をかし、人類二本指進化論
タバコを床に落とした。
拾えばいい。ただそれだけの話である。しかし、その日の僕は椅子に深く座っていた。タバコまでの距離が絶妙に遠い。手を伸ばしても届かないが、わざわざ立ち上がるほどでもない。
仕方がないので、足を伸ばした。親指と人差し指でタバコをひょいと挟み、そのまま持ち上げた。
僕は文明人である。
火を扱い、言語を操り、パソコンの画面を眺めながら、ついには足でタバコまで拾えるようになった。ダーウィンがこれを見たら、進化論の最終ページに僕の写真を載せたかもしれない。
……なんで親指と人差し指なんやろ!?
落ちている物を足で取るとき、自然とこの二本を使っている。靴下でもタオルでも、だいたい親指と人差し指で挟む。
では、中指と薬指ではどうだろう。
……動かへん。
中指だけ曲げようとすると、人差し指や薬指までモゾモゾ「俺も行く」とついてくる。薬指だけ動かそうとすると、小指までワラワラ参加を求めてくる。
小学校の遠足なら褒められるが、指としてはどうなのだ。
手を見てみると。人差し指は曲げられる。中指だけでもいける。小指だって、それなりに単独行動できる。
ところが足になると、親指以外はギュッと結束を固めている。だったら、なぜ五本に分かれているのか。
たしか進化とは、環境に適したものが生き残っていく話だったはずである。高校の生物で習った知識など、今ではミトコンドリアとメンデルが同じ教室にいるくらい曖昧だが、ダーウィンもそんなようなことを言っていた。
人間の祖先をずっとたどっていけば、木の上で暮らしていた霊長類に行き着く。サルの足を見ると、たしかに手っぽい。親指が横へ開き、足でも枝をつかんでいる。
手が四本あるような生活をしていたところ、人類は地面へ降り、二本足で歩くようになった。「枝をつかめ!」から、「黙って体重を支えろ!」へ。
足指たちは長い年月をかけて、器用さよりも歩行を選んだ。さすがダーウィンである。しかし、一本ずつ動く必要がなくなったのなら、なぜ五本に分かれたままなのだ。
「中指さん、あなたにしかできない仕事は?」
「地面を支えます」
「薬指さんは?」
「地面を支えます」
「小指さん」
「地面を支えます」
……統合できるやろ!
そう思って日常生活を観察してみると、ますます怪しくなってきた。
ビーチサンダルを履くとき、鼻緒を挟むのは親指と人差し指の間である。ペタペタ歩いている間、残り三本はサンダルの上に乗っているだけだ。
そして、日本には足袋がある。
親指、専用個室。残り四本、大部屋。
……答え出とるやん。
日本人は何百年も前から、「こいつら四本、分けなくてもよくない?」と薄々気づいていた。
もう、足の指は二本でいい。ここに新たな進化論を提唱したい。
ただし、親指と人差し指だけを残すのではない。親指は現状維持。残り四本をギュギュッとまとめて一本の巨大な指にする。

二本指人類の誕生である。
親指と巨大指の間で物を挟める。サンダルも履ける。足袋に至っては何ひとつデザインを変える必要がない。人類が二本指へ進化したその日から即日対応である。
しかも、この進化には副次的なメリットまである。
まず、指の股が減る。
水虫にとっては深刻な住宅不足である。五本指ソックスという、履くたびに一本だけ違う部屋へ迷い込む衣類も必要なくなる。爪切りだって楽になる。五本の指を一本ずつ確認する必要がない。
そして何より、小指をタンスの角にぶつけなくなる。
普段は存在していることすら忘れられているのに、「俺はここだああああ!」と、タンスにゴンと当たったときだけ全神経を乗っ取ってくる。声も出ない。動けない。ただ小指を押さえながら、数秒間うずくまる。
あの空白の時間こそ進化の敗北ではないだろうか。
自然淘汰とは、生存に不利な特徴が減っていくことではなかったのか。タンスの角という天敵がこれほど世界中に存在しているのに、なぜ小指は淘汰されない。
そんなことを考えながらタバコを取ろうとしたところで、また落とした。僕は再び足を伸ばし、親指と人差し指でタバコを挟んだ。
僕は文明人である。
ダーウィン先生、聞こえますか。あなたが説いた進化の最先端で、僕は今、足でタバコを拾いながら木の上へ帰ろうとしています。
ところで、なぜタイトルが「を」から始まっているのか。天野雫さんからバトンをいただいたからである。
一本ではない。
「を」を3本。
……鬼である。

しかも「ちゃんと、日本語の『を』です」と念まで押されている。逃げ道まで塞がれた。仕方がないので、平安時代まで遡ることにした。
『をかし、人類二本指進化論』
……どうやら2本書く前に、しりとりを絶滅させてしまったようだ。
P.S💌
ちゃめさん、ユキトさん、ぱっちーさん、ろくねこさん、バトン受け取ってくれてありがとうございます😊
