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『源氏物語』<古文>覚え書き/第14帖『澪標(みをつくし)』

第14帖『澪標(みをつくし)』
 巻名は、
《古歌》「わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」
(どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じこと。難波にある澪標ではないがわ身を尽くしても逢おうと思う)
に由来
 
《和歌》「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな」(光源氏)
(命をかけてあなたを恋い慕う証拠に、こうして今日難波で再会するとは、前世からの深い宿縁によるのですね)
 
《和歌》「数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ」(明石の君)
(人数でもない私は、何につけてもかいないこととあきらめていますのに、どうして命をかけてあなたをお慕いすることになったのでしょう)
 
◇光源氏28歳冬~29歳◇
<物語の流れ>
   朱雀帝(32歳)退位
   藤壺(34歳)の子冷泉帝(11歳)即位、藤壺女院(准太上天皇の待遇)に
   ※「女院」・・・帝の母、三后(太皇太后、皇太后、皇后)、内親王への尊称、院(上皇)に準じる待遇
   光源氏 →内大臣に
   明石の君(22歳)→住吉詣で偶然仰々しい光源氏の行列と遭遇 →身分の差を感じる →源氏の子明石の姫君(後の明石の中宮)出産
   六条の御息所 →娘とともに伊勢より帰京後、出家、死去→娘の斎宮(梅壷の女御)を光源氏に託す
 
<書き出し>
 「さやかに見えたまひし夢の後(のち)は、院の帝(みかど)の御ことを心にかけきこえたまひて、いかで、かの沈みたまふらむ罪救ひたてまつることをせむと、おぼし嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそぎしたまふ。神無月(かむなづき)に御八講(はこう)したまふ。世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。」
 ((桐壺院が)まざまざと現われなされた夢の後は、故桐壷院のことをお心に掛けられて、「いかにして、あの陥っていられる罪から救って差し上げたらよいのであろうか」と思い嘆かれましたが、このように帰京されてからはご準備を急がれました。神無月に法華八講をなさいました。誰もが心を寄せてお仕えすることは、昔のようです。)
 
<澪標(みをつくし)>
 往来する舟のために水路の目印として立ててある杭(くい)のこと、「水脈(みを)つ串(くし)」の意。「つ」は「の」の意の古い格助詞。
 難波の淀(よど)川河口のものが有名。昔、河口の港では土砂の堆積で船の航行が難しく座礁の危険があるため、水深娥深く航行可能な場所(澪)に立て航路を示したもの。
 和歌では、「わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢(あ)はむとぞ思ふ」(元良親王(890-943)『後撰和歌集』)のように、「身を尽くし」にかけ、また、「難波」と呼応して詠まれることが多い。

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