまま、泣き止むのを静かに待って、もしくはあやしていてくれたのを見るにつけ、
(……新生児科医とは、ほんとうに赤ちゃんが好きなのだなあ)
としみじみ思っていた。
その当時赤ちゃんであり、掌に乗る程小さかった人類が、こうしてあの赤ちゃんの城を出た後、毎年毎年大きくなって、もはや赤ちゃんだったことなんですっかり忘れたような顔をして、長く伸ばした髪をポニーテールにしている姿を、親以外でこんなに嬉しそうに眺めてくれるひともなかなかいないだろうなあと思うと、親としては大変にありがたいことだなと思う。
そして、何度も死線を潜ってきた子どもが、医療デバイスを提げていようがとにかく大きくなって未来を生きてゆく様を見るというのは、疾患児の最初の砦になってくれるかの人々には、きっと特別であり格別なことなのだろうなあとも思う。
そんなことでわたしは、7歳あらため8歳が、病院でその新生児科医M先生を見かけて、そして親のわたしが会釈をするたびに
「あの先生が、8歳が生まれた日、朝の7時に分娩室からNICUまで8歳を運んでくれた先生やで、あんたが生まれるのを多分夜中じゅうずーっと待っててくれはったんやで、あんたの最初の主治医なんやで」
と言うようにしている。
そうなんだよ、あなたはああいう人たちのおかげで、今日までこうして生きているのだよ。
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