「反省したから復帰できる」でもない。犯罪・不祥事を起こしたから人生終了?責任を引き受けながら、それでも生きていく◆50歳からの人生は、もう一度20歳になるゲームではない
単なる「阿部慎之助を許す/許さない」の二択ではなく、**社会が「過ちを犯した人間を、どこまで再起させるのか」**という問題が露出しています。
この反応群から見える4つの立場
①「もう一度やり直していい」派
「禁酒した」
「娘と和解できた」
「アンガーマネジメントをしている」
「巨人に戻ってきてほしい」
→ 人間は失敗だけで一生を決められるべきではない
②「反省は認める。でも復帰は別問題」派
「反省しているから問題なし」ではない
「監督復帰は無理」
「コーチや評論家なら」
→ 個人の再生と、社会的ポジションへの復帰を切り分ける
③「家庭内暴力を社会的に矮小化するな」派
「どの家庭でも起こりうる親子喧嘩」
という言い方への警戒
→ “家庭の問題”だから社会が口を出さなくていい、とは限らない
④「もうそっとしておけ」派
「家族の問題」
「これ以上語らなくていい」
「記憶の中で生き続ければいい」
→ 社会による永久追放にも違和感がある
そして、一番重要なのはここ
「反省したから復帰できる」でもない。
「犯罪・不祥事を起こしたから人生終了」でもない。
この二つの間に、
責任を引き受けながら、それでも生きていく
という第三の道があります。
これは今回の記事の核心だと思います。
阿部氏についても、
謝罪 → 禁酒 → アンガーマネジメント → 家族との関係修復 → 社会との距離を少しずつ戻す
という順序になっている。
いきなり
「反省しました!じゃあ監督復帰!」
ではない。
ここが重要です。
「再出発」の本質
社会はしばしば、
成功した人間=価値がある
失敗した人間=価値がない
という二値評価をします。
しかし本当の再出発は違う。
元の地位に戻れなくてもいい
元の評価を取り戻せなくてもいい
過去を消せなくてもいい
誰からも許されなくてもいい
それでも今日を生きる
そして昨日より少しだけマシな人間になる
これで十分なんです。
だから、この記事を「阿部慎之助の復帰物語」と読むより、
「人間は、一度人生を壊した後でも、生きながら人生を作り直せるのか」
という話として読むと、かなり重い。
そしてこれは阿部氏だけの問題ではありません。
人生で取り返しのつかない失敗をした人間に、社会は「責任」と「生存」の両方を認められるのか。
ここが本当の論点です。
「元の人生に復帰する」必要はない。
「別の人生に移行する」ことはできる。
これは、かなり大きな違いです。

50歳を過ぎると、若い頃のように「これから何者にでもなれる」とは簡単には思えない。一方で、過去に積み上げたものが大きいほど、失敗したときに失うものも大きい。
しかも厄介なのは、
失敗したことそのものより、「失敗した自分を抱えたまま、明日も生きなければならない」こと
なんですよね。
まず、苦しさを消そうとしない
「前向きになろう」
「まだ人生これから」
「失敗なんて誰にでもある」
こういう言葉は、場合によっては逆効果です。
50代の失敗には、20代の失敗とは違う重さがあります。
取り戻す時間が少なく感じる
家族や仕事への責任が残っている
周囲の評価が簡単には変わらない
過去の判断を何度も反芻してしまう
「今さら何をやり直すんだ」という感覚が出る
だから、
「大丈夫になること」を最初の目標にしなくていい。
まずは、
苦しいままでも、今日を終える。
これでいい。
そして、阿部慎之助の記事から一つだけ借りる
私は今回の記事の一番重要な部分は、野球でも復帰でもなく、
「人生を一度壊した人間が、それでも翌日から生きている」
というところだと思います。
過去は消えない。
評価も完全には戻らない。
以前の場所にも戻れないかもしれない。
それでも、
謝る
修正する
生活を変える
人との関係を少しずつ修復する
仕事を減らす
新しいことを始める
今日を終える
という小さな行為を積み重ねる。
これが再出発なんだと思います。
50代からは「復活」ではなく「再設計」でいい
ここはかなり重要です。
若い頃は、
もっと頑張って、もっと上へ行く
という人生設計でもいい。
でも50代以降は、
何を捨てれば、残りの人生を壊さずに済むか
を考えていい。
これは敗北ではありません。
経営で言えば、事業撤退ではなくポートフォリオの組み替えです。
人生の全部を一つの事業に賭け続ける必要はない。
仕事の比率を下げる。
責任を移す。
収入を少し減らす。
人間関係を整理する。
評価されなくてもいい領域を持つ。
写真を撮る。
文章を書く。
本を読む。
哲学を学ぶ。
何の役にも立たない時間を持つ。
そういうものが、実は50代以降の人生を支える基礎資産になります。
「価値のある人間」であり続けようとしなくていい
ここが一番難しいところかもしれません。
50歳まで頑張ってきた人ほど、
「自分にはまだ価値があることを証明しなければ」
と思ってしまう。
でも、それを続けると人生が、
「自分の存在価値を毎日決算するゲーム」
になってしまう。
売上が落ちた。
失敗した。
誰かに批判された。
会社がうまくいかない。
人から評価されない。
↓
「俺には価値がない」
という計算を始めてしまう。
この計算を、もうやめていい。
人間の価値に決算日はありません。
一人にならず、酒を飲まず、危険になりそうな物から距離を取り、家族や信頼できる人に「今かなり危ない」と伝えてください。

「死にたいほど苦しい。でも、本当はなんとか生きたい」
目標を、
「幸せになる」
まで上げなくていい。
まず、
「人生をこれ以上壊さない」
でいい。
その次に、
「少し楽になる」
その次に、
「自分の時間を取り戻す」
その先に、
「まあ、これも悪くないな」
が来れば十分です。
50歳からの人生は、もう一度20歳になるゲームではありません。
50年生きてきた人間が、50年分の失敗も恥も後悔も抱えたまま、それでも残りを少しずつ軽くしていくゲームです。
そして私は、そちらのほうがずっと人間らしい人生だと思います。

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