ひとりしゃぶしゃぶが、孤独をほどいた夜
あの夜、
ひとりで食べたしゃぶしゃぶは、
思っていた静けさとは少し違っていた。
ひとりで食べることは、
寂しいものだと思っていた。
どこか、避けて通るものだった。
けれどその夜、
私はその価値観を、
静かにほどいていた。
あれは、誰とも話したくない帰り道だった。
少しだけ、人に合わせすぎていたのかもしれない。
心がすり減り、
自分を保つことだけで精一杯だった。
職場を出て、足早に歩いていたとき、
ふと、足が止まった。
「しゃぶ葉」
見慣れない看板が目に入り、
そのまま店先のメニューに視線が落ちた。
食べ放題という響き。
値段の安さ。
豊富なメニュー。
そのどれもが、少しずつ、
私の背中を押していた。
気付けば、
そのまま店の中へ入っていた。
はじめての、ひとりしゃぶしゃぶ
鍋に火を入れ、
自分のタイミングで肉をくぐらせる。
肉を何秒浸すか。
野菜をどう入れるか。
どのタレで食べるか。
すべて、自分で決めていく。
だしから引き上げた肉はやわらかく、
野菜はほのかに甘かった。
こんなふうに、
誰にも合わせずにいられる時間は、
いつぶりだろう。
そこには、会話も、気遣いも、
“正しさ”も、いらなかった。
ただ、目の前の温かさだけがあった。
食材のひとつひとつの感覚だけが残っていた。
ひとりなのに、静かに満たされていた。
味だけではなく、
「時間」を味わっていたのかもしれない。
ひとりで食べることは、
寂しいものだと思っていた。
けれど、それは、
ただの思い込みだったのかもしれない。
あの空間は、
孤独ではなく、
自分の感覚を取り戻すための時間だった。
しゃぶしゃぶは、
好きなものを食べること以上に、
自分の感覚をひとつずつ確かめていく時間だった。
今でもときどき思い出す。
食事の途中、
あの夜のように、
ふと、孤独がほどけていく。
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