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修学院離宮

2023年7月の酷暑に
1時間の拝観コース

西沢文隆小論集3より
修学院離宮(江戸初期)
修学院離宮は、叡山に達する雲母坂(きららざか)の上り口の要衝にある。

ここはもともと叡山の荘園であった。
兼好法師もかつてこの地に草庵を営んでいたという。
 
上、中、下の三つの御茶屋を含む全体が修学院離宮である。
なぜこのように三つの飛地から成り立っているのかは明瞭ではない。
 
本来、庭は人が自然を己れの意志にしたがわせるものではなく、
そのまま放置すれば弱肉強食の醜い姿になりかねない自然を、
より心地よく人の琴線に触れてくるように、
できるかぎりつつましく自然を支え育てるべきものと思われるのである。
 
修学院離宮の御庭は下、中、上と三つ独立した池泉庭園を
稚松(わかまつ)の苑路で結んだもので、
庭を繋ぐこの苑路で田園風景を楽しむことができる。
 
この苑路の並木状の稚松は明治時代にできたもので、
それまではただ単に三庭園を結ぶだけの道にすぎなかったようである。
 
これは現在どこにも見られない素晴らしい発想と感じるものであるが、
ごく自然にできたものである。
 
上の御茶屋では浴龍池の廻りを逍遥して庭を観賞する。
ときに小暗い木の下をゆき、
大刈込みの間を縫って上る。
 
庭は苑路をゆくにしたがって見え隠れするし、
苑路のところどころに茶屋がしつらえられている。
 
にもかかわらず、これは多分私の提唱する意味での「廻遊式」ではない。
それよりも水が全園を貫ぬいて血管のように流れ、
どこにいても水面の光と水音とを聞く点にこそ、
天下に名だたる名園と称すべき所以があろう。
 
王朝時代に京都の町を貫ぬいて水が流れていたようにそれは流れ続け、
かなりの傾斜をもつ土地柄だけに水の流れもひとしお観者の心に響いてくるのである。
 
そしてなによりも素晴らしいのは、
自然の地形を極度に生かし、
自然を庭園にとり込む雄大なその構想であろう。
 
庭は桂ほど建築的でなく、
ディテールの磨き上げも足りないが、
むしろディテールを簡略化して大自然を生かし楽しむ方が、
本当のこれからも生きる庭園といえるかもしれない。

京都から大阪阿倍野のハルカス遠望


0283・庭園012/修学院離宮/230730

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