季節が早すぎた不忍池辯天堂|パンダのいない上野で娘とデート❤️
上野からパンダが消えて、もう四ヶ月になる。
それでも上野は、まだパンダを手放す気がなかったのだ。駅を出ればパンダ。売店にもパンダ。土産にもパンダ。パンダはもういないのに、街はまだ「うちにはパンダがおります」という顔をしていた。
いないものを、いることにして押し通す。
東京の商売根性も、なかなかたくましいではないか。

その日、娘と久々のデートをした。上野に来たからには不忍池辯天堂を見ておきたい。
ただ、パパは今日までずっと「ふにんいけ」だと思っていた。漢字で見れば、そうしか読めないではないか。
不忍と書いて「しのばず」
娘に訂正されたことで、世代間ギャップを感じたのだ。
ハスの葉と言えば、トトロである。「トトロの世界が見れるで」が誘い文句だったのに、不忍池のハスは枯れていた。
季節を先取りし過ぎたのである。
しかも、あの葉っぱが里芋の葉だと知ったのは、これを書いてる今だ。


ハスの見頃は七月中旬から八月上旬らしい。ゴールデンウィーク明けの池には、あの極楽浄土みたいなハスの景色はない。水面には緑も花も足りず、娘は一向にスマホを向けようとすらしない。
せっかくのデートなのに、池が仕上がっていない。パパの下調べ不足である。

入口では骨董市をやっていた。境内にはテキ屋が並び、どこからともなく焼けた匂いが漂ってくる。神聖な場所なのか、縁日なのか、骨董市なのか、すぐには判別できないけど、こういうごちゃまぜ感は嫌いではない。
お昼ご飯を食べたばかりなのに、娘はもうチョコバナナを買おうとしていた。この後の『アメ横』を考えると「今はヤメとけ」が正解だ。

池の真ん中へ進むと、不忍池辯天堂があった。これが琵琶湖の竹生島になぞらえて建てられたと知ると、急に親近感が湧いたのだ。東京の真ん中に、琵琶湖の影がある。そう思うと、ただの池だった景色が「由緒ある水辺」に見えてくるではないか。
問題は......沖縄育ちの娘に「琵琶湖の水止めたんで」が通じないことだ。それでも、伝えたくなるのが関西人である。
「ふ〜ん」
1mmも興味ない答えが返ってきただけだった。
境内へ入ると、宇賀神様が出迎えてくれた。
体はとぐろを巻いた蛇。顔は老人。
なかなかのインパクトである。
説明を読むと、宇賀神は日本古来のウカノミタマに由来する神さまだという。顔が老人なのは神様としてわかりやすくするためで、体が蛇なのは豊穣や豊かさを表しているらしい。
多少、情報量が多いが、神様なんてこんなもんである。

本堂の辯天さまは、八本の腕を持つ八臂辯才天だという。それぞれの手に、煩悩を破壊する道具を持っているらしい。優雅な名前に反して、意外と武闘派である。
その横で娘は、香炉の煙を一生懸命に顔へ浴びていた。
「頭が良くなりますように」
「可愛くなりますように」
これくらい欲がまっすぐなら、きっと叶うだろう。

本堂で娘は「融通守銭」を買った。財布に入れておくと、お金で苦労しないように祈願されたお守りらしい。初穂料は百円。神社界のコスパ商品である。

娘はさらにおみくじを引いた。結果は大吉。
ところが恋愛運が良くなかったようで、結ぶかお財布に入れとくか悩んでいた。
『待人は、支障があって来ない様です』
春が来るのは、まだ先らしい。
パパとしては複雑な気持ちである。


辯天堂を抜けた先にはボート乗り場があった。せっかくだからとボートに乗ろうと誘ってみたが、即座に断られた。池の季節も早かったが、親子でボートに乗る季節も、もう終わりかけていたのである。

その後は、骨董市をぶらぶらした。怪しい骨、古いコイン、ホルマリン漬けのような標本、呪術に使いそうな人形。アジア雑貨のようなものも並んでいて、ガネーシャや音を鳴らす茶碗まであった。











パパはかなり楽しかったのに、娘はチョコバナナ片手にスマホを見ていたのである。
上野にパンダはいなかった。ハスを見るには早すぎた。ボートは断られ、娘の待人も来ないらしい。
「次はハスが咲く夏に来よう」と伝えた。
不忍池辯天堂は、モノ足りなかったからこそ、また来る理由は残った。その時こそ、娘をボートに乗せる。待人より先に、パパが池の上で待てばいいのだ。

