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“見返り”の手前にある大切なもの

ネ申かみは仰いました

「期待などするでない。期待するから、裏切られたと腹が立つのです」

と。

上記は、我が家の「ネ申かみ(妻)」のお言葉です。

そんなネ申は「オマエには1ミリも期待してない」と仰いつつ、

無職であちこち放浪している僕なぞに、ご飯を用意してくださるのです。

本当に有難き「ネ申」です。

凡人の僕には、そんな境地に立つことは難しいです。

誰かに何かをすると、つい見返りを期待する心が、どこかでかすかに湧き起こることもある。

「龍光ポスト」宛に頂いたご相談に、自分なりに心を込めてお返事を書いても、お返事が返ってくることは稀です。

僕のお返事が、役に立たぬ内容だったからなのかもしれません。

でも、たくさんのご相談にお返事して、なーんにも反応がない状態が続くと、時にふと心の隅っこで思うのです。

「有難うございました」の一言でももらえたら嬉しいのになぁ、と。

そんな「見返り」への淡い心が生まれることもあります。


でも、実は大切なことが、見返りの前ですでに起きている。

そう思うのです。


誰かに何かをプレゼントしようとする時、

「何をプレゼントしようか」と考えている時に、相手の喜ぶ顔を想像して、
自分が嬉しくなることはないでしょうか。

人間には、誰かに何かをしようとする、その行為の時点で、
自分の中に喜びが生まれるものなのではないでしょうか。

相手が嬉しそうにしている顔を見ると、こちらも嬉しくなる。
それは生まれたての赤ん坊でも見せる反応だという実験結果があります。

脳には、相手の感情を見たり想像して、自分も似たような感情が生まれる
鏡のような働きがあると言われてます。

相手が喜びそうな何かをする時点で、自分の中にも、喜びの感情が、
わずかながら生まれているものなのかもしれません。

でも、すぐに「相手からの見返り」に注意が向くと、
自分の中で生まれている「良いことができたという喜び」が見えなくなってしまう。

そういうものではないかと思うのです。

相手のためになりそうなことをしても、見返りなど期待するな。
そんな聖人君主なことを言いたいのではないのです。

先のことばかり注目していると、足元に注意が及ばなくなるように、
見返りばかり気にしていると、自分の行為で起きた喜びに気づきにくくなる。

まずは、良きことをできている自分の心をじっくり味わえると、それだけでひとまず自分はささやかな幸せを感じられる。

だって、良きことをできる自分でいられたのですから。

そして、もしかしたら、お相手も喜んで「有難う」と言ってくれるかもしれない。
そうしたら、「二度うれしい」。

そんなふうに感じています。


それでも、見返りは期待してしまうもの。

そこで思うのは、自分が思うほど、自分の感謝や喜びは相手に伝わってない、ということです。

自分のために何かをしてくれている人は、
こちらが思っている以上に「反応」を期待しているものかもしれません。
こちらも、自分が思うほどには、うまく感情を表に出せてないこともあることでしょう。

だから、しっかりと「有難う」と声に出していくことが大切なではと思います。

と思い、ネ申に、

「いつも有難うございます!!愛してます!!!」と大声で挨拶するようにしているのです。

ですが、「うっせハゲ」と睨まれるのです。

何事も、ほどよさ、が大切なのですね。

今日もほどよさを求めた人生の大いなる無職の旅が始まります。
有難きことです。


今日もお付き合い頂き、有難うございました。




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小野龍光 自分にお向け頂くお心遣いは、恵まれぬ方など他の人様に巡らさせて頂くものとしてお預かりさせて頂きます。御心だけで大変有り難いです。有難うございます🙏