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今年もまた、人類は溶けていなくなった

夏休みが始まると、朝のバスから学生が消える。もしかしたら、ただそれだけのことなのに、街全体の音量がひとつ下がったように感じる。理由なら分かっている。夏休みだから酷暑だから、どこか旅行にでも出かけているから、東京から何らかの理由で人が減っているから、もしくは暑いから家から出ない人が増えるから、だろう。これは統計的にか、何的にか、何らかの説明のつく現象だと頭では理解している。だが身体は、脳の中は、その説明を信じたがらない。人のいない街を歩くたび、私はやはり、人類が真夏の日差しに炙られて溶けてしまったのだと感じる。

去年も東京の真夏から人々が去った際に、同じようなインスピレーションから、noteを書いた記憶がある(そのnoteは有料でありながら見せられたクオリティではないので最下段にひっそりと置いておくが、一年前ともなると使う言葉も違えば、同じ題材でも仕上げ方が大きく違う)。セミの声、焼け跡のない静けさ、自分だけが呼吸しているかのような奇妙な生存感。書きながら、去年も同じ光景を見た、と思い出せる、その既視感に今年も苦笑する。あれからまた一年経って、気怠い酷暑が蘇り、今年もまた、同じ景色の前に立ち尽くしているというわけだ。東京において、人がいない街と言ってしまうと大げさではあるが、普段なら人がいるところにいない、その感覚には毎年襲われる。またそれは何度見ても見飽きないような、またこの感覚を書こうと思わせるものがある。むしろ毎年、人々は人類は、少しずつ違う滅び方をしているようにも見える。

今年も出会う、この街の無人ぶり。これだけ人がいなくなるのなら、自分の仕事も、暇でいいのではないか。そもそも人がいないということは客がいないのだ。売り上げだってそんなにあげなくたっていいだろう。そんな都合のいい許可証を、誰に頼まれたわけでもないのに、自分で自分に発行し始めている。誰も見ていない街で、誰にも求められていない許可を、勝手に自分に与える。人がいないのだからと、人類の消滅を理由に、頑張らなくてよいと自分で自分を赦し、甘やかす。滑稽だと思いながらも、酷暑が故に、その滑稽さを手放したくない、そんな自分がいる。

そんな自分が真夏と共にいる。

この続きは、その許可証の正体と、

同じテーマを何度も書くことについて。

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