描写 そこに現れるもの
エッセイを書いている。これまでにこのnoteに63本書いた。
なぜ書くのか。理由は色々ある。
自分のこれまでの人生を振り返ってみたいとか、絵を描くのも少しだけ疲れたから、などだ。
別に何か信念があるわけではない。
文章を書くのは嫌いじゃない。以前、自分の受験生時代を『赤レンガの門』という短編小説にしたことがある。
当時の体験をフィクションを織り交ぜながら書いた。素人の文章なので、そのクオリティは大したことはない。
それでも何かを書き上げるというのは気持ちがいいし、達成感がある。
そのくらいのころから、文章を書くのが好きになった。
僕は絵を描く時、具体的なモチーフを描く。それを具象とか、写実とかという。
先日テレビを見ていたら「言葉で描写する」というワードを聞いてはっとした。言葉で何かしらを描出するということだ。
それって、絵と変わらないのではと思った。面白いと感じた。絵具を使わなくても、言葉があれば描写ができる。
描写には上手い、下手がある。絵でも文章でも上手い描写ができたらいいなと思う。
でも、もしかしたら技術ではなく、自分自身を深めていくことの方が、遠回りではあるけれど、絵も文章もよいものができるのかもしれない。
結局は頭の中にあるイメージや考えていることを、絵具や言葉に置き換えるのだから、その大本の本人がしっかりしていないと、きっと小手先のものになる。
目の前にあるリンゴを見ても、思い浮かべることは人それぞれだ。それはその人の経験や思い出と密接に結びついている。
出来上がったものから、最終的には自分が立ち上がってしまう。
絵を見た時、文章を読んだとき、その根底にあるものこそ大切なのかもしれない。
エッセイを僕は100本書こうと決めている。それを書き終えたとき、そこから何が立ち現れてくるだろう。
楽しみなようでいて怖い。
