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鳴門洋利之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鳴門洋 利之助(なるとなだ としのすけ、1886年11月2日 - 1922年10月4日[1])は、徳島県吉野川市鴨島町出身で中川部屋に所属した力士。本名は藤井 利助。171cm、100kg。最高位は西前頭5枚目。

経歴

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同郷の7代中川(元幕内鬼鹿毛)のもとに入門[2]、1905年1月初土俵。初め鬼見嵜と名乗ったが、幕下時代の1910年6月に鳴門洋と改名している。1913年1月新十両昇進。1915年1月新入幕を果たした。左四つからの寄り・押しを得意としていた[2]。幕内での勝ち越しは1915年6月の4勝2敗1預3休のみであったが、東西制の恩恵を受け、最高位は前頭5枚目で、幕内に10場所在位した。1918年1月から師匠の四股名の鬼鹿毛を襲名したが、その頃から病気に罹り振るわず、1920年1月十両に転落してその場所限りで廃業、2年後に没した。

成績

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  • 幕内10場所30勝52敗15休1分2預
  • 十両5場所14勝10敗2休
  • 番付在位場所数31場所

場所別成績

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鳴門洋 利之助
春場所 夏場所
1905年
(明治38年)
東序ノ口17枚目
– 
西序二段46枚目
– 
1906年
(明治39年)
東序二段32枚目
– 
東三段目58枚目
–[3] 
1907年
(明治40年)
西三段目47枚目
– 
西三段目44枚目
– 
1908年
(明治41年)
西三段目36枚目
– 
西三段目2枚目
– 
1909年
(明治42年)
西幕下40枚目
– 
西幕下34枚目
– 
1910年
(明治43年)
西幕下25枚目
– 
西幕下44枚目
– 
1911年
(明治44年)
東幕下47枚目
– 
東幕下37枚目
– 
1912年
(明治45年)
西幕下17枚目
– 
東幕下14枚目
3–0
2分
 
1913年
(大正2年)
西十両15枚目
3–2 
西十両9枚目
3–2 
1914年
(大正3年)
西十両7枚目
4–2 
西十両4枚目
4–1 
1915年
(大正4年)
西前頭17枚目
4–6 
東前頭16枚目
4–2–3
1預
 
1916年
(大正5年)
東前頭9枚目
5–5 
西前頭5枚目
2–7
1分
 
1917年
(大正6年)
東前頭16枚目
3–6
1預
 
東前頭13枚目
3–6–1 
1918年
(大正7年)
西前頭16枚目
3–7 
西前頭17枚目
4–6 
1919年
(大正8年)
西前頭17枚目
2–1–7 
西前頭17枚目
0–6–4 
1920年
(大正9年)
西十両4枚目
引退
0–3–2
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞     その他:★=金星
番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名歴

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  • 鬼見嵜 利介 (おにみざき りすけ) - 1905年1月場所 - 1910年1月場所
  • 鳴門洋 利助 (なるとなだ りすけ) - 1910年6月場所 - 1913年1月場所
    • 下の名前は幕下在位時「利介」と番付表記。また一部の場所では上の名前で「鳴戸洋」との表記揺れあり。
  • 鳴門洋 利之助 (なるとなだ としのすけ) - 1913年5月場所 - 1917年5月場所
    • 1913年5月場所のみ「鳴門灘」と番付表記(表記揺れと思われる)。
  • 鬼鹿毛 利之助 (おにかげ としのすけ) - 1918年1月場所 - 1920年1月場所

[4]

脚注

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  1. ↑ https://web.archive.org/web/20010115211700/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19150104.htm
  2. 1 2 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社 2001年 p335
  3. ↑ 東三段目最下位。
  4. ↑ 小島貞二コレクション番付実物画像

関連項目

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外部リンク

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