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「港区・六本木」の歴史 なるべくしてなった魔性の街(半分無料で読めます)

こんにちわ、浅川千です。
都会的なものとは正反対を志向してきたはずの私ですが、どういうわけか、人生の各段階で所属した組織の本拠地がことごとく六本木周辺でした。

内心で「アクセスが微妙によくない」「坂が多すぎる」「賑やかなのは表通りだけで虚飾の権化のような場所だ」などと文句を垂れつつ、気づけばかなりの時間をこの街で過ごすことに…。

そうしたご縁から、六本木関連の記事を書く機会を何度かいただきました。調べていると、この街がじつにおもしろい成り立ちをしていることがわかってきたのです。

……虚飾の街、六本木。
浮わついたベールの奥に隠れていたのは、激動の時代を懸命に生き抜く人々の姿でした。


海岸に人が住みつく(先史時代)

地形的に見ると、六本木周辺は台地の端にあたります。坂や階段が多いのは、断崖に街ができたからなんですね。そして縄文時代までさかのぼると、台地の下は海だったのです。

縄文時代は海水面が今より高く、「海進」という状況でした。六本木は、目の前に海が広がる海岸だったのです。

海面が5m高い場合の六本木周辺の海岸線
※青→薄青(ここまでが海)→白→黄→緑→橙→赤の順に標高が高くなる

縄文海進の時代の海面は現在よりおおむね5m前後高かったとされる。
ただし厳密には場所によっても差があり、当時の海岸線については諸説ある。
目安として国土地理院の地図をもとに現在の海面を5m上げるとこのようになる。
麻布十番は入り江で、愛宕山や芝公園はちょうど岬になっている。

六本木周辺では貝塚が見つかっており、縄文時代にはこの辺りに人々がいて、海から食料を得ていた姿が浮かび上がります。

伊皿子貝塚いさらごかいづかの一部(三田台公園)
伊皿子貝塚は三田4丁目にあった縄文時代後期の貝塚。
一部が三田台公園や港区立郷土歴史館に保存されている。
江戸村のとくぞう, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76089094による

一帯からは弥生時代の集落跡や古墳時代の古墳も見つかっており、どの時代も人が住み続けていたようです。

芝公園にある芝丸山古墳
4世紀~5世紀の建造と考えられている。
Saigen Jiro, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29955510による

地名や伝承に残る断片的な記憶(古代)

歴史時代が始まっても、9世紀頃まではこの辺りの地名が出てくる歴史資料はほとんどありません。

ただ、飛鳥時代、大化の改新の頃から国郡郷制が導入されると、現在の港区一帯は「荏原郡」に編入されたことがわかっています。

平安時代の10世紀に書かれた『和名類聚抄わみょうるいじゅしょう』によると、荏原郡に「桜田」という地名があったとされ、現在の青山から芝までの六本木を含む地域がそれに該当すると考えられます。

江戸城の桜田門
かつてこの辺りが桜田郷と呼ばれていたことに由来している。
KENPEI - KENPEI's photo, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1980980による
桜田神社(西麻布3丁目)
1180(治承4)年、現在の桜田門の近くに創建。
江戸城の建築に際して現在地に移転した。
源頼朝が桜を植えたことが由来と伝わるが、桜田という地名は頼朝より古い文献にもみられる。
Beryllium Transistor, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=127783810による

いつからそう呼ばれていたのかはそれぞれ諸説あるものの、明治時代の時点で六本木の周辺にあった地名の由来を探ると、どのような場所だったのか類推できます。一例をあげると、

  • 飯倉:穀物の倉を意味し、伊勢神宮の直轄地「屯倉みやけ」があったことが由来。

  • 龍土:かつては入り江で漁師が住んでいたため、猟人かりうど村と呼ばれていたことに由来。

  • 麻布:由来は諸説ある。一説には、浅く草が生い茂る場所だったことから「浅生」になったとか。

  • 広尾:もとの地名は諸説あり。江戸時代後期の時点で広尾原ひろをのはらという野原だった。

こうしてみると、六本木の周辺は内陸に原野が広がる海沿いで、ところどころには古くから人が住みついていたことが浮かび上がってきます。

周辺の寺社の縁起などを見てみると…。

六本木西側の麻布台地にある善福寺は、麻布十番に栄えた門前町の中心。伝承によると、平安時代の824年に弘法大師が創建したと伝わります。

善福寺(元麻布1丁目)
麻布十番にある浄土真宗の古刹。
境内には福沢諭吉などの著名人の墓も。
Degueulasse, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39537274による

こういった伝承も、古くから人が活動していた場所だったことを反映しているといえるでしょう。

周辺で東国武士が活躍する(平安時代~中世)

平安時代中期、関東で平将門が活躍した時代に、源経基という人物が武蔵国麻生にいたことが記録に残っています。経基は清和天皇の孫で、清和源氏の始祖。そしてこれが、「麻布」という地名の最初の記録と考えられます。

源経基みなもとのつねもと
清和天皇の孫で、源頼朝や足利尊氏などの先祖。
938(承平8)年、武蔵の国司として赴任し、その翌年、平将門の反乱が起きた。
麻布氷川神社(元麻布1丁目)
942(天慶5)年、将門の乱を平定するため源経基が東征した際に創建されたと伝わる。
近年ではセーラームーンの聖地に。
Higa4, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=136851541による

当時の東国は、都からみれば辺境の地だったでしょうが、天皇の縁者が居を構えたということは、東国のなかではよい場所とされていたのかもしれません。

その後も、南北朝時代に白金台に屋敷を構えて地名の由来になった「白金長者」の伝説などがありますが、六本木という地名そのものは、江戸時代になるまで登場しません。

国立科学博物館附属自然教育園(白金台5丁目)
武蔵野台地に広がる緑地。
室町時代の豪族、柳下上総介がここに館を構え、白金長者と呼ばれたと伝わる。
園内にはその遺構とみられる土塁が残るほか、縄文土器や弥生土器も発見されている。
Daderot, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39041709による

原野から武家屋敷街・門前町に(江戸時代)

1626年(寛永三年)、2代将軍・秀忠の正室・ごう(崇源院)の火葬が、浅府あざぶとよばれる原野で行われました。

ごう小督おごう、崇源院)
浅井長政とお市の娘で、織田信長の姪。
徳川秀忠の正室、3代将軍・家光の生母となり、さらに現在の皇室の先祖にもなった。

その三回忌を担当した4人のお坊さんが、火葬が行われた場所に土地を与えられ、4つのお寺が建立されました。それが、現在の六本木交差点付近。その周りに門前町が発展していったのです。

深広寺(六本木7丁目)
六本木駅から徒歩1分、秀忠夫人・江の火葬が行われ、その灰塚があった場所に建っている。
同時に建立された4つの寺のうち、正信寺は現在は小石川に移転。
光専寺・教善寺は今も六本木交差点近くにある。

六本木という地名がいつ、どういったいきさつでつけられたのかははっきりしません。江戸時代の書物には「昔、六本の松の木があったという伝説があるが、いつどこにあったのかは不明」と書かれています。

「麻布で気が知れぬ」という洒落しゃれからも、江戸っ子から「麻布に六本木という場所があるが、実際にはそんな木はどこにも見当たらないじゃないか」と思われていたことが伺えます。

ほかに、以下のような説も…。

  • 上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳という、木に関連した苗字の武士の屋敷が六軒あった

  • 江戸六方の男伊達おとこだてが住んでいたので六方気とよばれるようになった

  • 火葬された江の荼毘だびのため、梵語(サンスクリット語)で旡方気(平穏の場所、という意味)でよばれた

…しかし、いずれも憶測にすぎないようです。

いずれにしても、江戸時代が始まった時点で原野や田畑が広がっていた六本木一帯は、江戸時代の終わりには大部分に武家屋敷が建ち並び、一部に門前町が広がっている状態でした。

毛利庭園(六本木6丁目、六本木ヒルズ内)
毛利家(長州藩主の分家)の上屋敷があった。
1703(元禄16)年には、お預けとなっていた赤穂浪士10人がここで切腹している。
Wing1990hk, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40673324による
けやき坂(六本木6丁目、六本木ヒルズの中央)
かつてこの一帯は谷で、江戸時代には日下窪ひがくぼ町、麻布宮村町とよばれていた。
下級武士たちの副業として、湧き水を利用した金魚の養殖が盛んになった。
Kakidai, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=156282524による

国際都市化が始まる(幕末)

日米修好通商条約が結ばれた翌年の1859(安政6)年、先ほども登場した麻布の古刹・善福寺に、アメリカ公使館が置かれました。

善福寺にあるタウンゼント・ハリスの碑
アメリカ公使館がここに設置され、初代駐日総領事ハリスも寄宿した。
By Daderot, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38509422

これを機に各国の公使館などの施設が周辺に続々と設置されていきました。現在、六本木周辺に数多くの大使館が建ち並ぶようになったのは、こうした経緯によるものだったんですね。

駐日スウェーデン大使館(六本木1丁目、2023年)
六本木周辺には約80か国の大使館がある。
By Senkaku Islands, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=90138167

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