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シングルベッドのガリヴァー

 あと五センチ寝返りを打てば、床へ落ちる。

 そんな崖っぷちで目を覚ました。体は横向きのまま固まり、右肩は妙な熱を帯びている。薄目を開けると、すぐ目の前にトイプードルの尻があった。ココである。
 その向こうには娘が仰向けになり、ホテルのスイートルームでも与えられたかのような顔で眠っている。足元ではもう一匹のリンが、パパの足首を枕に丸まっていた。
 あらためてベッドを見渡すと、パパに残されていたのは、幅十五センチほどの細長い領土。そこへ肩と腰を無理やり押し込み、ココの尻を見ながら夜明けを迎えていた。

 ガリヴァーが小人たちに縛りつけられていたときも、こんな気持ちだったのだろうか。
 もっとも、彼を拘束していたのは無数の縄であり、パパを拘束しているのは高校生にもなる娘の足と犬二匹。決して小人ではない。縄なら切れば済むが、娘の足は重く、犬を動かせば「せっかく寝てたのに」と唸られる。

 そもそもここは、パパの部屋のシングルベッドである。

 娘が小さかった頃、シングルベッドで娘と寝ることが特別だとは気づいていなかった。
 当時、我が家は沖縄に住んでいた。旅行となると、飛行機代で財布が力尽きる。ユニバへ着く頃には、財布の中の諭吉たちはすでに旅行を終え、ひと足先に沖縄へ帰っていた。
 せめてホテル代くらいは抑えたい。そう考えた私は、迷わずシングルルームを予約した。
 部屋へ入ると、娘はベッドの大きさなど気にせず、翌日の予定をしゃべり始めた。布団に入ってからも口は眠る気配がなく、パパは「うん」「せやね」「明日な」と適当に相づちを打ちながら、その小さな声が途切れるのを待っていた。
 やがて隣が静かになる。顔を向けると、娘はシングルベッドの四分の一も使わず、布団の中にころんと収まっていた。遊び疲れた顔で眠り、ときどき足がパパの腹へ飛んでくる。それでも寝返りを打つ余裕はあり、窮屈だなんて感じたことはなかった。
 娘はベッドの上を好き勝手に転がり、パパはその外側で娘が落ちないよう守っている。手のひらほどの背中をパパへ向けて眠る娘の向こうには、まだ広い余白が残っていた。
 翌朝になれば起こし、着替えさせ、忘れ物がないかを確認する。ホテルを出れば手をつなぎ、娘が行きたい方向へと連れだした。疲れたなら抱き上げ、怖がれば守り、迷えば答えを教える。私は娘の世界に現れたガリヴァーであり、なんでもできる巨大なパパだった。翌日も翌年も、同じ大きさの娘が隣にいるような気さえしていた。

 やがて娘は「東京の高校へ行きたい」と言い出した。その希望を受け、我が家は高校進学に合わせて上京した。
 今は、家族三人と犬二匹で暮らしている。一人一部屋持てるよう、3LDKの部屋を選んだ。
 ただ、娘の部屋はエアコンがない。室外機を置く場所も、配管を通す穴もない以上、親の愛情や気合いではどうにもならなかった。

 真夏にエアコンのない部屋は灼熱地獄である。扇風機を回せば涼しくなるどころか、部屋中の熱風を丁寧にかき混ぜる。昼間の熱が壁や床へ居座り、夜になっても明け渡す気配がない。
 娘も最初のうちは、自分の部屋で寝ようとしていた。思春期なりの意地があったのだろう。しかし、東京の熱気は反抗期すら蒸発させてしまう。

 娘が帰宅する頃には、パパはすでに寝ている。股にはココがいて、足元にはリンがいる。ここまではいつもの配置である。
 娘はパパの部屋のドアを開け、申し訳なさそうに床へ布団を敷くわけでもなければ「少し端を借りてもいい?」と尋ねるわけでもない。
 パパが寝ているのを確認すると、壁際に寄るでもなく、体を小さく丸めるでもなく、もっとも寝心地のよい中央を確保し、布団まで当然のように自分のものにしていた。ココは腹のあたりへ体を押しつけ、リンはパパの足元で、空白を埋めている。
 かつてシングルベッドの四分の一にも満たなかった体は、いまでは半分以上を占領するようになっていた。パパの寝床は、娘と犬たちによる領土分割協議の末、幅十五センチに決定したのだ。

 娘が小さかった頃は、落ちないように守るため、パパが端へ寄っていた。娘が大きくなったいまは、場所を譲るため、パパが端へ寄っている。
 親ならば、目を細め「いつの間にか成長したな」と胸を熱くしたいところだが、現実には胸より先に右肩が熱を持っている。腰も痛い。首も変な角度で固まっている。娘の成長を感じるには、あまりにも肉体的な負担が大きかった。

 それでも、ホテルのベッドで無防備に転がっていた頃の面影がまだ残っている娘の寝顔を見ると、パパは何も言えなくなる。
 起きているときの娘には、パパの知らない友達がいる。パパの知らない予定があり、話さないことも増えた。なにか尋ねても「別に」「普通」と、会話を二文字で処理することもある。
 眠っている顔には、そんな高校生の事情はすべて消えていた。口を少し開け、何の警戒もなく布団へ沈んでいる。

 シングルベッドは、本来、一人で眠るためのものらしい。我が家では、娘が大きくなるほどパパが小さくなっていく、奇妙な成長記録である。

 娘が小さかった頃、シングルベッドの上にいたガリヴァーはパパだった。

 今のガリヴァーは娘である。パパはその横で、犬たちに縛られながら、小人のように眠っている。

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