【日常エッセイ】推しを推しで埋める。
12年ほど推したバンドが活動休止した。
頭では分かっているつもりだったのに、
なんだか時間差でじわじわと自覚してきている。
何をしていても、それを考えてしまう。
そんな中、
友人から布教され借りていたアイドルグループのライブを、なんとなく再生してみた。
きっと、気を紛らわせたかったのだと思う。
でも、見終わって残ったのは意外な感覚だった。
「あぁ、やっぱり私はライブや舞台の世界が好きなんだ。」
推しが変わったわけじゃない。
寂しさが消えたわけでもない。
それでも、
誰かが本気で表現する姿を見ていると、
不思議と元気をもらえた。
昔の私は、ひとつのものに寄りかかっていた。
恋愛だった時期もある。
洋服だった時期もある。
だから、
それがなくなると、
自分まで一緒になくなってしまう気がしていた。
でも今は違う。
好きなものが増えた。
音楽も、ドラマも、本も、博物館も。
このnoteという場所、お気に入りのお茶、
他にもたくさん。
「好き」という手すりがひとつではなくなった。
だから悲しくない、ということではない。
活動休止という事実は今この瞬間にも、
痛いほど響いているのだ。
ふと思い出しては、胸がぎゅっとなる。
でも、その一方で知っていることがある。
これまでの生きてきた中でも、
いくつもの「なくなる」を経験してきた。
学校を卒業したこと。
大切な人と離れたこと。
好きだった場所がなくなったこと。
最初は違和感ばかりだったのに、
少しずつその生活に慣れていった。
あの時も、なんとかなった。
だから今回も、きっとなんとかなる。
それは希望でもあり、少しだけ寂しくもある。
今こんなに大きな存在も、
いつか日常の中へ溶けていくことを知っているからなのだと思う。
だけど、
その経験があるからこそ、
今日も別の「好き」に手を伸ばせた。
“推し”を“推し”で埋めたと感じていけれど、
“好き”を“好き”で再確認したみたいだった。
本日も読んで頂きありがとうございます。
息子たち用に買ったアンパンマンパッチ。
汗ですぐ剥がれるので私が使ってみたら、
「すごい!!スースーする!痒くない!」
夫に「スースーはしないと思う」と言われました。
思い込みってすごい。
「病は気から」って、こういうことかも…。
