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『ペトリコヌル』第八話

■

 傘にぶ぀かる雚粒のせいで、梚恵は気が滅入っおいた。
 雚を感じるだけで吐き気がする。
 地面から䞊がっおくる雚ず土のにおいが垰りたい気持ちに拍車をかけ、滲んだ町にひずりだけぜ぀んず取り残されたような心境になった。
 倧茔がいなくなっおから、梚恵の生掻は日々荒んでいった。花菜の面倒ですら危うくなっおいる。
 毎日が悪倢のようだった。できれば倖にでたくない。だが家にずっずいおも神経がすり枛るだけだ。そんな状態なのに、畳みかけるようにしお頌れる人間が呚りから消えおゆく。
 もはや軜いノむロヌれだ。ここ最近、䜓調がよかった日など䞀日もない。
 花菜の通う小孊校の校門前で立ちすくみ、校舎を芋䞊げた。気力を振り絞っお、なんずかここたでやっおきた。それが花菜の小孊校だなんお、自分でもよくわからない。
「足元の悪い䞭、すみたせん。どうぞおかけになっおください」
 教宀に入り、蚀われるがたた二぀の机を察面にした垭に座った。
「はじめたしお。枡蟺花菜ちゃんの担任で藀本ずいいたす。急に呌びだしたしお申し蚳ないです」
 目尻に现い皺を刻んだ、五〇代くらいの女教垫だ。
「藀本  先生  」
「ええ。びっくりしはったでしょう 孊幎の途䞭で担任が倉わるなんお、あんたりあるこずやないですし」
 花菜のクラスの担任は森谷ずいう若い教垫だったはずだ。
 だが目の前にいる藀本ずいう教垫のこずは知らない。担任が倉わったずいうこずすら初耳だ。
「あの  突然の䞍幞っお、森谷先生はどうしたんですか」
「私らもねぇ、ちゃんずは聞かされおないんですけど、なんだか倧怪我をしたらしくお。入院しおはるらしいんですわ。花菜ちゃんが持っお垰っおいるプリントに曞いおありたしたでしょう」
 藀本の問いに「ああ、たあ」ず曖昧な返事をした。花菜が孊校から持っお垰っおくるプリント類はここのずころ、ほずんど目を通しおいない。
「森谷先生の代わりに私が担任をするこずも曞いおたんですけどねぇ」
「すみたせん  」
 藀本ず目が合わせられなかった。お前は芪倱栌だず非難されおいるような気がしたからだ。
 ――でも私は花菜の母芪じゃないし
 藀本から目を逞らしながら、䞀方で森谷の怪我が気になった。
 実は舞も怪我で矎容院を蟞めおしたったのだ。しかも梚恵にはなんの報告もなかった。倧茔の時ず同じく、それ以降は音信䞍通だった。こちらからの連絡にもたったく応じおくれない。
 入院しおいるず聞いたが、どこの病院かもわからず芋舞いにも行けない。
「それで  ですねぇ。今日ご足劎頂いた件なんですけど、花菜ちゃんのこずでしお」
 藀本は特に非難するようなこずはなかった。目を现め、笑っおいるのか悲しんでいるのか刀然ずしない顔だった。
「花菜が、なにかしたんですか」
「いえ、特別なにかした、ずいうわけではないんです。どない蚀うたらええか  、花菜ちゃんが前に䜏んでいたその  ね」
「ああ、犏島の」
 藀本が蚀いづらそうにしおいる正䜓がわかった。
「私どもは、被灜地に぀いおの配慮もしおたすし、あたり軜率にその話をしやんようにしおいるんですが。児童のひずりがどこからか花菜ちゃんが犏島からきたいうこずを知りたしおねぇ  」
「児童のひずりがどこからか、っお。そんなこずあり埗るんですか 私は孊校偎に話さないでほしいず䌝えおいるはずです。花菜が自分で口倖したんですか」
「いえねぇ、それがそのぉ  わからないずいうか、あのねぇ  」
 藀本は歯切れが悪くなる。その態床を芋お、孊校偎の誰かが挏らしたのだず察した。
「あの、わかっおたすか。花菜がこの孊校にくるたで、どれだけ苊しんできたのか。あの子の極端過ぎるほど人ず関わろうずしない態床に、なにも思わないんですか 藀本先生が挏らしたんじゃないず思いたすけど、孊校偎の責任っおこういう時、どうなるんですか」
「お、萜ち着いおください。ただ孊校の誰かから挏れたいう確蚌はないんでねぇ  」
「責任逃れするんですか。花菜にたた転校しろ、ず」
「そこたでは蚀うおたせんやん」
 怒りを抑えきれなかった。花菜や真麻の苊難にどうやっお接しおいいのかは、ただわかっおいない。
 だが花菜も真麻、被灜したすべおの人たちが奜きで避難しおいるわけではない。
 それなのにたるで病原菌や毒ガスのように扱い、爪匟きにしおいる者たちが蚱せなかった。
「蚌拠がないから孊校のせいじゃないっお  それじゃあ、花菜はどうなるの 花菜をこれ以䞊どうしたいのよ あんた先生なんでしょ」
 机に手を匷く叩き぀け、窓ガラスが震えるかず思えるほど倧声で叫んだ。
 倧茔や舞のこず、ギクシャクする花菜ずのこず。それらのストレスが、䜙裕を奪っおいた。
「萜ち着いお、萜ち着いおください 私はそない倧きな話をしたいわけやないんです ただ  花菜ちゃんにはお母さんが必芁ちゃうんかな、っお思うおたしお」
「花菜がそう蚀ったんですか」
「そういうわけやないんですが  クラスの子らが花菜ちゃんをからかうんです。私や他の教員も気ぃ付けおるんですけど、どないしおも目が届かんずころもあっお。それに最近  花菜ちゃん、ひずりごずも増えおるし、劙な行動もあるんです」
「劙な行動」
 眉をハの字にしお、泣き笑いのよう衚情で藀本は答えた。
「ええ、ご存じのずおり、ここでは『子䟛をひずりで氎堎に立たせたらあかん』いうルヌルがあるんです。圓然、我が校でも培底しおおるんですけどねぇ」
「それは知っおたすけど  」
「どうも花菜ちゃん、こっそり行っおるみたいなんです。それも䌑み時間のたび」
「トむレに  ひずりで、ずいうこずですか」
 藀本はうなずく。泣き笑いがさらに滑皜に歪む。
 そういえば倧茔ず音信䞍通になったあたりから、花菜のトむレに付いお行っおいないこずに気づいた。忘れおいたわけではないが、傷心の梚恵には〝そんなこずのために〟気力はなかった。
 それに普通、トむレはひずりで行くものだ。
 ――䜕床もひずりでトむレに  
 ふず自分が郚屋の隅で膝を抱えおいた時、花菜はなにをしおいただろうか思い返した。花菜はい぀も、芖界の倖で遊んでいた。考えおみれば、わざずそうしおいたのかもしれない。それでも気にならなかったのは、花菜がにゃにゃちゃんず喋っおいる声が聞こえおきおいたからだ。声がしおいるうちは花菜に異倉はない。
 だが同時に思いだしたこずもある。隅にうずくたっおいる間、花菜の姿はなかったがにゃにゃちゃんはい぀も芖界にあった。タンスの䞊におずなしく座っおいたので、そこにあるずいう意識すらしおいなかったのだ。
 越しおきおからずっず、花菜は『にゃにゃちゃん』を肌身離さず抱いおいた。毎日毎日、飜きもせず話しかけおは遊び盞手にしおいた。
 にゃにゃちゃんは誠䞀に買っおもらったぬいぐるみだった。あれ以倖に花菜が倧事にしおいるものはない。
 じゃあ、あの時  花菜はなにず話しおいたのか
「ずにかく、西川さん。花菜ちゃんのお母さんず盞談しおみおくださいたせんやろか。子䟛が孀独を感じおいる時には、やはり女芪が必芁やず思うんです。西川さんが頑匵っおおられるんは重々承知の䞊です。せやけど芪にしか埋められぞんものもあるんやないかず思うんです」
 藀本はこちらを芋おいるようで、目が合わないよう絶劙な角床で話した。
 たるで粟巧に造られた人型ロボットのような無機質さだ。
 手前に眮いた泥氎のペットボトルにもいちいち気になっおしたう。
「私もこの町で教垫しおるんは長いんですが、ここらの人、特にご幎配の方はみんなアレをえろう怖がっおはりたす。悪いこずは蚀いたせんので、『子䟛をひずりで氎堎に行かせない』。これだけは守ったっおください」

 藀本に蚀われお東校舎にあるずいう孊童保育の教宀ぞ向かった。
 䞀向に止たない雚は、䞍気味に校内を暗くしおいた。
 教宀をでる間際に藀本が蚀い攟った蚀葉が頭をよぎる。
「それず今日みたいなき぀い雚降っおる時は、絶察に倖にでださんで䞋さいねぇ。保護者の方々にも『雚の日は子䟛を迎えにくるように』ず通達しおあるんです。西川さん、お忙しいみたいやからご存じやないんずちゃいたすか」
 普段からプリントや連絡系統の曞類に目を通しおいないこずを芋抜ぬかれおいた。だが藀本のそれは手攟しに埓えるような簡単なこずではない。
「雚の日は迎えに  っお、そんなん無理ですよ。仕事もしおたすし、たたに迎えにくるこずはできおも毎回はできたせんよ」
「そんな人いはりたせんので、よろしくお願いしたす」
 有無を蚀わせない迫力で、藀本は意芋を突っぱねた。そんな暪暎があるだろうか、条件を培底できない家庭もはるはずだ。
「暗くなる前にきおくらはったら倧䞈倫ですので」
「そういうこずじゃなくお仕事もあるし」
 藀本は泣き笑いの顔で「そこをなんずか」ず蚀うのみだった。
 そんなバカな、ず思う。
 幞い、梚恵の仕事は倕方には終わる。やろうず思えば雚の日に迎えにこられないこずもない。だがただでさえ雚ばかり降っおいるこの町ではかなりの劎力だ。
「あの、ここの人たちがそこたでしお怖がっおいるものっお䞀䜓なんなんですか。もう教えおくださいよ、私もこの町の䜏人なんですよ」
 迎えにくる、こないは別ずしおいい加枛決着を぀けなければならない問題だった。埓う理由を知らないたた、蚀う通りになどできるはずがない。
「その質問したん初めおやないでしょう みなさんこない答えたんちゃいたすか 『それは蚀われぞん』っお」
「蚀えない蚀えないっおそればっかり そんなじゃずおもこの町になんお䜏め――」
「匕っ越さはったら」
「  え」
 䞍毛だずわかっおいながらも蚀いたいこずを蚀っおやらなければ気が枈たなかった。それだけの気抂で喋ろうずした梚恵の蚀葉を、藀本のひずこずが簡単に摘み取った。
「匕っ越しっお、そんなこず簡単にできるわけないじゃない」
「それはわかっおたす。承知の䞊であえお申し䞊げおるんです。ほらここっおねぇ、なんずいうか土地的にあんたりええこずないっちゅうか、あんたり蚀うたらあかんのですけど」
「蚀っおいる意味がわかりたせん」
「匕っ越さはるんが懞呜やず思いたす」
 眉ひず぀厩さずに、藀本はそう蚀い切った。
 どんな理由があれど孊校偎が児童の家庭に察し、匕っ越しを勧めるこずなどあり埗るのか。暎れそうになりそうになるのを必死で耐えた。
「そんなこず  」
「ああ、そうや西川さん、今日孊校にきはるたで人ず䌚わはりたした」
 唐突に話題を倉える藀本の質問に、䞀瞬、間が空いた。なにを蚀っおいるのか理解するのに時間がかかった。
 そしおようやく思い返すず、そういえば誰ずも䌚っおいない。
「䌚っおないでしょう 雚の日はねぇ、みなさんあんたり倖にでないんです。たぁ、倧人がひずりで倖にでおも特になにも起こらないんですけどねぇ。それでもみなさん怖がっおようでんのです。孊童保育の教宀に花菜ちゃん預かっおもろおたすんで、迎えに行っおあげおください」
「雚の日は倖にでないけど子䟛は迎えにこいっお  蚀っおいるこずがもう無茶苊茶」
 これ以䞊぀いおいけない、ず思った。さっさず匕き揚げお花菜ず垰ったほうがよさそうだ。
 ――雚の日は倖にでるな、だっお。
 無意識に急ぎ足になる。孊童保育の教宀に぀くたでが以䞊に長い気がした。
「あの  、枡蟺花菜の保護者なんですけど」
 教宀に入るずすぐ䞉和土ず䞋駄箱があり、䞀段高い床には畳が敷いおあった。その䞊で児童たちが所狭しず遊んでいる。
 児童に囲たれた指導員が振り返り、「あ、はヌい」ず明るく返した。
「ええっず、雚の日お迎えですよねヌ 花菜ちゃヌん、お迎えやでヌ。花菜ちゃヌん。  あれ 違う教宀ですかね。すみたせヌん、申し蚳ないんですけど、この二階にある第二孊童教宀っおずころに行っおみおもらえたせん」
「わかりたした、二階ですね」
 これだけの児童をひずりで面倒を芋るのは倧倉そうだ  ず思いながら、教宀からでお階段を䞊った。

 ――がちゃん。ずっ、ずっ。

 雚の降りしきる音に混じっお、それだけが浮いお聞こえた。倧きな氎の塊が池に萜ちたような、ずっしりず思い氎の音だ。雚どいの氎が萜ちるのずは違う皮類の音だった。
 二階たで䞊がった時、さらにもう䞀床、がちゃん。
 今床はさっきよりももっずはっきり、耳のそばでしたのかのようだった。
 それがしたのは右耳偎だ。恐る恐る右偎を向いおみる  が、誰もいない廊䞋が続いおいるだけだ。
 䞍思議に思い぀぀、今床は反察偎を芋た。
 壁の䞊郚から突きだす『第二孊童教宀』のプレヌトず、窓から挏れる光が暗い廊䞋に差しおいる。花菜はそこにいるはずだ。
 教宀に近づくず隒がしい子䟛の声が䞭から挏れ聞こえおきた。
 子䟛が䞭で暎れおいるのか時折、どんっ、ず壁になにかがぶ぀かる音が響く。それにびく぀きながら扉の前たできた。
 扉の取っ手に手をかけようずした時――
『ここにはいないよ』
 䞍意に聞こえた子䟛の声。すぐ近くで聞こえお呚りを芋回した。扉のすりガラス状の小窓に人圱が芋えた。
 窓の近くに立っおいるらしいが、やけにがんやりずした茪郭をしおいる。もっずくっきりしおいるはずなのに、ず銖を傟げた。
『あっち』
 人圱は窓越しに今きた道を指差す。䞍思議に思い぀぀その方角を芋る。薄暗い廊䞋の向こうに非垞口の扉が小さく芋える。
「  あそこに花菜がいるの」
 人圱はうなずく。奇劙だったが䌚話もできおいるし、その人圱が倉なものではないず思った。䞭の児童だろう。
 あっち偎になにがあるのだろうず進んでいくず、階段を暪切っおすぐにトむレが珟れた。
 東校舎ず本校舎は圓然だが䜜りが違う。突然珟れたトむレに぀い驚いおしたった。
 廊䞋の薄暗さずは䞀線を画す、じめりずした闇がそこにはあった。
 闇ずいうには頌りない暗さだったが、湿気や臭気が総合的に闇に近づけおいる。そんな堎所だった。
 本圓にこんなずころに花菜がいるだろうか。
 信じられないが、藀本の話もある。息を呑むずゆっくりず足を螏み入れた。
 コンクリヌトの床、排氎口からはヘドロのような臭いが挂い、トむレ党䜓にアンモニア臭が立ち蟌めおいる。
 すべおの個宀に《トむレに入る時は、誰かず䞀緒に入りたしょう。ひずりで個宀に入っおはいけたせん》ず貌り玙がしおあった。
 厭な予感がする。
 がちゃん、がちゃん
 呌び氎のような氎音。あの音はここからしおいたのだろうか。そう思った瞬間、烈しい胞隒ぎを芚え、たちたち居心地の悪さが膚らんだ。
 そばになにかがいる。
 藀本の蚀っおいた『アレ』。
 もしかするず、それがそばにきおいるのではないか。背筋を濡れた筆で撫でられおいるような悪寒が走った。
「たえちゃんは勝ったらなにが食べたい」
 その時、䞀番奥の個宀から花菜の声がした。
「花菜」
「たえちゃんも犏島に垰ろうね。花菜は犏島が倧奜きだから、早く垰りたいんだ。うん。家族䞉人で犏島のおうちで暮らそうね」
「花菜、りえちゃんだよ」
 奥の個宀に向けお花菜の名を呌ぶが、たるで耳に入っおいない。構わずに䞭の誰かず話しおいる。
「花菜 花菜、開けお」
 トむレのドアを叩き、ドアを揺さぶるが開かない。䞭の花菜は開けおくれそうにない。
「花菜ぁ」
 よじ登っお䞊から入ろうずドアに飛び぀く。
「いっ」
 ドアの瞁がびしょびしょに濡れおいお気持ち悪い。嫌悪感で顔を歪んだ。
「いやあっ」
 ダメ抌しに冷たい手のようなものが指に觊れ、思わず瞁から手を離した。
 今のは  花菜の手だろうか。
 そう思いながら倩井ず個宀ずの隙間を芋䞊げた。子䟛の花菜があんな高い堎所に手が届くずは思えない。
 ――でも䞭の䟿噚の䞊に立ったずしたら届くかも。
 届いたずしおも、ならば異垞な冷たさの手はどう説明できるだろうか。だが高さをクリアするこずに比べれば冷たさは些现な問題に思えた。
 匷匕にでも䞍可胜でないのならば、無理に恐怖をごたかせる。すくなくずもこの䞭に花菜がいるこずだけは確かなのだ。
「花菜 お願い、でおきお」
「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテヌ 守るも攻めるも黒鉄のヌ 浮かべる城ぞ頌みなるヌ 浮かべるその城日の本のヌ皇囜の四方を守るべしヌ真鉄のその艊日の本にヌ仇なす囜を攻めよかし」
 腰が抜けそうになった。はきはきず歌うその歌に、党身に戊慄が走る。
「花菜  花菜ぁ 気付いお 私だよ  梚恵だよ」
 声が枯れるほどに叫び、壊れるほどドアを叩いた。
 このたた攟っおおくず花菜が『アレ』に連れ去られおしたうのではないか。胞をしめ぀ける危機感がさらに呌ぶ声を匷くさせる。
「きっず呉の枯にお父さん、もう垰っおるよ。嬉しいね」
「花菜あヌ」
「    りえちゃん」
 喉が千切れるほど叫んだその時、花菜は梚恵の存圚に気付いた。これほど叫び続けおいたこずなどたるで聞こえおいないかのような、無邪気な返事だった。
「そうだよ、りえちゃんだよ」
「迎えにきおくれたんだね」
「うん、だから開けお」
 こちらの声に、鍵を開ける音で花菜は答えた。キ  ずかすかに軋む音を鳎らし、静かに個宀のドアが開く。

 ――ずちゅっ、ぐちゅ、ずっ。

 あっ  
 気が぀くず花菜を抱いおトむレから飛びだしおいた。
 ドアが開いたのず同時にしたあの音。そしお䞀瞬だけ芋えた個宀  掋匏䟿座があった。
 個宀の暗がりの䞭心、蓋が開いた䟿噚から、がんやり浮かぶシル゚ット。びちょびちょに濡れた青い頭の真っ黒い顔 ――が、頭を半分だしおこちらを芗き芋おいた。
「りえちゃん、なんでそんなに怒っおるの」
「怒っおない ずにかく早くここからでるの」
 ただ珟実に戻っおこれない粟神状態を無理矢理抑え蟌んだ。すこしでも気を抜くずあの頭が正気を奪い去っおしたいそうだ。花菜を抱いた手の、指先から肩に向けお急激に冷えおいく感じがした。花菜の䜓枩が蟛うじお梚恵を繋ぎずめおいた。

 校舎の倖にでるず雚は止む様子もなく、ふたりを埅ち構えおいた。
 抱いおいた花菜をいったん䞋ろし、靎を履かせるず今床はおんぶをしお自分の傘を開き、花菜に持たせた。花菜のぶんの傘はあるが、ふたりずも傘をさせば手を぀なげない。
 花菜に觊れおいないず䞍安だ。気付かないうちにどこかぞ行っおしたいかねないず思った。
 本圓は花菜にトむレで誰ず話しおいたのか詳しく聞きたい。だが、今はずおも最埌たで聞ける自信がなかった。
 ――『氎堎にいくな』っお、もしかしおアレが朜んでいるからっおこず
 気分が悪くなった。あんなべちゃべちゃずした質感の、埗䜓の知れないものが䞋氎を蠢いおはひずりでいる子䟛を探しお埘埊しおいる絵が想像できた。
 この町から䞀刻も早くでおいきたい。そんな衝動でいっぱいだった。
 もしかするず、倧茔も舞も森谷も  みんな『アレ』に関わった
 䜙蚈なこずを今は考えないよう頭を振った。雚の䞭、家路を急ぐ。本音を蚀えば、あの郚屋に垰るのも怖い。
 花菜だけはなにがあっおも守っおやらなくおはダメだ。
 決たり切っおいるはずなのに花菜の顔を芋るこずができない。トむレで『アレ』ず話をしおいたかもしれないこの子が、すでに花菜ではない気がしお恐ろしかった。
 もしも振り返っお、背負っおいるのが䟿噚から芗いおいたアレだったら――。
 むメヌゞに冒されおいた。恐怖に支配されかけおいた。
「りえちゃん」
 耳元で呌ぶ声に叫びだしそうになった。だがその声はよく知っおいる姪の声で、同時に安心もする。
「なに」
「なんでお店、党郚閉たっおるの」
 氎溜たりを螏み、靎が泥に汚れる。花菜の蚀葉に立ち止たるず、町の景色に唖然ずした。
 すぐ目の前にあるのは以前、立ち寄ったコンビニだった。トむレを借りようずしたが貞しおもらえなかったあの店だ。
 念のため芋䞊げるず看板には『営業』ずしっかり曞いおある。
 それなのに貌り玙の䞀枚もなく、店は閉たっおいた。
 廃業したのか 閉じられた玄関ガラスから䞭を芗き蟌んだ。棚に商品が䞊んでいる。ず、なれば廃業したずは思えない。だが店内の電気は消えおいお暗い。
「どこ行くの りえちゃん」
「いいから、ちょっずきお」
 この町には知っおいるだけでコンビニは䞉店ある。䞀軒は近くにあったはずだ。蚘憶を頌りに歩く。
「  閉たっおる」
 顔が青ざめる。いよいよこの町に察する畏怖が際立っおきた。
『雚の日は颚呂の調子が悪くなる』ずは聞いおいたが、颚呂以倖のこずは知らない。たさか雚の日はコンビニや商店なども軒䞊み䌑んでいたのだろうか。
 事実はわからないが、普段からどうだったのかたで思いだせない。
「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテ」
「その歌やめお」
 飛沫ルビ/しぶきを䞊げ氎たたりを蹎る。花菜の重さず傘のせいで蟛いが、党速力で駆けた。郚屋がいくら怖かろうが、倖より癟倍マシだず思った。

 ぬるかったり冷たかったりするシャワヌは䜙蚈に䜓を冷たくした。それでも雚に濡れるよりもずっずいい。しかし、花菜はどこか䞊機嫌でシャワヌも平気なようだった。
 シャワヌからでるず花菜はすぐさた郚屋に転がり蟌んだ。
 手鍋をコンロの火にかける。せめお枩かいものを飲もうず思った。しばし無心で煮立぀たで湯をみ぀めた。ずにかく疲れた。ホッずしたい。
 マグカップにむンスタントコヌヒヌの粉を入れた時、ふず留守番電話のランプが点滅しおいるのが目に入った。
 䞭になにが録音されおいるのか――厭な予感がした。
 恐る恐る突きだした指先で、再生のボタンに觊れた。考えすぎだ。必芁以䞊にナヌバスになっおいるだけだ、ず自分に蚀い聞かせそのたた指を抌し蟌んだ。
『䞀件のメッセヌゞがありたす』
 ピヌ
『    鑑み非垞の措眮を以お時局を収拟せむず欲し茲に忠良なる爟臣民に告く 朕は――』
 ピヌ
 最埌たで聞かず録音を消去する。そしお、梚恵はすぐ真麻に電話した。
『えっ 匕っ越したいっお なんでよお姉ちゃん』

『そんなの無理だよ。だいたいどこに匕っ越す぀もりなの 花菜の孊校の手続きだっおしなきゃだし、なにがあったのか知らないけどお姉ちゃん、もうちょっずだけ頑匵っおよ』

『無茶蚀わないでっおば それじゃお姉ちゃんに頌んだ意味なんおないじゃない いじめのこずは  蚀ったらあれだけど、初めおのこずじゃないし、もし花菜が孊校に行くのを嫌がるんだったら行かさなくおいいよ』


#創䜜倧賞2024
#ホラヌ小説郚門

いいなず思ったら応揎しよう