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はざまの子ども

いかないで、夏。

とは、人生でもう二度と口走らないと思う。

暑くて長い夏休みが、ようやく終る。

夏はただ書いていた。あとは3人の子ども達のご飯を作って、ご飯を作って、ご飯を作っていた。そんな夏。

上の2人、高校生と中学生はそれぞれ3年生で、今年は大学受験と高校受験。夏休み前半は部活が忙しく、後半は夏休み講習に忙殺されて、それなのに2人は朝起きる時間も、家を出る時間も、食事の時間もそれぞれ違う。

中学入試や小学校の「お受験」と違って、親がやいやい言う必要は然程ないのだけれど、同じ家に暮らす2人が全然違うタイムスケジュールで動かれると割と大変だ。売れっ子タレントを2人抱えたマネージャー業務は、もしかしたらこういう感じかしらん。

マネージャー(親)の主な仕事は、時間通り現場(塾)にタレント(子)を送り届けること。しかもこのタレント、2人とも夜更かしがすごくて、朝なかなか起きてこない。

「起きろ!」と百万回怒鳴った夏であることよ。

そのはざまで、末っ子の小学生の娘は、最初のうち「夏休みは、充実した生活を送らせなくては、できるだけよい経験を!」と思い詰めたわたしに外に連れ出されていたものの、ちょっと親の方が張り切りすぎて、ばてた。

ただばてるだけなら、家でしばらく休ませるのだけでいいのかもしれないけれど、この小学生は先天性心疾患児なので、弱ると色々下がって様々落ちる。

今回下がったのは脈拍。酸素飽和度は然程下がらなかったのにものすごい徐脈になり、心拍数は60。成人ならば正常値のぎりぎりで、小児だと完全アウト。

「し、死ぬのけ?」と慄いたわたしが、あわてて相談した医療機関での見立てはこうだった。

「要は、夏バテですね」

お願いだから、夏バテで死にかけないで。

そんな訳で夏の後半は、平日ほとんど家にいて、わたしはお仕事あなたはお絵描き。土日だけは夫が車を出してくれるので、近場に出かけたりはしたけれど、上の2人を終日放っておくこともできないし(起きないから)、結局あまり何をしたわけでもない夏は、8月末の夏休み明け

「クラスの子がみんな沖縄に行っていたのに、あたしはさぁ……」

という恨みがましい視線を小学生に送られるという結果を生んだ。

しかしうちの子のように在宅酸素療法をしている人が飛行機に乗るには、診断書とか航空会社への相談とか煩雑な手続きがいる、それって結構大変なのですが。

わたしはその手の事務作業が大層苦手なのだ。とは言え35人学級の全員がみんな沖縄に旅行している訳はないと思う。せいぜい3、4家庭くらいやろ。

それともうちの子のクラスの親御さんは、みんなそんなに沖縄が好きなのだろうか。実は実家が沖縄の人が半分くらいいるとか?

そんな夏の終わり。

24時間某テレビで、難病児で医療的ケア児のお母さんであるというタレントさんが、恒例の24時間マラソンを走るというので、「この暑いのにねえ…」と思って、ニュースの合間に見ていたら、その人の発したひとことが切り取られて外に流れて、SNSでぼこぼこにされていた。

うちの小学生は、その彼女のお嬢さんとカテゴリー的に、少しだけ似ている。

医療的ケア児で、病気自体は全く違うけれど難病児で、知的には大きな問題を今のところ抱えておらず(しかし創作漢字を作りがちではある)、地域の公立学校に入学し、特別支援学級に在籍している。

同じような状況の医療的ケア児は学校にひとりもいない。でもそれは特別支援学校に行くことにしても同じことだった。どちらに行くにしても帯に短したすきに長し、最大多数の最大幸福に取り残された、はざまの子ども。

ただ前述の、あのお嬢さんと違うのは、我が家が大阪にあるとうこと。

大阪の特別支援学級の運営方法はその多くが原学級方式。

なので、うちの小学生は、地域の小学校の特別支援学級に在籍しているけれど、それと同時に3年1組の児童でもある。

普段、主に算数と国語を特別支援学級で受講し、それ以外の時間はすべて普通級で同じクラスのお友達と過ごす。校外学習だって運動会だって3年1組の児童として参加するし、給食も掃除も、できることはすべてやるというのが、この方式のやり方。交流級という考え方がない。

でもこれ、最初はすごく戸惑った。というか原学級方式という言葉自体知らずに入学して、「大阪なら、原学級方式ですね」とXの中にいる親切な方に教えてもらった。

24時間の在宅酸素療法が必要で、登下校には電動車椅子を使うものの、自力歩行は可能、読み書きが出来て、食事に介助は不要。しかし医療機器の取り扱いが自力ではできなくて、体力がなく、酸素飽和度の低さからチアノーゼと、心不全の心配を常に抱えているという小学生は、公立小学校の中に紛れると、遠目には普通の子ども。

そのため、健康なキッズの鬼ごっこに放り込むのは、ちょっとやめてほしいとか、寒空の下に出すとたちまち顔面蒼白なりますとか、走るとチアノーゼを起こしますとか、教室移動の時、皆が難なく登っているたった3段の階段を、酸素を持って一人で登る事は出来ないんですとか、そういうことは、逐一言わなければ、学校側には分かってもらえない。

そもそも医療的ケア児自体がめずらしい存在で、となればそんな子どもを学校で預かったことのある先生もまた稀。個別の疾患と医療機器を使う子ども達の指導について、ガイドラインらしいガイドラインもない。

学校看護師を配置してもらうのも、粘り腰の交渉が必要だった。運動会とか校外学習には付き添いがいるし、事前の相談も要。

毎日が大忙しの(本当に気の毒なくらい忙しそう)現場の先生は何も悪くないのだけれど、親はとても疲れる。

出産時「放置すればたちまち天国です」と言われた乳児を這う這うの体で生かして、幼児期は「これまでに前例がありません」と言われながらも平身低頭お願いをして幼稚園に入園させ、やっと迎えた学童期、ぴかぴかのランドセルを背負わせてさあ入学式、と思ったところでそこは、ひとつも均されていない、岩だらけの荒野だった。

疲れる。

そもそも、難病児や障害児や医療的ケア児の親は、散々悩み抜いて最適解であろう進学先を捻り出し、学校側と折衝を重ねてやっと入学した小学1年生の春、みんなくたくたに疲れている。

4月の始め、地域の公立校の当別支援学級に我が子を入れた親御さんも、特別支援学校への入学を決めた親御さんも、みんな死んだ魚みたいな目をしている、と思う。入学してみて初めて分かる問題が毎日いくつもいくつも湧いてくるものだから。

そして、医療的ケアのある子は、その後も親の付き添い登校が続く場合がほとんど。すると親は段々と心配になる。

「義務教育が、こんな岩場だらけのけもの道なら、この先は一体どうなるの」

自分が老いて死んだ後、未来を生きながらえた子どもは、どうやって生きていくのだろう。

社会保障は先細りしてゆく予感しかしないし、世の中は時折ほんのり、そして時折あからさまに障害のある人々に冷たい。うちの子の身体は年を追うごとに良くなるどころか、手術をして「とりあえず」作り上げた肺循環がいつか壊れてゆく運命にある。

親の目の黒いうちに、社会性を身につけさせて、学力をつけさせて、職業訓練もして、時間が経てば手漕ぎの小さなボートで大海原に放り出される運命にある我が子に、出来得る限りの準備をさせなければ。仕事らしい仕事が無理そうなら、親の方が一生懸命働いて、お金をできるだけ残してあげたい。

わたしは、子どもが小学校に入学した当初から、とても焦っていた。

多分、今も。

だから、彼女がどうしてあんな風に言ったのか、どうしてあんな風に率直な言い方になってしまったのか、それがいいとか悪いとかではなくて、わたしはちょっとだけ分かるのだ。

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きなこ(黒田季菜子) サポートありがとうございます。頂いたサポートは創作のために使わせていただいております。とっても助かります。