見られていないようでアナタのnoteは見られている
翌日になっても、昨夜の違和感は消えなかった。依頼主である娘に、例の画像データを渡し、残りは「特に問題ありませんでした」と言って引き渡した。その一言が、自分の口から出たとき、その音は我ながら軽薄なものだった。あまりに抜けの悪い響きだった。噓は口に出す前より出したあとのほうが軽い。てんで軽い。この軽さは、常に不気味だ。嘘はその場でバレなかったとしても、いつかは必ずバレる。てんで軽い、その軽薄なトーンもいつか嘘がバレるときの真偽判断材料の一つともなり得る。いや、嘘はバレる云々を話す以前に、俺の言っていることはマジで嘘だらけだ。仕事の一環として初期化されるはずのものが、初期化されずにそのまんま引き渡された。もう、知ったことか。プロ意識なんか端っから俺には無い。あった試しがない。そう居直るしかなかった。
事務所に戻り、俺はもう一度、あの検索履歴を開いた。仕事は終わっている。渡すべきものは依頼主に渡した。だが未だ引っかかるのだ。どうにもこの指は、止まらない。
デジタル遺品整理士、という単語での検索はおかしい。調べていて覚えた単語を入力してみたとも考えられるが、単純な一般名詞的な調べ方とは言えない。検索クエリを時系列で並べ直すと、明らかに絞り込みの過程が見える。最初は「スマホ 遺品 業者」という漠然とした言葉。それが数週間かけて「デジタル遺品整理士 note」「デジタル遺品整理士 ブログ 書いてる人」というふうに、具体的な人物像へと収束していく。
故人は業者を探していたと思っていた。しかし、痕跡をよくよく見ると、それは違う。故人は、俺という書き手を探していた。
何故だ。検索の先にインターネットの閲覧履歴が残っていた。noteのドメイン。しかも俺のアカウントページではないか。開いていた記事は一本ではなく多数に渡り、デジタル遺品整理士に関する投稿は、すべて読まれていた。
背筋が冷えた。あのデジタル遺品整理士に関する投稿の中で、例の妻の自宅の最寄り駅、乗り換えの要る場所であること、マンションの階数、角部屋の灯り、そして配信直後についた妻本人のコメントの内容まで、俺の中ではぼかして書いたつもりだったが、どれも実際に知る者が読んでいたとしたら、そう考えると何もぼかされてはいない。普段のアクセスの少なさが俺の感覚を盲目にした。読者にはただの独白のように見えているつもりだった。だが、あの一家について何かしらの心当たりのある人間が読めば、住んでいる場所も暮らしぶりも、驚くほど正確に辿り着けてしまう程度の書き方だった。俺はいつも、そのぎりぎりのラインを楽しんでいたような節がある。俺のnoteは人気アカウントじゃない。アクセスも多くはない。バレないという自信の前に、バレるという危惧すら感じたことがなかった。今回背筋は冷えたわけだし、バレたら困ったわけなのだが、むしろバレて欲しいとすら思っていなくもない浮ついた感覚で書いていた。なんという矛盾を抱えた男なのだ。俺は病気なのかも知れない。
故人は、そこに書かれた妻の姿を、おそらくは実在の誰かと重ねていた。
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