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「やけんモテんと思う」

なぜこれが流行語大賞を獲れなかったのかと思ってしまうほど、現代の女性を象徴する名言(迷言)だと思っています。
「やけモテ」「やけんモ」などの短縮形はもはやネットミームとして大成し、さらには女性自ら「伝家の宝刀」とすら評価する始末。
ここではその意味合いを紐解いてみたいと思います。

震源地

ドキュメンタリー番組『Nontitle』第2話「女なめんな!マジで無理!」における、女性起業家である平川愛里菜氏の発言。
議論が白熱し、理詰めで責められ劣勢となった平川氏。議論で投げ返す言葉は意図的になのか意図せずになのかはわかりませんが、「論」ではなく「人格攻撃」にシフトしていきます。

平川「その笑い方ムカつく」
平川「ひとを小馬鹿にする感じやめた方がいいと思う」

そしてついに感情が爆発した平川氏は番組内で対談した男性に対して言い放ちました。

平川「やけんモテんと思う」

悔しさに涙を交え、額に青筋を立てて発言したこの姿から、平川氏は当時のピンク色に染め上げた髪色とあわせ「青筋ピンク」という異名を獲得しました。

討論相手の男性は最後にこう〆ます。
「あのね、大人で涙流すのダサいんでやめた方がいいですよ。涙は我慢できるんで。男の暴力と女の涙はイコールなんでやめた方がいいですよ」

「モテない」は有効打になるのか?

もちろん、議論の場において「お前の母ちゃんデベソー!」なんて発言は有効打になるわけがありません。それは討論相手の男性が言った通りです。

議論で勝てないので「涙」という暴力で制圧する。論理的に反論できない、お手上げである、という白旗になってしまうのですから。将棋で王手をかけられて、将棋盤をひっくり返すようなものです。

そして着目したいのが「モテる」という軸です。
「女性から人気を博すること」というのは社会的に正義なのか。はたまた「女性から嫌われること」は人間的価値の高低や、男性の沽券にかかわることなのか。

もちろんそれを「人生の軸」とする人もいるでしょう。
女性にモテること、一夜を共にした女性の数を自慢げに語る男。
でもそんな男性は決して大多数ではないし、いま討論している相手がその「モテ軸」を重視している男性かどうかはわからない。
なのに平川氏はとっさに「そんなんじゃ、あなたは女性から好かれなくても 仕方ないですよね」という趣旨の発言をした。

この発言は裏返せば「女性から好かれるためには、もっと女性に優しくしなきゃダメだよ」という意味になります。理詰めという暴力で殴られた平川氏が、その暴力に対抗するために放ったのがこの「やけモテ」であり、涙という「女の暴力」なわけです。

伝家の宝刀「やけモテソード」

この「女性にモテるかどうか」という軸を女性が重視するのは別記事で記した「被愛妄想」をベースとすることでスムーズに理解できます。
「全ての男は女性を欲しているので、それが手に入らないことは男にとって死活問題である」という図式ですね。
これは「私の機嫌を損ねたら、ご飯抜きだよ!」というモラハラ図式でもあるのですが、いかんせん男性側は「んじゃ吉野家で牛丼でも食ってくるわ」となるだけなので、実際にはノーダメージ。
それどころか「私がご飯をあげないとアナタ、飢え死にしちゃうんでしょ?」と勘違いしている女性の滑稽さが浮き彫りになるだけなんですけどね。
そのナマクラ刀、しまったら?

反転術式「ヨメもら」

この「やけモテ」という発言。ネットでは様々な形で頻出しています。
「ロクな女性と付き合ったことないんだね」とか「これだから童貞は」とか「ひとりでシコッてろ」とか。
もちろんこれらは「私は論で言い返せません」という降伏宣言なので、ただの「威勢のいい断末魔」くらいのものなのですが。
武器にできるものを使い果たしたときに最終的に縋るのが「女性性」や「性的価値」であるところに、もの悲しさを感じます。

私はあるとき「やけモテ」の構造にふと気づいて、ミラーリング画像をポストしたことがありまして。それなりに好評をいただいきました。

反転術式「ヨメもら」

自分が好ましくない思っただけのことを「男性全体があなたを評価しないよ」と置き換え、人格攻撃をする男性。しかもそれを「ストライクゾーン外の男性から言われる」というミラーリングですね。

お見合いの席で相手から、仲人からこれを言われるならまだしも。
議論の場やビジネスの場でこれを言われることを想像すると、女性の皆さんはどのように感じるでしょうか。
まさに昭和オヤジのセクハラ発言ですし、「女は男に選んでもらってナンボ」というド昭和の価値観ですよね。

女性がレスバの最後に発した言葉。
それが「やけモテ」発言であるなら、それは降参の合図なのです。