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『ペトリコヌル』第十話

■

「あんた、あない蚀うたのにあおむしに䌚わせおもうたんか」

 さみだれ䜏宅に垰っおきお早々、䜏人に声をかけられた。無芖しお、花菜を背負ったたた急いで郚屋に駆け蟌んだ。

「ごめん、花菜ちゃん。今日はシャワヌで我慢しお」

 キッチンのテヌブルで足をぶらぶらさせながら、それには答えずこちらを向いた。

「ねえ、りえちゃん。寝るたでたえちゃんず遊んでいい」

 心臓が止たりかけた。その名は今䞀番聞きたくない。

「たえちゃんずは遊んじゃだめ」

「なんで」

「なんでもよ たえちゃんず遊ぶず、知らないずころに連れお行かれちゃうよ」

 そんな説明では花菜が玍埗するはずもない。

「なんでなんで なんでそんな意地悪蚀うの たえちゃんず遊びたい 遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい」

 突然炞裂した癇癪に棒立ちになった。これたで䞀床だっおこんなに匷く䞻匵したこずはない。聞き分けはいいほうだったはずだ。

 ――家に垰っおきお急に『たえちゃん』の話をした  

 改めおここが異䞖界であり、あおむしの圱響を受けおいるのだず知った。

「たえちゃん たえちゃん たえちゃんず遊ぶ」

 倧声で喚き、花菜はそばにあったおもちゃや文房具を手あたり次第に投げたくった。初めおの激情に狌狜えるだけだった。

「やめお花菜ちゃん 暎れないで  」

 そう蚀っお投げ぀けた物を拟うのが粟いっぱいだった。それ以䞊のこずはどうすればいいかわからない。

 ずずず

 物を拟うのにしゃがみ蟌んだ隙の出来事だった。小さな足音がそばを暪切っおゆく。咄嗟に振り返るず花菜はトむレに入ろうずしおいるずころだった。

「なにしおるの ひずりでトむレに行っちゃダメ」

「うるさい トむレずお颚呂なら誰にも邪魔されずにたえちゃんず遊べるもん」

「だからたえちゃんず遊んじゃダメ トむレずお颚呂なんお、もっずダメだよ」

 トむレのドアを閉められる寞前で飛び぀き、党力で阻む。綱匕きのような状態の埌、なんずか花菜を匕き離すこずができた。

「りえちゃん、仲良しの友達䜜れっお蚀った、友達ず遊べっお蚀ったもん だから花菜はたえちゃんず友達になっお、仲良く遊んでたのに なんで、なんで急にダメっお蚀うの バカ りえちゃんのバカ」

「花菜ちゃんやめお そんなこずいわないで」

「貎様、米英の諜報員か 非囜民め、粛枅するぞ」

「はっ」

 花菜は突然、倧人の蚀葉  いや、たるで軍人が䜿いそうな蚀葉を投げ぀けた。

 睚め぀ける県぀きは尖りきっおいお、知っおいる花菜ずはたるで違う衚情をしおいる。それは匷烈な憎悪ず敵意を孕んだ目。その目に睚たれるず喉にものが䜿えたように声がでない。子䟛の迫力ずはたるで違う。

 唖然ずしたたた動けないでいるず花菜はぷいっ、ず背を向けお郚屋の端で膝を抱えお座り蟌んだ。

 立ち尜くした梚恵の足元に、にゃにゃちゃんが寂しげに転がっおいた。



「ああ」

「あず䞀幎耐えたらよかったのになぁ」

「い぀連れお行かれるかなぁ」

 町で老人たちに囁かれる回数が日に日に増しおいた。

 アンゞヌず知り合っおからずいうもの、それらは違ったものに聞こえおくる。

 忠告通り、花菜を氎堎に近づけないようにしおいるが、い぀たた豹倉するかず思うず怖くお匷く叱れなかった。幞い今のずころ、あの倜のようなこずはなかったが  。

 だが問題はそれだけに留たらない。氎回りでの異垞も日増しに烈しくなっおいた。

 シャワヌがひずりでにでる。台所のシンクには誰のものでもない髪の毛が数本萜ちおいる。トむレから倜通し『ごぜごぜごぜ』ず氎䞭で人が喋っおいるような音が聞こえる。バスルヌムからは湯も匵っおいないのに氎の跳ねる音。そういった珟象は日垞茶飯事だった。

 䞀床、ずががががっ、ず排氎口に䜕かが詰たった烈しい音がした。驚いお思わず様子を芋に行ったこずがあった。

 バスルヌムに近づいたずころで、バシャン、ずそこそこの重量を持ったものがバスタブに飛び蟌んだ音が、それ以䞊の接近を拒んだ。

 それでも梚恵は足音を殺しお近づき、バスルヌムの䞭をそっず芗き芋る。

 埅っおいたかのようにバスタブから青い頭を半分だしたなにかがこちらを窺っおいた。

「ひっ」

 梚恵がその存圚を認めた盎埌、もう䞀床バシャン、ず倧きな音を立おお湯船の底にそれは消えた。

 勇気を出しおバスタブを確かめおみたが、それは応然ず消えおしたった。

 説明぀かない出来事はただある。

 蛇口から真っ黒な氎がでおしばらく䜿い物にならなかったり、頻繁にトむレが詰たったり、䞀芋なんの倉哲もない透明な氎でも、口に含むず焊げた炭が入っおいるような異味がしたりした。

 家の氎道を䜿う気になれず、ネット通販でペットボトルの氎を倧量に泚文するが、決たっお荷物は届かず履歎ぱラヌになった。そのため定期的にディスカりントショップで賌入するようになった。

 ずにかく、『䞉぀のルヌル』さえ守っおいれば、これ以䞊の実害はないず信じおいた。

 そんな䞭にあっお、花菜ずの関係はさらに冷え切っおゆく。䞀蚀も亀わさないこずが日垞になり぀぀あった。

 梚恵ずしおは積極的に話しかけたりなどしお努力はしおいるが、肝心の花菜が反応しない。さらに頻繁にあった『たえちゃんずのおしゃべり』もなくなった。本来なら、喜ぶべきなのだが、その静けさがかえっお䞍気味だった。

 だが䞀方で良いこずもあった。

 花菜がひずりで氎堎に行かなくなったのだ。それだけでも負担はかなり枛った。

 埐々にこの異垞な日々に慣れおきおいる自分自身に、梚恵は恐ろしくなる。

『䞉぀のルヌル』を守っおいれば、あおむしはなにも仕掛けおこられない。花菜があおむしに狙われおいたずしおも察凊を培底しおいるからか、それ以䞊の悪化もなかった。

 真麻に早く倧阪ぞくるよう説埗しおいる間、なんずか耐えしのがなければならない。

 この日垞に身を眮き、さたざたな珟象を目の圓たりにすれば厭でも離れるだろう。

 ――麻痺しおいた。

 なにも解決しおいない。なにひず぀ずしお奜転しおいない。日々の珟象は烈しさを増しおいくばかりだずいうのに、それに目を぀むり珟状維持を心がけ、それが䞊手く続いおいるず思い蟌む。そうやっお考えるこずを攟棄しおいた。自分なりの自己防衛だった。

 アンゞヌには連絡しおいない。圌に頌っおしたうず、なにかがはじたっおしたいそうで怖かった。梚恵はただひたすらに、芋たくないものを芋ない振りをし続けおいた。

 その日がくるたでは。



 たもなく花菜の孊校が倏䌑みに入ろうずするころ。

 あおにならない倩気予報は関西党域快晎になるず䌝えおいた。珍しく予報通りの空。真っ青で雲ひず぀ない、倏を象城するような日だった。

 ひきっぱなしの垃団の䞊に寝そべる。今日は䌑みなのでもうひず眠りする぀もりだった。

「倧茔に䌚いたいなぁ  」

 いなくなっおしばらくの時が経った。それでも倧茔に察する思いは倉わらない。いただにひずりになるず倧茔を思っお泣いた。

「戻っおきお、私をどこか連れおっおよぉ倧茔  」

 枕に涙のシミを䜜りながら、眠りが意識を攫いにくるのを埅った。

 梚恵は倢を芋た。

 倩気のいい昌䞋がり。公園のベンチで子䟛を抱いおいた。自分に子䟛はいないはずだったが、腕の䞭で眠る子に䞍思議なほど母性を感じおいた。

 すヌすヌず寝息を立お、気持ちよさげに眠る我が子。それを愛しく芋぀めおいるだけで自然に埮笑みが挏れる。

「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテ」

 梚恵は子守歌を歌っおいた。その子守歌はほかならぬ軍艊マヌチ。それが子守歌ずは劙な話だが、䞍思議ず違和感はない。

「守るも攻めるも黒鉄のヌ 浮かべる城ぞ頌みなるヌ 浮かべるその城日の本のヌ皇囜の四方を守るべしヌ真鉄のその艊日の本にヌ仇なす囜を攻めよかし  」

 穏やかに歌うその歌はこれたで忌み嫌っおきたものずはたるで別ものに聎こえる  優しいものだった。

「お父ちゃん、はやく垰っおきおほしいねぇ」

 すやすやず眠る子の頭を優しく撫でおやる。するず次の瞬間、

 ごろん、

 なにか重いものが転がり萜ちた。構わず梚恵は頭を撫でながら子守歌を歌っおいる。

 そばに転がっおいるのは――子䟛の頭だった。

「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテ  」

 梚恵は動じない。自分の子の銖が怿のようにあっけなく萜ちおも子守歌を歌い続けおいた。

 カンカンカンカン

 その時、鐘を叩く音ず甲高い獣の唞り声のような音があたりいっぱいに朚霊した。

 みるみるうちに公園は炎䞊し、真っ赀に染たった。倕焌けの空のようで綺麗だず思った。

 気づくず梚恵は我が子を抱いたたた焌かれおいた。倩を衝くように䌞びる火柱が烈しくふたりを焊がしおいく。

 遠くの方で「おおきに  ごめんなぁ  」ず聞こえる。

「タンタン、トンカラリンシャン、テテテのテ  」


 匟かれたように跳ね起きる。倢か珟実かわからず、しばらく䞊䜓を起こしたたた攟心しおいた。ベランダから挏れる仄かな冷気が次第に梚恵の意識を芚たしおいった。

 シャツが匵り付いおいた。䜓臭がぬるい熱気に乗っお錻先に挂う。党身が汗でびっしょり濡れおいる。

「どのくらい寝おたんだろ  」

 寝汗を掻くほど寝おいたのか、ず時間を確かめるが思ったほど経っおいなかった。それよりやたらず喉が枇く。

 立ち䞊がった぀いでにカヌテンをすこし開く。ベランダの向こうに広がる空は気持ちがいいほど青い。なぜこんな快晎の日に悪倢を芋なければならないのか理䞍尜に思った。

 熱さたしがおら、厭な気分も掗い流す぀もりで冷蔵庫からペットボトルを取った。キャップを回し、䞭の氎を喉に流し蟌む。

「うぷっ おぇっ」

 盎埌、味に異倉を感じおシンクに吐きだした。

「な、なにこの味」

 口の䞭に広がった生臭いえぐみ。

 氎の味に混乱し぀぀も、口の䞭に残った䜙韻が次第に自分の知っおいる味に倉わっおゆく。氎だず思っお味が付いおいたから思わず吐きだしおしたったが、よくよく味わっおみるずそれは  だしの味のようだった。

 しかし極端に薄い。ほが氎だず蚀っおいい。煮干しを浞した氎だろうか。

 思わずラベルを確認する。

『玔氎仕䞊げミネラルりォヌタヌ』

 衚蚘はミネラルりォヌタヌ  ぀たり氎だ。だしが入っおいるなどずどこにも曞いおいない。そういえばこの氎を飲むのははじめおではないのだから、だしが入っおいるなどず考えるたでもない。

「これもあおむしのせい  」

 無意識に眉間に皺が寄る。動揺しおしたわないよう固く目を぀むった。

 ペットボトルなら安心だず信じおいたが、これも信甚できなくなっおしたった。いよいよ芋おみぬふりは無理がある、呻きながら手に持ったボトルをテヌブルに眮いた。

「  」

 テヌブルに眮いたボトルに違和感を芚えた。

 正確には、ボトルではなくボトル越しに倉なものを芋た気がする。

 怪蚝に思い぀぀ボトルをテヌブルから離す。異倉はない。再びボトルをテヌブルに眮く。  やはりなにかがおかしい。

 䞀䜓なにがおかしい 胡乱な気持ちでボトルを凝芖した。


 ドン、ドン


「ひっ」

 突然のノックに跳び䞊がった。

『枡蟺はん。防犯費甚千円くれおんか』

「千円おじさんか  驚かさないでよ」

 この頃は千円おじさんをたずもに盞手にしなくなっおいた。それでも千円おじさんは凝りもせずやっおくる。

 だが今回は驚かされたこずに腹が立った。い぀もならしないこずだが、文句を蚀っおやろうず思い、぀い玄関を開けおしたったのだ。

「姉ちゃん、千円ちょうだい」

「きゃあ」

 千円おじさんはドアを開けた瞬間、隙間からにゅっず腕を突きだしおきた。梚恵は驚いお尻逅を突いた。

 したった

そう思いすぐに顔を䞊げる。この隙に家の䞭に入っおこられおはたたらない。

「  あれ」

 千円おじさんの姿はない。目の前で静かにドアが閉たるだけだ。再びドアを開けおみるが、その姿はどこにもなかった。

 たるで狐に぀たたれたかのような心境だった。

 幻か珟実か、はっきりずしない。

 ザァァ――

 消えた千円おじさんに気を取られお気づくのに遅れた。この音は――雚の音だ。

「嘘  こんなの」

 土砂降りだった。

 郚屋の䞭から芋えた空は雲ひず぀ない真っ青な空だったはずだ。だが玄関の倖は暗い灰色の空、バケツをひっくり返したような雚。

 そんな䞭に花菜をひずりで行かせおしたったのだ。

 ――䞀䜓、い぀から降っおたの  

 䜓から血の気が匕き、背筋にじゃりじゃりずしたざら぀いた寒気が走った。

 なにかの芋間違いだず郚屋に駆け戻りベランダを確かめる。

「そんな」

 灰色の雚。

さっきたでの快晎は党郚嘘だったのだず空が舌をだしお喜んでいるようだ。雚どいはじゃぶじゃぶず滝のような氎を䞋に䌝えおいる。

 たった今降りだした雚ではないこずは䞀目瞭然だ。

「あおむし  」

 自分が芋おいた青い空は事実でなく、この灰色の雚景こそが珟実。あおむしによっお、停りの空を芋させられおいたのだ。

「花菜」

 傘もささずに倖ぞ飛びだした。

 花菜がでお行っおから䞀時間以䞊経っおいる。無事、問題なく孊校に぀いおいるのならばそれでいい。だがあおむしの仕業である以䞊、花菜がきちんず孊校に぀いおいるずは到底思えない。

 砂糖氎のようなべず぀いた雚が寝汗のかわりに䜓䞭にたずわり぀く。だが気持ち悪いなど蚀っおられない。花菜の名を呌びながら土砂降りの䞭を走った。

 町には人っ子ひずりうろ぀いおいない。店もすべお閉たっおいるし、どこからも生掻の空気が䞀切挂っおこない。ずいぶん昔からこの町はすでに廃墟だったのではないかず錯芚する。

 小さな瀟を䜕床か暪切った。駆け抜けながらいく぀もあったのだず知った。

「花菜ぁ 花菜ちゃあヌん」

 雚粒が声を吞う。町䞭に蜘蛛の巣がかかったように癜い景色をさらに走った。

 孊校たでの道を蟿るが花菜の姿はない。店が開いおいない以䞊、捜す堎所は絞れるはずだ。埐々に䜓枩が奪われおゆく䞭、公園の前を通りがかった。

 おもちゃの動物園を思わせる無機質な遊具たちが通り過ぎる梚恵を芋぀めおいる。その䞭にひっそりず䜇む公衆トむレ。

 ゞゞ  

 公園の䞭倮に立っおいるスピヌカヌから匕っ搔いたようなノむズが挏れ、次に続く。

『  るに拘らす戊局必すしも奜転せす䞖界の倧勢亊我に利あらす 加之敵は新に  』

「やめお」

 はっきりず拒絶を叫ぶ。埓うようにしおスピヌカヌはおずなしくなった。逆立぀産毛が怪異の䜙韻を撫でた。

 だがそれが逆に梚恵の頭を明瞭にした。

トむレの前で立ち止たり、正面に向き盎る。

 そういえばこの町に越しおきおすぐ、このトむレに花菜を連れおきた。思えば、そこからこの町がどこかおかしいず感じはじめたのだ。

 トむレの入り口付近にできた氎溜たりになにかの玙が沈んでいるのが目に入った。近づいお芋るず《䜿甚犁止》ず曞かれた玙。以前きたずきに個宀のドアに貌られおいた玙だ。

「この玙が萜ちおいるっおこずは  」

 盎感し、トむレを睚んだ。そしお意を決するず䞭に足を螏み入れた。

 思った通り、トむレの個宀は䞀宀だけ貌り玙が剝がれおいる。迷わずその個宀の前に立った。

「たえちゃん、䌚いたかったぁ。ずっずずっず花菜ね、さみしかったんだよ それよりね、なにしお遊ぶ 愛囜いろはかるた 兵隊ごっこ ねぇねぇ、なにしお遊ぶ」

 花菜の声だった。

「花菜ちゃん、今すぐそこからでお」

 ダンダン、ず力の限りにドアを叩き蚎える。

「が飛んでこなかったらもっず遊んでもいいよね」

 キャッキャッずはしゃぐ花菜の声。たるで舞ず遊んでいる時のようだった。さらに烈しく叩き、呌び続けるが花菜は党く反応しない。

「だめよ花菜 それ以䞊あおむしず遊んじゃだめ でおきなさい」

 ダンダン、ダダン、ダンダン、ダダン。

 ドアを叩く音に䞍自然さを感じた。自らが叩くダンダン、ずいう音以倖にダダン、ずいう連続した音がある。実際に叩いおいるよりも音が倚い。

 それたで花菜を思う䞀心で正面しか目に入っおいなかったが、音の䞍自然さにふず我に返り、䞀歩䞋がっおみた。

「ひっ  」

 息が止たる。

 梚恵が立っおいた姿だけ切り抜いたようにしお、個宀のドア党䜓が真っ黒な煀で埋め尜くされおいた。䜙分な音は、スタンプのように煀の぀いたなにかでドアを叩いおいた蚌巊ずなった。そしおそれは、おそらく人の手。自分が叩くのず音の質が同じだずいうこずは  そうずしか思えない。

「花菜 でおきおっおばぁ じゃないず  」

「じゃないず  なぁにぃ」

 花菜がはじめお反応した。しかし、明らかに声の様子から雰囲気が違う。人をからかっおいるような、銬鹿にしたような、䞍快になるむントネヌションだった。

「じゃないず連れおいか――」

「たえちゃんはぁ たヌえヌちゃヌんヌはぁヌ」

 慄きで過呌吞になりそうだった。ここからすぐ逃げだしたい。ドアの向こうにいるのは、花菜だが花菜ではない。決しお觊れおは  かかわっおはいけない怪物なのだ。正気を倱うギリギリのずころで戊いながら叫んだ。

「花菜から離れおよ このバケモノ」

   カチャリ。

 党身党霊を懞けた叫びに呌応したように、数秒の間をあけお内鍵が開く音がした。

「花菜」

 それを聞き逃すはずがなかった。すぐさたドアを開け攟ち、花菜の名を呌んだ。

 䟿噚の暪にびしょ濡れの花菜が倒れおいた。和匏の䟿噚の氎は真っ黒だ。

 気を倱っおいる花菜を抱きかかえ、䞀秒だっおこんなずころにい

られるものかず飛びだした。



 アンゞヌの䞋を蚪ねたのはその翌日。

 昚日の出来事を受けお、自分だけで凊理できない段階たできおいるず痛感した。

 助けを蚎えるメヌルを送るず、埅っおたしたず蚀わんばかりにすぐ返事が届いた。四の五の蚀わず、すぐ䌚いたいずいう内容だった。

「あらぁ、きたわね。いらっしゃヌい」

 花菜を孊校に送り届けおからアンゞヌず䌚った。䞍安だったがアンゞヌのアドバむスを受け、それに埓った。

「梚恵ちゃんの気持ちもわかるけどな、ただ孊校のほうが安党やで。少なくずもひずりになりようないし。さすがに今の花菜ちゃんを芋れば教垫だっお目を離さぞんよ。孊校も自分ずころで児童の倱螪なんおだしたないやろうからね」

「その蟺がよくわからないんですけど。あの町が異䞖界だずしお、だったら孊校も異䞖界の斜蚭だっおこずになるんじゃないんですか。もしそうなら、児童が倱螪したずしおも『実圚しない町の実圚しない孊校』ずしお無関係なんじゃ」

「たあそない思うやろねぇ。わかるわ。誀解すんのも無理はないけど、あそこは『実圚しない町』やなくお、『誰も知らない町』やねん」

「ニュアンスの違いじゃなくお  ですか」

「そう。あの町を認知できるのが『町に関わった人』やっおいうだけ。あの町は確かに存圚しおる。せやからその蚌拠に私はあそこに䜏んでたし、認知しおるやん ネットでの怜玢ヒットが極端に少ないのも、『町』の持っおいるなにかが拡散を阻止しおんちゃうかな。あくたで私の憶枬やけども」

 巻煙草を咥え、火を点けながらアンゞヌはこうも蚀った。

「知っおる ネットの郜垂䌝説でな、『電車に乗っおたら党然知らん、聞いたこずもない駅に着いお䞋りおしたった』っお話。いざ䞋りお町を歩いおみたら人っ子ひずりおらん気味の悪いずころやったらしい。そんでその迷子がどないなったかわからん  っちゅうや぀。あの町もたぶん、その類ちゃう」

「きさらぎ駅ですよね」

 アンゞヌは認める。

「でも、私の効はあの町の垂営䜏宅  さみだれの存圚を知人に玹介されたっお」

「その知人が私みたいにさみだれの元関係者やったんか、それかあの町に花菜ちゃんが呌ばれたんか。どうなんやろな」

 あの町に呌ばれた――

 心の䞭でその蚀葉を反芻した。今曎信じられないものなどない――が、花菜が町に呌ばれたずいうのはどうも解せない。

「花菜ちゃん、もう䜕回かあおむしず䌚っおるやろ。あおむしに䞀床䌚った子䟛は倖でもあおむしず遭遇するんやけど、氎堎で䌚うのずでは意味合いがちゃうみたいやねん。倖で䌚った堎合、あおむしは子䟛を氎堎に誘う。氎堎が独壇堎なんやろか。けど、あおむしず䌚うん重ねおいくずもう連れ去られおなおかしいねんなぁ。やのに花菜ちゃん、今の今たで連れおいかれずにおる。そこらぞんがどうも腑に萜ちんずこやねん」

「腑に萜ちないっお  連れおいかれおいないのなら、それ以䞊のこずはないじゃないですか」

「いや、そうやねんで。なんや蚀うおも無事でおるんがなによりや。でもそれが䞍気味やねん。梚恵ちゃん、なんか心圓たりずかないんかいな 花菜ちゃんずあおむしに共通するずころがあったりずか」

 そんなこず蚀われおもなぁ、ず心圓たりを探すが、それらしいものはなにも思い぀かない。

 なにより花菜に察しお芪身になっおくれるアンゞヌの存圚がありがたい。それも息子の歩ず重ねおいるからだろう。花菜を救うこずず、歩を救うこずを同じに思っおいるのかもしれない。

「歩くんを捜すのにあの町に戻ったりはしなかったんですか」

「ああ、それなぁ  ほんたやったらそうしたかったんやけど。䞀床離れおたうず芋぀からんねん。『誰も知らない町』ルビ/あの町、ほんた厄介やで。䜏人でなくなるずあかんみたいや。あらゆるものから存圚を隠しよる」

「え、でも倧茔や舞ちゃんは普通に  」

「そらその人らはその町が『誰も知らない町』やっお認識しずらんで行っおたんやろ。知っおる知らん以前に、認識倖にあるんやから。それに梚恵ちゃんいう町の䜏人ずの接点があったから入れたっお考え方もできるし」

「そんなこず  あれ、でもそれじゃあ  」

 ハッずアンゞヌに振り返る。アンゞヌはみなたで蚀うなずばかりに䞍敵に笑った。

「そう。今は私、認知しおいる梚恵ちゃんを介しお町に戻れる」



 森ノ宮駅を降りるず倧阪城の雄姿に出迎えられる。

 そしお囜道沿いをすこし歩き、暪断歩道を枡ったずころに目圓おの堎所あった。

「ここだ  」

『ホヌプおおさか 倧阪平和祈念センタヌ』

 倪平掋戊争を䞭心ずした戊時資料や展瀺物を扱った斜蚭だ。今は䞻に倧阪倧空襲を語り継ぐこずに力を泚いでいる。

 梚恵はアンゞヌに蚀われおこの斜蚭ぞやっおきたのだった。

 公園の公衆トむレでのこずをアンゞヌに話した際、花菜が口走っおいた『愛囜いろはかるた』や、『』ずいう戊時䞭を思わせる単語。そしお軍艊マヌチ――。

 それらを䞊べるず、おのずず浮かび䞊がるのは戊争ずいうキヌワヌド。

『誰も知らない町』ず戊争が深く関係しおいるずすれば、ここになにかヒントがあるのではないか。アンゞヌはそのように掚察した。

「倧阪倧空襲やお。えらい久しぶりやわ」

 ずなりでアンゞヌは぀ばの倧きな垜子で陜を避けながら笑った。たるでどこぞのセレブタレントのようないでたちだ。

「どないしたん」

 アンゞヌは顔色の悪い梚恵を気にかけた。

「わかんないです。けど、なんだか  すごく䞍安で」

「なにが䞍安なんよ」

「それがわからないっおいうか  。入っちゃいけないような、入らなきゃいけないような」

「なるほど  せやねぇ、胞隒ぎみたいなもんやね。でも興味があるから䞍安やっおいう考えもあるで。ほら、吊り橋効果っおいうやん」

 そうなんでしょうか、ず返事をしたが自分でも驚くほど小さな声だった。

 アンゞヌは気を遣ったのか、それたで䞊んでいたのにすたすたず先を歩いた。そしお先導するように通内に入る。

「ほら、こっちやで。おいで」

「はい  ありがずうございたす」

 通内の展瀺を前に息を呑んだ。展瀺物はどれも生々しく、痛たしい。

 ある䌚堎では床䞋に倧阪倧空襲埌の倧阪の町䞊みがゞオラマで再珟されおいた。戊闘機から街を俯瞰し、いたにも爆撃をはじめるぞ  そんな気分にさせられる。さらに進むず倧きな䞀トン爆匟の実物倧暡型が目に぀いた。

「っはぁ こんなごっ぀い爆匟がいく぀も萜ずされたんやなぁ。そら焊土になるわ」

「きたこずあるんじゃないんですか」

「きたっちゅうか  倧昔のこずやしなぁ」

「私は、孊生の頃にいった博物通ずか割ず憶えおたすよ」

「東京にもあんの こういうずころ」

「ありたすよ。靖囜神瀟のずころに。知りたせんか」

「関西人は関東の事に疎いからなぁ」

 アンゞヌはそう蚀っお笑った。

 それにしおも  ず蚀葉を結び぀぀、展瀺に぀いおなにか蚀おうずしたがその先の蚀葉がでおこない。自分自身、これたで戊争ずいうものに向き合ったこずがないからだ。

「蚀いたいこずはわかるで。でもちゃんず芋やな、どこにヒントあるかわからんで」

「そう  ですね」

 ふたりしお展瀺物や解説を隈なく芋お回る。その䞭に気になる蚘述を芋぀けた。

「アンゞヌさん。花菜はあの時、が飛んでこなかったらいいよね、ず蚀っおいたした。倧阪倧空襲で襲来した爆撃機は――。花菜は倧阪倧空襲のこずを蚀っおいたんでしょうか」

 アンゞヌは、「なるほどなぁ」ず玍埗し぀぀その脇のパネルにも目を移した。

「倧阪倧空襲っお蚀うおも䞀回だけやないんやな。私は䞉月䞀䞉日のや぀しか知らんわぁ。第八次やお。八回も爆撃しよったんか  。うわうわうわ、ちょう梚恵ちゃん芋おみぃ。この第八次の京橋空襲なんお八月䞀四日やで。終戊前日に空爆やなんお慈悲なさすぎやろ」

「本圓ですね  。なんおいうか、今じゃ想像できないですよね。空から爆匟が降っおくるなんお」

「んなもん、地獄に決たっずるで」

 戊争の残酷さに非日垞さを感じた。確かにこの地で昔あったこずなのに、他人事のようにしか思えなかった。

 ここに息づいおいた時代――、それは無差別にそしお無慈悲に䜕千䜕䞇の呜が奪われたのだ。そしお遥かその先の未来に自分たちがいる。空から爆匟が降っおくる危機も、食糧がなく食べられないひもじさも、ただひたすらに勝利だけを信じお耐え忍んだ日々も、今では考えられないこずだ。

 身近な人間の死は悲劇なのに、芋知らぬ沢山の死はただの数字。そんな颚にしか思えない自分は、戊争ずいうものに向き合えるわけがない、そう思った。

「梚恵ちゃん これ芋おみぃ」

 興奮気味にアンゞヌがパネルを指差した。

 そこには『第䞀次倧阪倧空襲』の時刻、堎所、芏暡などが现かに蚘茉されおいる。そしおアンゞヌが指しおいるのは、『堎所』だった。

『北区、南区・東区珟䞭倮区、西区、枯区、浪速区、倧正区、倩王寺区、西成区』

「もろあそこの䞀垯やん」

「本圓だ。これだけの範囲なら、あの町も入っおたすよね」

「爆撃で町ごず無くなった、ずか」

 思わずアンゞヌず顔を芋合わせた。

「䞞ごず無くなっおしたった町が、誰にも知られるこずなく再生した  ずか」

 ふたりはすでに、あり埗るかあり埗ないかずいう基準で考えるこずはすでにやめおいた。だからこそ、それがあの町の真盞だず思った。

 仮定ではあるが、そういう぀もりで芋始めるず展瀺物はどれも興味深く芋える。

 その䞭に砎れかけたボロボロの防空頭巟や錆びお穎の空いおしたった氎筒などもあった。

「あっ  」

 その防空頭巟を芋た時、背筋が粟だった。

「花菜が〝たえちゃん〟のこずを青い垜子をかぶっおるっお  、あれっお防空頭巟のこずかもしれない」

 蚀ったあずであおむしずいう名前も〝青い頭巟〟ずいう意味も含たれおいるのではず思った。もしもそうならなおさら青い防空頭巟ず笊合する。

 アンゞヌもそれしか考えられないず同調した。

 その他にも町に関する手がかりがないか呚到に探した。だがそれ以䞊の収穫はなかった。しかし、その収穫は倧きい。

 ホヌプおおさかは二階が受付・入口になっおおり、順路通り進むず䞀階に䞋る造りになっおいる。順路に沿っお䞀階に䞋りた。

 䞀階には䞭庭ず講堂があった。

 䞭庭にはモニュメントがあり、通内案内を芋るずそれは、戊没者を祀る『刻ずきの庭』ずいうらしい。

 ガラス越しに䞭庭を芗くず、モニュメントの戊没者を刻んだ銅板の前にひずりの老人が䜇んでいた。

 寂しそうな県差しで䞀点を芋぀めおいる。

 気が枈んで螵を返した際、目が合った。圌は軜く埮笑み䌚釈をした。

 頬に倧きな叀傷が目立぀。戊争䜓隓者なのだろうか。

 ぀られお䌚釈を返しお入れ替わるように䞭庭に入り、銅板の前に立぀。

 戊没者の銅板を囲むように八぀の鐘が、ここぞきたものを迎え入れるように静かに䜇んでいた。案内には八回行われた空襲にちなんで、八぀の鐘があるのだず曞いおあった。

 倥しい数の名前がそこには刻たれおあった。そのひず぀ひず぀が、戊争のせいで死んだのかず思うずめたいがしそうだ。

「ダメだ  ずおも読めない」

 ひずりひずりの名前を远うのをやめようずした時、芋芚えのある名前があった。

「江口  䞉矢子  」

 どこで芋たのだろう。思い出せなかった。

「梚恵ちゃん、なにしおんの。そっちは関係あらぞんで」

「あ、はい  すみたせん」

 アンゞヌに呌ばれ、思いだすのを䞭断し、戻った。

 䞭庭の正面に講堂がある。閉め切った扉の前に幎配のスタッフが立っおいた。

 䞭でなにかやっおいるのだろうか、ちらちらず様子を窺っおいるず、気づいたスタッフの男が手招きをしおふたりを呌んだ。

「ああ、今始たったばっかりやからどうぞ入っおくださいね。折角やから聞いおいかはったらええわ」

「え  そんな」

 やんわり断ろうずするも、「ええからええから」ず半ば匷匕に䞭ぞ招かれおしたった。

 広い構内のステヌゞ䞊では、パむプ怅子に座るひずりの女が戊争䜓隓を語っおいた。綺麗に生えそろった癜髪が印象的な、枅朔感のある老女だった。

 垭に぀いおいる客は満垭にはほど遠く、たばらだった。しかし誰もが真剣な衚情で語りに耳を傟けおいる。

 ひずたず空いおいる垭にアンゞヌず座り、老女の話を聎くこずにした。

『――みなさん、焌倷匟が空で炞裂する様を知っおはりたすか。䞉月䞀䞉日の空襲で私も初めお芋たんです。真っ暗な倜空に、パァッず光が匟けおキラキラした赀や青や黄色の光がねぇ、枝垂桜が川面に䌞びおいくように萜ちおいくんです。その時、私はただ九歳ここの぀やったさかい、単玔にえらい綺麗な花火やなぁっお思うたんです。けど、空で幟぀も焌倷匟が匟けるたんびに、火が降り泚いで最初は綺麗な花火の桜やなぁっお思うおたのに、あっずいう間に火の雚になっおしもうたんですわ。

 それで火の点いた重たい鉄の棒がぎょうさん降っおきよっおからに、家の屋根を突き砎ったり、地面に突き刺さったりしお、町が火の海になったんです。い぀も遊んどった神瀟の朚にも火が萜ちお、パキパキず割れる音が鳎り響いお。

 あちこちから助けお、逃げろ、っちゅう悲鳎があがっおたるで地獄やった。

 私は火の海になった景色に、顔が熱くなっお、ガタガタガタガタ、足が震えた』

 老女の話は倧阪倧空襲の話らしかった。

 おそらくあおむしには倧阪倧空襲が関係しおいるず考えおいただけに、この偶然には感謝した。だが話を聎いおいお、それ以䞊に気になるずころがあった。

 それは『花火』。それに『枝垂桜が川面に䌞びおいくよう』ずいう蚀葉。

 ――それっお  もしかしお。

 スマホを取りだし、ギャラリヌから写真を呌びだす。倧茔の顔が歪んでいる写真ず、䟋の花火のような写真だ。

「いや、なにそれ。梚恵ちゃん」

 老女の話ずシンクロしおいるような写真に、思わずアンゞヌは声を䞊げる。

「これ、もしかしお、焌倷匟の光  」

「間違いないっお これ、絶察あのオバアの蚀うおる奎やで。あなた、なんでそんなん持っおるん」

 あたりに驚いおアンゞヌの蚀葉に反応できない。なぜこんなものを持っおいる そんなこず、こっちが知りたい。

『家ずかもみんな燃やされおしもお、どかん、どかん、ず爆音が地響きたおながら鬌でもきたんか思うくらいに地面揺らしずっおねぇ。手を䞊にあげたたた黒う焊げおもうた人や、焌倷匟が銖に刺さっお死んどる人もおった。

 でも私がねぇ、芋たんで䞀番悲惚やったんは小さな子䟛背負ったお母さん。子䟛を背負うお䞀生懞呜逃げおはるんやけど、背䞭に背負うずる子䟛の頭が無いなっずったの。爆匟から逃れるのに倢䞭で、背䞭で子䟛が頭萜っこずしおもうたこずわからんで「たえちゃん、しっかりしな。こんなのすぐに終わる。終わったらお父さん垰っおくるから」っお励たしおんねんなぁ  。そのたえちゃん、っお女の子のこずは知らんけど、それが鮮烈に頭に焌き付いおおねぇ  戊争っおね、こんなに惚いんやっおようわかったわ』

「た、たえちゃん  」

 花火、そしお『たえちゃん』の名前。

 圓時はよくある名前だったのかもしれないが、このタむミングで偶然ずは思えなかった。

 アンゞヌを芋る。アンゞヌも青癜い顔で芋぀め返しおいた。

「  せやな。あのオバアに話蚊かなあかんわ」

『――以䞊、お話を語っおいただいたのは倧阪倧空襲を語り継ぐ䌚の寺井矎智子さんでした』

 ステヌゞ䞊の老女――寺井矎智子は怅子から立っお深くお蟞儀をするず、舞台袖ぞず消えおいった。たばらな客たちからの拍手で送られながら。


 講堂の倖で寺井を埅った。

 さっきのスタッフに『䌚いたい』ず䌝えおもらったのだ。

 すこししお寺井が姿を珟した。

 こちらに気づくず穏やかな笑みを浮かべ、ステヌゞで話しおいた時ず倉わらぬ品のある所䜜でお蟞儀をした。

「さっき講堂で聎いおくらはった方やねぇ 私ず話したいお聞いおたすけど、戊争の話やろか」

「急に呌びだす真䌌をしおすみたせん。  そうですね、さっきのお話の延長線䞊ずいうか」

「ええんよ。私らの圹目は戊争を知らん䞖代に語り継いでいくこずやさかいに」

 実際に蚀葉を亀わしおみおも、物腰の柔らかい印象は倉わらなかった。

 緊匵で匷匵っおいた肩の力が緩むのを感じながら、寺井にここたでに至るいきさ぀を話した。

 町のこず、あおむしのこず、そしお『たえちゃん』のこずず『花火』――

 未敎理で拙い話し方でやけに長い話になっおしたったが、寺井は盞槌を打ち、時折うなずきながら蟛抱匷く聞いおくれた。

「――  ずいう話なんです。信じられないかもしれたせんけど」

 なんずか最埌たで話し終え、寺井を芋る。

「ふふふ」

 寺井は笑った。

 どうしおわからず圌女の様子を窺う。

「ああ  堪忍な。笑うたら気分悪うしはるず思うたんやけど、぀い」

「どういう意味」

 䞍機嫌な様子でアンゞヌが蚊き返し、おもわずひやりずする。

「こういう語り郚をしおるずねぇ、孊生さんやったり䜜家さんやったり、そんで時々あんたみたいな物奜きが話聞きたい蚀うおくるんやわ。さっきも蚀うた通り、どんな圢であっおも私たちは戊争っちゅうもんがどういうもんやったか、どんだけ残酷なもんやったか、そしお二床ず繰り返したらあかんっおいうのを䌝えおいく矩務がある。せやから聞きたいっおいう人には喜んで話す぀もりでやっおんねんけど、  長い事やらしおもうおおこういうのは初めおやわ」

 そう蚀っお寺井は立ち䞊がり頭を䞋げた。

「ちょっずオバア、なんやの どこ行く぀もりなん」

「せっかく長い事話しおもうたのに悪いねぇ、せやけど䜜り話にはよう付き合われぞん」

 アンゞヌの蚀葉を無芖しお、寺井はそのように蚀い捚おた。誀解されたようだ。

 だがそれも無理もなかった。客芳的にこの話は、䜜り話ならずもかく珟実のこずには到底思えない。アンゞヌのような人間ならば別だが、氎堎や誰も知らない町、あおむしの話など、銬鹿にされおいるず捉えられおも仕方がない。

 花菜のこずに倢䞭になりすぎお忘れおいた。

「違いたす 䜜り話じゃなくお本圓の話なんです、信じおもらえないのはわかりたすけど  」

「私はちょっずやそっずのこずで怒ったりせえぞんけどね、戊争をふざけお面癜おかしく扱う人は奜きやないんやわ」

「オバア、もうちょっず話聞いたりぃや 真剣かふざけずるか、そんだけ長う生きずっおなんでわからぞんねん」

「この斜蚭はええずこでしょう たたきはっおね。䞊の階には図曞や映像もあるさかいに、もっず勉匷しおからおもろい話䜜らはったらええわ」

「埅ちぃやオバア」

「アンゞヌやめお」

 寺井はアンゞヌの怒声も気にかけず怅子から立ち䞊がるず、今にも去りそうに背を向けた。

「あの、寺井さんが戊灜に遭ったのは九歳のころだっお蚀いたしたよね」

 アンゞヌを無芖されたこず、自分の話を䜜り話だず切り捚おられたこず、こうしおいる間も花菜はあの町にいるこず、それらの怒りず焊りが勝手に蚀葉を走らせた。

「それがなんやの」

「寺井さんは九歳でこの䞖の地獄を芋たんですよね。私の姪――花菜だっお歳なんです あの震灜を地獄じゃないっおいうんですか。自然灜害は悲劇じゃないっお蚀いたいんですか。信じなくおもいいから話を聞かせおくれたっおいいじゃないですか 私はふざけおなんおない」

 気が付けば倧声で叫んでいた。アンゞヌが慌おおなだめようずするが、それを振り切っおさらに続ける。もう自分でも止められなかった。

「歩くんが行方䞍明なのは本圓だし、花菜だっお今もなにがあるかわからない 倧茔も舞ちゃんもいなくなったこずも本圓なんです 䜜り話だったら倧茔に䌚わせおよ   䜜り話なんだったらあの震灜がなかったこずにしおよ そしたら花菜はこんな私のずころなんかに  」

 倧粒の涙が床に萜ち、いく぀も小さな氎たたりを䜜った。あれだけ氎が怖いのに、自分の䜓からこうしお氎が萜ちるのも蚱せなくなっおいた。足で床に萜ちた涙を朰し、滲んだ目で寺井を睚む。

 気圧されたのか、寺井は腰が匕けたように芋える。

「梚恵ちゃんええねん私のこずは 今は花菜ちゃんのためにどうにかしやんず」

 アンゞヌももらい泣きしそうに涙声で手を握った。興奮で我を忘れかけおいるのを心配しお、ひずたず今日はここで退こうず説埗しおくる。

「なんで  なんで私じゃないの。みんないなくなった  私がいなくなればよかったのに  」

「もうやめ、梚恵ちゃん」

 肩を抱き、アンゞヌは背を向けたたたの寺井に向けお「たたきたすんで」ず蚀った。

「コラ、君、なにを倧声で隒いどんや ここどこや思うずんねん」

 梚恵の倧声を聞き぀けお、スタッフの男が血盞を倉えおやっおきた。

「寺井さんに怒鳎っずったんちゃうんか 寺井さん高霢やのになんちゅう口の利き方しずんねん」

 謝眪の蚀葉を蚀おうずするが、嗚咜で蚀葉に詰たった。

 ずにかくここをでるしかない、ずアンゞヌに肩を支えられ怅子から立ち䞊がる。だがその間にすっず寺井が入った。

「峯さん、堪忍。圌女興奮さしたんは私なんです。せやからもうちょっずだけ話しおもええやろか」

「ほんたですか わしにはどない聞いおもさっきのは  」

「ええんです。せやけど、ここじゃなんやから講堂で話させおもらいたいんやけど」

 もしかしおかばっおくれおいるのか  

 寺井の小さな背䞭を芋぀めながら今起こっおいるこずをうたく敎理できないでいた。

「わかりたした。寺井さんがそない蚀うんやったら信甚したすけど  なんかあったらすぐ知らせなはれや」

 寺井の抌しに負け、数十分間皋床ならいいずスタッフの男は講堂の䜿甚を蚱可した。

「おおきにな、じゃあこっちでお話したしょか」

 寺井はそう蚀っお講堂の䞭ぞず招いた。

「寺井さん、あの  」

 頭が冷え、取り乱した自分が恥ずかしくなった。ひずたず無瀌は詫びなければず口を開いたずころで寺井は埮笑んでそれを吊む。

「  子䟛のこず蚀われるずねぇ。あんたの蚀うおるこずが䜜り話やったずしおも぀い助けたあなっおたうもんやなぁ」

 はからずもなりふり構わない蚀葉で寺井は怒りを治めおくれたらしい。そんな぀もりではなかったが、怪我の功名だった。

「さっきは私も぀いムキになっおもうお堪忍なぁ。お嬢がさっき蚀うおた話やねんけど、ようよう考えおみるず気になるこず思いだしたんよ」

 そう切りだした寺井の顔には穏やかさが戻っおきおいた。怒らせおしたったのはこちらのほうなのに、ず恐瞮しおしたう。

「あの、気になるこずずいうのは」

「あんたの蚀うおた町なぁ、私知っおんねん」

 アンゞヌず顔を芋合わせ、芋぀めながら互いにうなずいた。語りの䞭で『火の雚』や『たえちゃん』ずいった既知感を芚える蚀葉があった、それが倧阪倧空襲を指し瀺しおいお、実䜓隓ならば語り郚である寺井はあの町を知っおいるのではないか。そもそもそれが聞きたくお圌女から話を聞いたのだ。

「ほんたはその名前の町、聞いた事あるなぁっお思うおおん。なかなか思いだせやんかったんやけどねぇ、ようやっず思い出したわ」

 気付けば前のめりになりながら寺井の話に集䞭しおいた。

「倧阪は戊時䞭、軍郜倧倧坂っお呌ばれずっおねぇ。陞軍の砲兵工廠や軍事工堎が倚く密集しずったんよ。そういう軍事斜蚭を壊滅さすために倧阪、特に倧阪城呚りのここら䞀䜓が暙的にされたんよ。そらもう培底的に朰しにきおねぇ、倧阪が空襲で爆撃されたんは党郚で八回やっおなっおるけど、倧小合わすず䞉䞉回も空爆されおるんよ。それであんたの話を聞いずっお、そんな戊時䞭のどさくさで忘れられおもうた町があったなぁっお。六〇幎以䞊ぶりに思い出したわ」

 さらに詳しく聞こうず口を開きかけたが、「そいでもな」ず続く寺井の声に阻たれる。

「単玔に私が忘れおた、いうんは考えられぞんねんけどなぁ。そんなん、町が爆撃でたるごず焌き尜くされたかお、普通は芚えずるはずや。今ず町の名前が倉わっお無くなっおしもた  っお話でもあらぞん。あんたに聞くたで、あの町に぀いおの蚘憶がたるごずすっぜりず抜け萜ちずったみたいや」

 芚えおいられない  忘れおしたう町。぀たり、誰にも知られおいない。誰も知らない町。

 やはり通垞では考えられないようなこずが起こっおいる。

「あの、寺井さんが被灜したのっお、どの蟺だったんですか」

寺井は浪速区の䞀画の名を挙げた。

「アンゞヌさん、そこっお」

「  あの町から目ず錻の先や」

「じゃあ、間違いない」

 あの町だ。

「寺井さん、あの町はその埌どうなったか知っおいたすか」

「それがねぇ  」

 申し蚳なさそうに寺井は顔を䌏せた。本人も䞀䜓い぀からあの町のこずを忘れおしたったのかわからないず話した。それは぀たり、あの日、銖のない子䟛を背負った女性を芋た盎埌からわからない  ずいうこずだ。

 寺井には悪いがそれだけならば、あの町を知っおいるずいっおも意味がない。

「寺井さんがさっき、ステヌゞで『たえちゃん』の話がでおたず思うんですけど。あれっおその  知り合いの人ですか」

「ちゃうちゃう。だっおあれは母芪が頭が無いなった子䟛に呌びかけおたんやで そないなるずそもそも顔がわからんし、私にも『たえちゃん』いう友達はおらぞん」

「そっか  そうですよね」

 さすがにそこたでは掎めないか、ず肩を萜ずす。

「ほんであんたはその町に䜏んでんの せやけど誰も知らんような町にどないしたら䜏めるんやろか。ほんたは違う名前やけどその町やっお思い蟌んでるだけやずか」

「そうだずしおも『氎堎に子䟛を近づかせるな』ずか、『雚の日に誰も倖にいない』なんおルヌルがたかり通っおる堎所があるんでしょうか  。仮にあったずしお、そんなルヌルの町なら、地元の人くらいは知っおないずおかしいず思うんです」

「確かにそないけったいな習慣は聞いた事ないねぇ。せやけどトむレに珟れるっちゅうのがどうもわからんなぁ。私ら子䟛の頃はおかあやおずうから『雪隠せっちんには厠神いうのがおっお、これを綺麗に倧事に扱わん奎はがっずんにひきずり蟌たれお死によんや』っお脅かされおたんやけどねぇ」

「そういえば、䜕幎か前に『トむレの神様』っお歌が流行りたしたね。そういうトむレに䜏む神様っおいうのはどこにでもある話なんでしょうか」

 どうやろ、ず笑い寺井は昔の暮らしを述懐する。

「昔は今みたいに䞋氎道なんおあらぞんから、地面に穎掘っお萜ずしおたんよ。私らの子䟛のころはみんな汲み取り匏の䟿所でねぇ。倏堎なんか臭いが䞊がっおきお、えろう臭かったわぁ。小さい子䟛なんかはよう萜ちお亡くのうたりもしたんよ」

 それを聞きながらアンゞヌず目を合わせる。入手できる情報はここたでか、ず諊めかけた。

 ほかになにか聞いおおくこずはないかず考えた時、ふず梚恵は前に思い出したこずがあった。

「前に孊校のトむレで花菜があおむしず話しおいるのを聞いたんですけど、あおむしは犏島県からきたみたいです。圓時はそういう  他の地方から倧阪にやっおくる人っお結構いたんですか」

 それを話すず寺井はすこし考え蟌んだ。

「地方からこっちぞ嫁いできたっおこずやんな そらおらんこずはなかったけど、そういう人が近所に倚かったかっお蚀うたら、うちの呚りはそうでもなかったかなぁ。さっきも蚀うたけど、倧阪は爆撃される危険性が高かったから、わざわざ地方からこっちにくる人も少なかったはずやし」

「オバアさ、友達におらんの その蟺で空襲から生き延びた人ずか」

 寺井はその問いに反応せず、アンゞヌは䞍機嫌に口を尖らせた。

「空襲から逃れお今も存呜の友達ずかいらっしゃいたすか」

 アンゞヌの代わりにず蚊ねる。

「前はおったんやけどねぇ。もうこの歳やし、えろう少のうなっおしもたから  」

「どんな小さなこずでもいいんです すこしでも話を聞けるなら」

「そない蚀われおもねぇ、ええず、䞉杉さんはただ元気やったかな  」

 そう蚀いながら寺井は携垯電話を取りだし、老県鏡をかけるず目を现めお番号リストをスクロヌルする。圌女が善人でよかった。

『♪』

 バッグの䞭でスマホが鳎った。画面には真麻の名前が衚瀺されおいる。

「真麻からだ。なんだろう」

 アンゞヌにそこを任せ、通話をするため講堂の倖にでた。

「えっ  」

 目に飛び蟌んできたのは滝のような雚。さきほどたでの倏晎れが嘘のよう豪雚だった。

「そんな」

 思わず叫んでいた。今日は䞀日晎れの予報だった。それ以前にほんのすこし前たで雚の気配すらなかった。

 スマホを耳にあおながら、䞭庭を叩き぀けるような雚に呆然ずする。

『もしもしお姉ちゃん 今どこにいるの 孊校から連絡あったんだけど、なにしおるのよ 矎容院も䌑んでるし』

「孊校から連絡 埅っお、私のずころにはかかっおこなかったよ」

 ぷ぀ぷ぀ず手足の先から毛穎が立っおいくのがわかる。これから起こる厭な予感に䜓の党身が䞀斉にざわ぀きはじめた。

『ちょっず信じられないんだけどさ、花菜が  花菜がクラスの児童党員ず䞀緒にいなくなったっお』

#創䜜倧賞2024
#ホラヌ小説郚門

いいなず思ったら応揎しよう