芋出し画像

「恩人」の存圚を、6幎埌に知った話。

  幎に出版された曞籍の衚玙の写真を芋お、その䜜品を぀くったアヌティストも、どこで芋たのかも、瞬時に思い出した。

「TOKYO POP」

  衚玙の䜜品は、奈良矎智が䜜者だった。この䜜品が蚭眮されおいるのは、平塚垂矎術通。それも幎のはずだ。

 それだけはっきりず芚えおいるのは、この曞籍の衚題ずなっおいる「TOKYO POP」ずいう展芧䌚は、自分にずっお、それたでほずんど興味がなかったアヌトずいうものに察しお、突然、距離を瞮めおもらい、それから自分にずっおは必芁なものになり、特に気持ちが蟛い時に、支えおもらった恩たで感じおいるせいだ。

平塚垂矎術通

 幎の頃、フリヌのラむタヌずしお䞻にスポヌツのこずを曞いおいた。

 アヌトに関しおは、䟋えば「芞術的なプレヌ」ずいった衚珟のように、どうしおスポヌツそのものではなく、他のゞャンルを、たるで䞊䜍抂念のように䜿う必芁があるのだろうか、ず思うくらい、関心が薄かった。

 ただ、深倜のテレビで、劻が「TOKYO POP」の展芧䌚の暡様を芋お、平塚だけど、行きたがった。郜内から時間もかかるから、ちょっず嫌々ずいうか付き合う感じで出かけた。

 だけど、そこで芋た䜜品の数々は、これたでのアヌトや芞術に抱いおいるむメヌゞずは違っおいた。

 私も、仕事ずしお、文章でどうやっお衚珟するかずいったこずは考え続けおいたのだけど、こうした䜜品を぀くっおいる人たちも、衚珟するこずに関しお、ずおも切実に考えおいるこずたで䌝わっおきお、ずおも近くに感じお、奜きず思う䜜品や、嫌だず思えた䜜品もあったのだけど、ずおもリアルで、これだけ気持ちに盎接蚎えかけられるずは思わなかった。

り゜のない䜜品

 それから、それたで行ったこずがないギャラリヌや、自分だけでは足を螏み入れた経隓はなかった矎術通にも、党く知らないアヌティストであっおも、自分にずっおは、り゜がない衚珟をしおいるず思える䜜品を䜓隓したくお、積極的に出かけるようになった。

 その埌、介護に専念し、仕事もやめざるを埗なくなっお、党く未来も垌望も芋えなかった幎月も長く続いたけれど、そういう時にこそ、芋たい䜜品も倚かった。それは、深さがあるからこそ、暗くも思えるのだけど、その鑑賞によっお、本圓の底の底の底たで気持ちが萜ちるこずがなく、どこか支えられおいるような感觊があった。

 それは元気づけられるずいったこずではなく、ただ、䞀応、明日も生きられるかも、ずいった埮かな゚ネルギヌが、自分の䞭にもただあるこずに気が぀く、ずいうような感じがしおいた。

 介護に専念する前に、アヌトを芋るこずが生掻の䞀郚になったのだけど、介護生掻になっおからは、本圓に出かけられないほど疲劎しおいる時は別ずしお、介護のすき間にアヌトに觊れられたから、その生掻をなんずか乗り切れたず思っおいる。

 介護は幎で終わったが、これたで幎間、アヌトを芋おきた自分なりの蚘録は、このnoteずは別のブログ↓に、少し違う名前で曞いおいる。

冒頭のブログは、ここたでの内容ずダブるずころもありたすが、他にはさたざたな展芧䌚に぀いおの感想をアップしおいたす。今は、玄蚘事ですが、今埌も増えおいく予定です。

「TOKYO POP」から始たる

 私にずっおは、平塚垂矎術通で開催された「TOKYO POP」は、意味が倧きかったので、その幎埌くらいに、ラむタヌずしおある線集郚に売り蟌みをした時に、アヌトの話題ずしお出した。その際、冷めた蚀い方で、「あれは叀い䜜品も出しおいたんですよね」ず蚀われたこずがあり、その線集郚では仕事に぀ながるこずもなかったが、なんずなく、自分だけが勝手に思い入れおいるだけなのかず思っおいた。

 それでも、その埌、「矎術手垖」ずいう雑誌も読むようになっお、その䞭で、幎は、日本の矎術界にずっお、分岐点でもあったのではないか、ずいった指摘も読んだこずもあっお、それで、気持ちを立お盎したりしおいた。

 そんなこずもほが忘れ、コロナ犍になっお、アヌトに觊れる機䌚もものすごく枛ったけれど、それでも感染が枛った時に、気を぀けながらも、芋にいくこずはやっぱり続けおいた。

 そんな頃、「TOKYO POPから始たる」ずいうタむトルの本があるのを知った。自分のための蚀葉だず思った。

電子版です↑

恩人

 そしお、その本を読んで、著者が「TOKYO POP」開催を䌁画した圓人だず知った。

 幎月日から月日たでのヶ月間、『TOKYO POP』展は、神奈川県平塚垂にある平塚垂矎術通で開催された。東京からはJR湘南新宿ラむンで時間ほどの神奈川県にある公立の矎術通での「TOKYO」ずいう名を冠した、圓時も、たたいたも「なぜ神奈川でTOKYO?」ず蚀われおしたう展芧䌚である。そしお内容も、䞀郚では名前を知られ始めおはいたものの、ほずんど䞀般的には無名だった若いアヌティストたちを䞭心に集めた、公立の矎術通で行う珟代矎術の展芧䌚ずしおは、異䟋の、それたでには芋たこずもない展芧䌚であった。
 この展芧䌚に参加した村䞊隆も、奈良矎智も、䌚田誠も、これをきっかけに倚くの人に名前や䜜品を知られ、倧きく飛躍しおいったにもかかわらず、この矎術展の存圚に぀いお公に蚀及されるこずは少ない。あれから半䞖玀、幎ずいう時間が経った。䞖玀から䞖玀ぞ、そしお平成から什和ぞず時間は流れ、幎代から珟代に至るたでの日本の珟代矎術の流れを歎史化すべき時期にきおいるず思われるいた、日本的なポップ・アヌトが広く認知されおいくひず぀の契機ずなった『TOKYO POP』展を思い起こし蚘述しおおくこずは、この展芧䌚の䌁画者ずしおの責務のように思える。

 もちろん、圓事者だから、自己評䟡が高くなっおしたっおいる可胜性もあるけれど、それでも意味がある展芧䌚であるこずを知ったのは、やっぱり嬉しかった。

 その頃、地方の公立矎術通で珟代矎術の展芧䌚をやるこずは、容易なこずではなかった。「珟代矎術なんおわからない」「人が来ない」「孊芞員の個人的な趣味で展芧䌚をやるな」等々、謂れない非難に晒されるのがオチであった。
 最終的に実珟したかった展芧䌚は、村䞊隆の個展であった。
 しかし思わぬ圢でこの珟代矎術展が実珟できるこずになる。予定されおいた展芧䌚が飛んでしたったのだ。そしおその代わりずしお『TOKYO POP』展を急遜、開催するこずになった。通には短期間で準備できる展芧䌚のアむデアを持ち合わせおいる孊芞員がほかにいなかったからである。その間隙に乗じお、この展芧䌚は実珟できたのだ。準備期間がほずんどない䞭、アヌティスト遞びが始たり、展芧䌚に向けおスタヌトが切られた。
 最初から展芧䌚の内容の方向性は決たっおいた。囜際展で泚目され始めおいた村䞊隆や森䞇里子など日本の挫画やアニメヌションなどのサブカルチャヌやテレビのアむドルたちが芋せるポップな姿に圱響を受けた若いアヌティストの新鮮で勢いのある衚珟を集めるこずを目指したのだ。 

 さらには、あの展芧䌚が、䌁画者が、仕事ずしおこなすずいうよりは匷い意志があっお開催したもので、そしお自分が、その䌁画を、かなり狙い通りの受け止め方をしおいたのも知った。

 しかも、偶然が働かなかったら、この展芧䌚が開かれるこずもなく、そうなったら、もしかしたら、今のようにアヌトに興味を持っお、芋に行き続けるこずもなかったのかもしれない。

 アヌトのおかげで、気持ちが支えられおいた郚分もあったのだから、あれから幎がたっお、「恩人」がいたこずを知った。

 小束厎 拓男さん、ありがずうございたした。

実珟しなかったこず

 䞭原浩倧のレゎ䜜品を䌚堎に眮こうず心を決めお、亀枉に臚んだ。䞭略ただ鮮明に残っおいるのは、䞭原浩倧が電話口の向こうで蚀った、「いたさらポップ」ずいう蚀葉だった。       
 この䞀蚀で出品はものの芋事に断られおしたった。確かに「いたさら」なのではある。䞭略だが、私は今でも䞭原浩倧のレゎ䜜品は、日本的ポップの起源のひず぀であるず考えおいる。䞭原浩倧は嫌がるかもしれないが  。 

 曞籍の䞭で、小束厎氏は、䞭原浩倧の䜜品を「TOKYO POP」に展瀺したかった、ずいう「実珟しなかったけれど、やりたかったこず」を曞いおいるが、その時の鑑賞者だった人間ずしお、この文章を読んだずきに、私も、䞭原浩倧の䜜品を、あの䌚堎で芋たかった、ず思った。




他にも、いろいろず曞いおいたす↓。よろしかったら、読んでもらえるず、うれしいです。



#自己玹介   #掚薊図曞    #TOKYO POP  #平塚垂矎術通

#アヌト   #矎術   #䜜品   #アヌティスト   #ギャラリヌ

#矎術通   #恩人   #アヌト芳客   #ブログ #奈良矎智

#村䞊隆   #毎日投皿      #小束厎拓男    #キュレヌタヌ 

#展芧䌚






いいなず思ったら応揎しよう

おちたこず 蚘事を読んでいただき、ありがずうございたした。もし、面癜かったり、圹に立ったのであれば、サポヌトをお願いできたら、有り難く思いたす。より良い文章を曞こうずする詊みを、続けるための力になりたす。

この蚘事が参加しおいる募集