いちょうの実
「わたしこまってしまうわ、おっかさんにもらった新しい外套が見えないんですもの。」
「はやくおさがしなさいよ。どのえだにおいたの。」
「わすれてしまったわ。」
「こまったわね。これからひじょうに寒いんでしょう。どうしても見つけないといけなくってよ。」
中略
「こまったわ、わたし、どうしてもないわ。ほんとうにわたしどうしましょう。」
「わたしとふたりでいきましょうよ。わたしのをときどきかしてあげるわ。こごえたらいっしょに死にましょうよ。」
東の空が白くもえ、ユラリユラリとゆれはじめました。おっかさんの木はまるで死んだようになってじっと立っています。
これは、宮沢賢治の『いちょうの実』という童話。
秋、いよいよ旅立つ日の明け方、水筒にお水を詰めたり、貰ったばかりのハッカ水をちょっとだけ隣のきょうだいに披露してみたり、かと思えばぶどうパンを持っているから分けてあげようと話している、銀杏の木の上の黄金色の子ども達のお話。
皆、おっかさんの木を離れて遠くへいくことが不安で怖くて、そしてほんの少しわくわくしていているところ。宮沢賢治が書く、小さな人ならぬものと人の子どもは可愛い、わたしが一番好きなのは、外套を亡くしてしまった子と、傍らのもうひとりの子の会話のところ。
「わたしとふたりでいきましょうよ。わたしのをときどきかしてあげるわ。こごえたらいっしょに死にましょうよ」
さて、この銀杏の子達にとって「死」というのはどれくらいリアルなものなのかしらん。
ついこの間までこの世のものではなかった生き物に、死生観なんてものはその言葉の意味すらよく分からないだろう。でも、それだけに長くこの世で生きてきた大人より、然程死を恐れず、潔く穏やかに死んでいくものかもしれない。
小学校に上がる前後に亡くなったお友達を何人か知っているけれど、皆本当によく生きて、よく死んでいった。透明なくらい美しい生きざま。でも、もう少し長生きしてほしかった。
ちいさな子の死は、それがうんと遠くにあるものだと思っていただけに、唐突でただ哀しい。
つい最近、心臓のオペ後に亡くなった女の子の親御さんが、長野県の病院機構を相手取って裁判を起こした。女の子が亡くなったのは2020年。裁判の第一回口頭弁論はつい先日の4月17日。両親の代理人は、病院側に手術中の注意義務違反があったとして、およそ8400万円の損害賠償を求めた。
この女の子は2020年時点で1歳、ということは2019年か2018年生まれ。この子と同じように、先天性の心臓疾患を持って生まれているわたしの娘のひとつか、ふたつ下。
わたしの娘は現在8歳。生後4ヶ月と、1歳5ヶ月と、そして3歳2ヶ月の、3度に分けてフォンタン手術を受けた。フォンタン手術とは、一心室の機能つしか持たない先天性心疾患に対して実施される、静脈血を直接肺動脈へ流す循環を作る手術のこと。
対してこの女の子が一体何の術式のオペを受けたのか、明確な記述は見つけられなかった。わたしが知り得る範囲でおおよそ1歳くらいの年齢で受ける小児の心臓オペというと、グレンか、ジャテーンか、心内修復か。ともかく、どれをとってもひとつも簡単なものではないはずだ。
そもそも簡単な小児の心臓のオペというものは、この世にひとつも存在しない。
そして腕の悪い小児心臓血管外科医というものも、この世にはひとりも存在しない。
更には、1歳前後の最重度だとか重症の心臓疾患児を抱えた親というのは、だいたい狂っている。
妊娠中もしくは出産後まもなく発覚した先天性疾患、不安だらけの分娩もしくは帝王切開、産褥期など関係なく始まるNICU日参、毎日おきる小さなもしくは大きなアクシデント、初めての小児病棟付き添い入院、十時間前後の外科手術、術後のICU管理、そしてまたやってくる病棟付き添いの日々、退院後の自宅生活は薄氷の上、救急外来への受診は日常茶飯事。
娘が1歳の頃のわたしは、結構狂っていた。
生後4ヶ月の娘を連れて退院した後、娘は当時経管栄養で、何をしていてもすぐに吐くし、泣いてばかりいるし、泣くとチアノーゼをおこして途端に顔色が悪くなる、酸素飽和度は70から75%。シロウトが自宅で育てるには、かなり辛い赤ちゃんだった。
当時はこの子の兄である上の子が小学4年生で、姉である真ん中の子が1年生だったけれど、その時の2人がどんな生活をしていたのか、わたしにはほぼ記憶がない。申し訳ないけれど赤黒い肌の赤ん坊の顏ばかり見ていたのだ。
2人とも毎日学校に行ってはいたと思う。学校行事もあったはず。遠足とか、運動会とか、発表会、それぞれの写真はちゃんと今わたしの手元にある。けれど、大きな地震があって、1年生だった娘がとても怖がっていたこと以外、本当に記憶がない。
赤ん坊の娘が1歳を過ぎた頃、わたしはじきに眠れなくなって、食べられなくなって、病院のお世話になった。適応障害と言われた。
2度目の手術のために入院したのは、一番自分がおかしくなっていた1歳5ヶ月の時。あの時、もし手術中にアクシデント(先生はイベントと言っていた気がする)が起きて、ICUの中での試行錯誤の後、娘が遠く彼岸の向こうに渡ってしまっていたら、今、わたしはどうしているのだろうか。
実際、娘は3歳2ヶ月の3度目の手術の時、術中に色んなことが起きて、結果術後ICUで死にかけた。その後も麻痺が残るかもしれないと言われたし、今も酸素は手放せない、けれどそれを
「あの時相当危なかったんだなあ、死ぬところだったんだなあ」
そのように理解したのは、娘が退院して、幼稚園に通い始めて、それからもっと時間が経ったずっと後のことだ。当時渦中にいるわたしには、娘の心臓に一体何が起きているのか、ひとつも分かっていなかった。毎日、小児心臓血管外科の先生が懇切丁寧に現状を説明してくれていたのに(先生はいつ行っても必ずICUにいた)、なんでだかひとつも理解ができていなかった。
当時のわたしは、その時々に記憶していた範囲のことをすべて自分の手で記録していた。それなのに娘の「死」がもうすぐそこにあるんだぞ、看取りになるかもしれないんだぞ、という事実をわたしは本当に一切、理解していなかったのだ。
理解したくなかったのかもしれない。
仮にあの時娘が死んでいたら、今わたしはどうしているだろう。「何故あんなことになったんだろう」という、自力では一生答えの出ない問いを抱えたまま生きているかもしれない。あとは「どうしてうちの子なの」という怒りと。
小児心臓血管外科医がどんなに優秀な人々であるのかを、わたしは勿論知っているし、先生方がどれ程自分の時間と技術のすべてを子ども達に捧げてくれているのかを、患児の親のひとりとして、とてもよく知っている。
娘が1歳の時に受けたオペの3日目、わたしが娘の面会のためにICUを訪ねると、いつもの紺色のスクラブの上に白衣を羽織った先生が、ニコニコしながら娘とポータブルDVDプレイヤーでアンパンマンを見ていた。ICUのベッドの上で傾斜角度45度に半身を起こした娘のほんの少し緊張した、そしてほんのり嫌そうな顔。(当時娘は、この世にある紺色の服の人がすべて、自分に痛いことをする嫌な人だと思っていたのだ)
先生は、自身で切開から縫合まで担当した患児、つまり娘の状態が術後ICUで安定して、小児科病棟のPICUに引き渡す日が来るまで、一日も帰宅していなかった。
今回、裁判を起こした親御さんと病院と医師、それぞれの間に本当は一体何があったのか、事実はどういうことなのか、どういう間違いと行き違いがあったのか、わたしにはひとつも分からない。けれど全員が辛い話だなあと思って、ニュースを眺めている。
そしてごく個人的に、このニュースの周辺で様々な人から呟かれる言葉たちを辛いなあと思って、ずっと眺めている。それはいくつかあるけれど、要約するとこういうことだ。
「小児の心臓医療はもう終わりだ、なんなら既に崩壊している」
そんなこと、患児の親は嫌という程分かっている。娘の3度の手術を担当した小児心臓血管外科医は、娘が4歳の時に臨床から退かれた。それ以後娘のかかりつけの大学病院に小児心臓血管外科医は欠番になったまま。今、娘は大学病院に月1回、専門病院に3月に1回通っている。体調が比較的安定している今、別に2か所も病院に通う必要はないのだけれど、いずれ手術が必要になった時に、即応してもらうための顔つなぎだ。
巷では、小児心臓血管外科医も小児循環器医も、「あの先生はもう定年らしい」という話ばかりがちらほら聞こえる、この数年。
大阪ですらこの調子、勤め人である夫には「娘の病院を変わることはできないので、転勤は絶対に断わって欲しい」と、この8年間ずっと言い続けている。
この先もしも、小児の胸部を誰も正中切開できない、ノーウッドもシャントもジャテーンも不可能な世界がやってきて、もしくはそういう難解な手術ができる施設が例えばこの国にひとつかふたつだけになったとして、うちの娘にいずれ起きうる弁逆流とか(もうやや起きている)、突然あるかもしれない血栓とか(術後の血管は既に一部詰まった)が起きたら、どうするのかなあと思う。
そうなったらできるだけ赤ちゃんを優先してほしい、小さい人には一日でも長く生きて頂戴ねと思う。でも、できたらうちの子も助けてほしい。
不安だなあと思う。そして不安になるといつも、あのいちょうの実の子ども達のお話を思い出す。
「こごえたら、いっしょに死にましょうよ」
そうするしかないのかな。
でも実のところ「いちょうの実」のお話は、ちゃんと以下のようにやさしく結ばれているのだ。
お日様はもえる宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを悲しむ母親の木と旅にでた子どもらとに投げておやりなさいました。
子ども達は、誰もすき好んで病気の身体で生まれた訳ではないのだ、親だってあえてそういう身体に産もうとした訳じゃない。時として「生まれてきて奇跡」と呼ばれる子ども達、その奇跡をできたら助けてほしい。
どの子にも、あかるくて温かな陽光のあたる日々が、当たり前にあるように。
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