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鮫島重雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鮫島 重雄
生誕 1849年10月21日
江戸幕府薩摩国河辺郡平山村
(現・南九州市川辺町平山)
死没 (1928-04-17) 1928年4月17日(78歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1871 - 1911
最終階級 大将
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鮫島 重雄(さめしま しげお、嘉永2年9月6日(1849年10月21日) - 1928年(昭和3年)4月17日)は、幕末期の薩摩藩士、および明治草創期の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級男爵。任官当初は瀬戸口姓であった。

経歴

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薩摩国河辺郡平山村(現・南九州市川辺町平山)にて薩摩藩士下級藩士・鮫島藤兵衛と尚子の次男として生まれる[1]。幼くして父を亡くして糊口をしのぐ少年期を送り、紺屋に丁稚奉公に出ていた[2]。17歳で瀬戸口家の養子となり、戊辰戦争に従軍。藩より米五百石10年分を下賜される。

1870年(明治3年)夏、藩兵銃士隊より壮兵に志願し、翌年に御親兵として陸軍入り。練兵のかたわら、余暇で麹町の桑山東作の塾に通い数学を学んだ。また、上京当初より西寛二郎、野津道貫、川村景明ら同郷の先輩を訪ねて回り知遇を得た。その中でも西郷隆盛・従道兄弟には目をかけられており、御親兵の廃止後に隆盛の取り計らいで1873年(明治6年)1月から陸軍教導団に入営し[3]、また従道の勧めで工兵の道に進んだ[4]。同6月に陸軍伍長となるが、将校になることを望み辞令を返上、伍長勤務生徒として引き続き在学を許可される。やがて1874年(明治7年)3月、兵学寮に新設の陸軍士官学校生徒に選抜され進学[5]。在学中、台湾出兵に際して従軍生徒の5名の一人に選抜され、台湾蕃地征討軍に編入される[5]。同9月、陸軍少尉試補・東京鎮台工兵第1大隊附。

1875年(明治8年)3月、陸軍工兵少尉に任官、1877年(明治10年)2月から西南戦争に第1旅団参謀心得として出征する。田原坂では自らも兵40人を率いて前線に赴き、民家に火を放ち陽動しつつ敵を背後から突いて陥落させ、なおも前方より射撃を続ける山口素臣の隊に向けて制圧した塁上から号旗を掲げながら発砲を止めさせたとの逸話がある[6]。4月に工兵中尉に進んで正式に第1旅団参謀に命ぜられ、各地にて連絡業務にあたる。9月の鎮圧後もしばらく残務整理のため鹿児島にとどまり、10月に帰還した。

12月より工兵第1大隊に復帰し、1878年(明治11年)2月には中隊長心得となる。1879年(明治12年)3月参謀本部管西局員、1881年(明治14年)4月工兵大尉、1883年(明治16年)2月には近衛師団参謀を命ぜられる。このころ、養父母より軍を辞して家督を継ぐよう求められたが説得の末、養子縁組を解消して鮫島姓に復する[7]。1885年(明治18年)7月に工兵第3大隊長心得、1886年(明治19年)3月陸軍大学校副幹事心得を経、同5月工兵少佐に進んで陸軍大学校副幹事。1887年(明治20年)6月監軍部参謀。1889年(明治22年)近衛師団参謀を経て、1894年(明治27年)6月18日工兵大佐・近衛師団参謀長に進んで1895年(明治28年)4月から日清戦争に出征する。日清戦後は中部都督部参謀長、1897年(明治30年)9月28日には陸軍少将に任官。

1900年(明治33年)4月25日に由良要塞司令官に就任し、1902年(明治35年)5月5日東京湾要塞司令官に移る。1904年(明治37年)9月5日に陸軍中将として大本営附を命ぜられて同10月日露戦争に出征する。戦中の12月1日第11師団長を拝命し、1906年(明治39年)4月1日勲一等旭日大綬章を受章。同7月6日第14師団長に移る。

1907年(明治40年)9月21日、日清・日露戦役の軍功により男爵を授爵。1911年(明治44年)9月6日、陸軍大将昇任と共に後備役編入となる。1916年(大正5年)4月1日に退役した[8]。退役後も14師団の置かれた宇都宮にとどまった[9]。

1928年(昭和3年)薨去。重雄に後継者はなく、爵位は継承されなかった。宇都宮の別邸跡地は宇都宮グランドホテルになった[9]。墓所は宇都宮市報恩寺。

年譜

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栄典

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位階
爵位
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1885年(明治18年)4月7日 勲五等双光旭日章
1889年(明治22年)11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[18]
1891年(明治24年)5月28日 勲四等瑞宝章[19]
1895年(明治28年)12月14日 功四級金鵄勲章[20]
1895年(明治28年)12月14日 勲三等瑞宝章[20]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[21]
1904年(明治37年)11月29日 勲二等瑞宝章[22]
1906年(明治39年)4月1日 勲一等旭日大綬章[23]
1906年(明治39年)4月1日 功二級金鵄勲章[23] 年金1000円
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[23]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[24]

脚注

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  1. ↑ 杉本 1896, p. 135.
  2. ↑ 墨堤 1904, p. 25.
  3. ↑ 鵜崎 1911, p. 261.
  4. ↑ 墨堤 1904, p. 26-27.
  5. 1 2 鵜崎 1911, p. 262.
  6. ↑ 杉本 1896, p. 136.
  7. ↑ 杉本 1896, p. 138.
  8. ↑ 『官報』第1102号、大正5年4月7日。
  9. 1 2 “歴史”. 宇都宮グランドホテル. 2021年7月18日閲覧。 “Internet Archiveによる2021年1月17日時点のアーカイブページ。”
  10. ↑ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  11. ↑ 『官報』第3318号「叙任及辞令」1894年7月21日。
  12. ↑ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  13. ↑ 『官報』第5833号「叙任及辞令」1902年12月11日。
  14. ↑ 『官報』第6445号「叙任及辞令」1904年12月22日。
  15. ↑ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  16. ↑ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
  17. ↑ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  18. ↑ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
  19. ↑ 『官報』第2376号「叙任及辞令」1891年6月3日。
  20. 1 2 『官報』第3741号「叙任及辞令」1895年12月16日。
  21. ↑ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  22. ↑ 『官報』第6426号「叙任及辞令」1904年11月30日。
  23. 1 2 3 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。p1
  24. ↑ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
鮫島(重雄)家初代
1907年 - 1928年
次代
栄典喪失