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関西汽船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関西汽船株式会社
Kansai Kisen Kaisha
種類 株式会社
市場情報
東証2部 9152
1949年5月 - 2009年9月16日
大証2部(廃止) 9152
1949年5月 - 2009年9月16日
本社所在地 日本の旗 日本
〒552-0007
大阪府大阪市港区弁天六丁目7番15号
設立 1942年5月4日
業種 海運業
事業内容 海上運送業
代表者 黒石眞(代表取締役社長)
資本金 21億66百万円(2009年10月)
売上高 単体103億21百万円
連結116億77百万円
(2008年12月期)
営業利益 単体△6億69百万円
連結△7億19百万円
(2008年12月期)
純利益 単体△1億76百万円
連結△2億86百万円
(2008年12月期)
純資産 単体△7億29百万円
連結8億87百万円
(2008年12月31日現在)
総資産 単体85億57百万円
連結106億96百万円
(2008年12月31日現在)
従業員数 単体183名、連結326名
決算期 12月31日
主要株主 株式会社フェリーさんふらわあ 100%
主要子会社 #関連会社参照
外部リンク www.kanki.co.jp
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さんふらわあ あいぼり(別府国際観光港)

関西汽船株式会社(かんさいきせん、Kansai Kisen Kaisha) は、かつて存在した日本の海運会社。

概要

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昭和17年(1942年)設立。前身の大阪商船(現・商船三井)が開設した阪神 - 別府航路などの瀬戸内海航路を中心に旅客・フェリー航路の運航を行っていた。

平成2年(1990年)に商船三井系列となり、平成21年(2009年)9月に完全子会社化。同年10月、同じ商船三井系列のダイヤモンドフェリーとともに、営業部門をフェリーさんふらわあへ移管、平成23年(2011年)10月1日にダイヤモンドフェリーと合併、フェリーさんふらわあ(現・商船三井さんふらわあ)になった。

沿革

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  • 1884年5月 - 大阪商船、瀬戸内航路を主として運航していた55名の船主が、93隻の船舶を現物出資する形で発足[1]。
  • 1907年 - 大阪商船の内航部門を内航部に昇格[1]。
  • 1912年5月28日 - 別府温泉の観光開発を目的とした1,000トン級のドイツ製客船「紅丸」(くれないまる)が阪神 - 別府航路に就航し、隔日運航をする[1]。
  • 1916年12月 - 別府港に大阪商船の専用桟橋を設置し、汽船が接岸できるようになる[1]。
  • 1921年 - 阪神 - 別府航路用として最初に竣工した客船「紫丸」が就航。
  • 1923年 - 「屋島丸」就航、阪神 - 別府航路を毎日1便制とする[1]。
  • 1924年 - 初のディーゼルエンジン船となる2代目「紅丸/くれなゐ丸」就航[1]。
  • 1929年 - 「菫丸」就航、昼夜2便体制とする[1]。
  • 1934年 - 「に志き丸」が竣工し、阪神 - 別府航路に就航。
  • 1936年 - 「こがね丸」が竣工し、阪神 - 別府航路に就航。
  • 1942年5月4日 - 大阪商船の内航部を分離し、宇和島運輸・摂陽汽船・尼崎汽船部・土佐商船・阿波国共同汽船・住友鉱業(現・住友金属鉱山)と共同で関西汽船を設立[1]。
  • 1943年7月15日 - 「浦戸丸」(1326トン)が愛媛県高浜港から大阪港へ向かう途中、北条町(現松山市)の沖合で貨物船と衝突して沈没[2]。死者・行方不明者200人以上[3]。
  • 1945年
    • 5月 - 戦況の悪化に伴い定期運航を休止[1]。
    • 10月7日 - 臨時的に運航を再開、大阪発の再開第1号船「室戸丸」が西宮沖で機雷に接触し沈没[1]。470人が行方不明[4]。
  • 1946年春 - 定期運航を再開[1]。
  • 1948年1月28日 - 阪神 - 多度津航路の女王丸が、瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者・行方不明者183人(女王丸遭難事件)。
女王丸事件の犠牲者
1964年には「ふたば丸」(「舞子丸」を改装)が就航。1974年まで運航された[注 2]。
  • 1965年8月2日 - 大阪から高松へ向かっていた「山水丸」が小豆島沖合でエンジンのシャフトが折れて航行不能になる。付近を航行中の「すみれ丸」に乗客170人を移乗させる措置がなされた[8]。
  • 1967年
    • 7月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に旅客船「あいぼり丸」が就航。
    • 8月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に旅客船「こばると丸」が就航。
      • 3,000トン級客船が最大時6隻体制となった別府航路(瀬戸内航路)は、阪神と九州を結ぶ観光路線として、多くの新婚旅行客などを別府温泉などへと運んだ。
  • 1969年11月 - 加藤汽船と共同で神戸 - 高松航路「ジャンボフェリー」を開設し、第1船「六甲丸」(初代)が就航。
  • 1970年9月 - 神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に第2船「生駒丸」(初代)が就航。
  • 1971年
    • 3月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路にフェリー化第1船「ゆふ」が就航[7]。
    • 6月 - 阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路にフェリー化第2船「まや」が就航[7]。
同航路は毎日運航となったが、両船ともトラックの乗船はできず、乗用車約50台を乗せるのみであった。
  • 1973年
    • 3月 - 神戸 - 日向航路を開設し、「にちなん丸」が就航。
    • 6月 - 阪神 - 奄美 - 那覇航路にRORO型貨客船第2船「若潮丸」が就航。
    • 8月 - 大阪高知特急フェリーの「とさ」を用船、「はやとも丸」に改名の上、小倉 - 松山航路に就航。
  • 1974年1月3日 - 不採算航路整理のため、「沖之島丸」が就航していた阪神 - 奄美航路を休止[9]。
  • 1975年2月26日 - 近海・外航部門を独立して関汽外航(現・関西ライン)を設立、関西汽船は内航部門に専念[10]。
  • 1978年
    • 3月 - 商船三井より「いせ丸」を用船、(後に来島どっくに売船の上用船。)「くろしお」後に「フェリーくろしお」に改名の上、阪神 - 奄美 - 那覇航路に就航。同航路をフェリー化する。
    • 7月 - 経営再建のため、来島どっくが関西汽船の筆頭株主になる[7]。
  • 1979年6月 - 「若潮丸」をクルーズ客船に改造し、「さんふらわあ7」に改名(同社初の「さんふらわあ」塗装)。
  • 1980年
    • 11月 - 来島どっくより 「フェリーこがね丸」を用船、阪神 - 別府航路に就航[7]。
    • 12月 - 来島どっくより 「フェリーにしき丸」を用船、阪神 - 別府航路に就航[7]。
もともと客船指向であったため、本格的なカーフェリーの導入は他社に遅れることとなった。
  • 1982年
    • 4月 - 日本高速フェリー・日本カーフェリーとともに船腹調整案に合意、神戸 - 日向航路を休止するとした[11]。
    • 2月 - 引退した大阪高知特急フェリーの「フェリーかつら」を用船。小倉 - 松山航路に投入し、デイリーサービス化する。
    • 11月 - 神戸 - 日向航路を廃止。「にちなん丸」は来島どっくに売却。改装の上、室戸汽船に「フェリーむろと」(2代)として用船。
    • 12月 - 室戸汽船よりフェリーむろと(初代)を用船、「くるしま丸」に改名のうえ小倉 - 松山航路に就航。「フェリーかつら」は用船解除。
  • 1983年
    • 6月 - 来島どっくより 「クイーンコーラル2」を用船。阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に就航。「ゆふ丸」は係船。
  • 1984年
    • 1月 - 来島どっくより 「くるしま7」(元「黒潮丸」をフェリー化)を用船。阪神 - 今治 - 松山 - 別府航路に就航、「クイーンコーラル2」を「くいーんふらわあ2」に改名。「まや丸」を阪神 - 小豆島 - 高松航路に転配。
    • 12月 - 来島どっくより 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を用船。阪神 - 別府航路に就航[12]。
  • 1987年
    • 3月 - 前年に経営危機が表面化した来島どっくが、関西汽船の経営から撤退することを表明。
    • 4月 - 加藤汽船と共同で阪神 - 高松航路「ジェットライン」を開設し、ジェットフォイル「ジェット7」「ジェット8」が就航。小倉 - 松山航路に「フェリーくるしま」が就航。「くるしま丸」は用船解除のうえ、室戸汽船に変船。
    • 9月 - 小倉 - 松山航路に「フェリーはやとも2」が就航。「はやとも丸」は用船解除、引退。
  • 1990年
    • 6月 - 神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に「六甲丸」(2代目)が就航。
    • 7月 - 大阪商船三井船舶(現・商船三井)が、来島グループだった関西汽船およびダイヤモンドフェリー・室戸汽船に資本参加し傘下におさめる[12]。
    • 11月 - 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」「くいーんふらわあ2」「くるしま7」「フェリーくろしお」を、来島興産(来島どっくの債務管理会社)より22億5,000万円で購入。神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)に「生駒丸」(2代目)が就航。
  • 1991年
    • 3月 - 阪神 - 高松航路(ジェットライン)が1隻運航に減便となる。小豆島寄港を開始する。
    • 8月 - 「くいーんふらわあ2」と室戸汽船の「フェリーむろと」(3代)が神戸沖で衝突。11人負傷。
  • 1992年
    • 8月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ こがね」が就航[12]。同航路には、12月の第2船就航まで「フェリーコスモ」が用船され、1日3便の同航路がすべてフェリー化される。
    • 12月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ にしき」が就航[12]。
  • 1995年
    • 1月 - 阪神・淡路大震災により神戸港が使用不能になったため、復旧まで寄港を一時中止する。
    • 2月 - 阪神 - 松山 - 別府航路を1日3便から2便に減便。阪神 - 小豆島 - 高松 - 今治 - 別府航路を廃止[12]。
これにより、長年大阪側のターミナルとして使われていた弁天ふ頭を発着する定期航路が廃止となる[12]。
  • 1997年12月 - 阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ あいぼり」が就航。
  • 1998年
    • 3月 - 阪神 - 奄美 - 沖縄航路を廃止。
    • 4月 - 明石海峡大橋開通に伴い、神戸 - 高松航路(ジャンボフェリー)の共同運航から撤退、徳島阪神フェリーを廃止する。阪神 - 松山 - 別府航路に「さんふらわあ こばると」が就航。
  • 2000年10月11日 - 阪神 - 小豆島 - 高松航路(ジェットライン)を廃止。
翌12日より五島産業汽船が同航路の運航を開始したが、2006年4月をもって廃止。
  • 2002年6月 - 加藤汽船などとの共同出資で「高松エクスプレス」を設立し高速バス事業に参入。8月5日より「たかなんフットバス号」の愛称でなんば - 高松間で高速バスの運行を開始(南海バスと共同運行)。
  • 2003年4月1日 - ダイヤモンドフェリーと大分 - 松山 - 神戸間の一部共同運航を開始[12]。
当初の共同運航区間は、関西汽船の阪神 - 松山 - 別府航路(上り便)の大分→神戸間のみであった。また、関西汽船の阪神 - 松山 - 別府航路の神戸発着埠頭は、下り便が中突堤、上り便が六甲アイランドフェリーターミナルとなった。また大阪発着埠頭も、かもめ埠頭から南港フェリーターミナルに変更される。
  • 2005年
    • 4月1日 - ダイヤモンドフェリーと「フェリーさんふらわあ共同営業センター」を設立。各種割引の相互利用が可能になる。
    • 9月15日 - 阪神 - 松山 - 別府航路(下り便)の神戸発着埠頭を、神戸ポートターミナルに移転[12]。
    • 10月1日 - 燃料油価格変動調整金を設定。
  • 2006年
    • 3月 - 「フェリーさんふらわあ」共通の会員制度「瀬戸内海倶楽部」開始。
    • 10月1日 - 燃料油価格変動調整金を変更。阪神 - 別府航路の到着地入港時刻を6:20から6:30に10分繰り下げるダイヤ改定を実施。
    • 10月10日 - 大分港が新ターミナルに移転する。
  • 2007年
    • 7月9日 - 「さんふらわあ こばると」が松山市沖でタンカーと衝突。「さんふらわあ こばると」の左舷に亀裂が入り、修理のため1週間欠航となる。
    • 11月21日 - ダイヤモンドフェリーの新造船「さんふらわあ ごーるど」が、阪神 - 別府航路(下り直行便・上り寄港便)に就航。「さんふらわあ こがね」がダイヤモンドフェリー中九州航路に転配。
  • 2008年
    • 1月16日 - 中九州航路寄港便の大分側発着港を大分に変更し、今治への寄港を開始。これにより、別府港を発着するのは直行便のみとなる[12]。また、神戸港の発着場所を六甲アイランドフェリーターミナルに集約し、神戸港ポートターミナルを発着する国内航路が消滅。
    • 7月8日 - 大阪南港の発着埠頭を、南港フェリーターミナルからアジア太平洋トレードセンターに移転、「南港コスモフェリーターミナル」とする[12]。
  • 2009年
    • 3月18日 - 商船三井による株式公開買付け (TOB) の実施が発表され、関西汽船が同意。同年4月13日、商船三井に対して第三者割当増資を実施し同社の連結子会社(株式保有比率は63.88%)となる。同月27日、TOBが成立(同社の株式保有比率は89.11%)。株主優待割引乗船券(40%割引)は3月末発行分をもって廃止。
    • 6月1日 - 寄港便の今治・神戸寄港が無くなる。また寄港便の上り便の到着港が、南港フェリーターミナルに戻る(出航は南港コスモフェリーターミナルのまま)。
    • 9月25日 - 種類株式発行会社への定款変更を行い、普通株式への全部取得条項の付与、747万株をA種種類株式1株への引換(少数株主は端数として現金化)を実施(スクイーズアウト)。これにより商船三井の完全子会社となる。なお、この措置に先立つ同月16日には株式上場が廃止されている。
    • 10月23日 - 商船三井が完全子会社のダイヤモンドフェリー株とあわせて株式移転を実施し、親会社のフェリーさんふらわあを設立。同社の完全子会社となり経営統合する。
  • 2010年2月1日 - ダイヤモンドフェリーと共同運航の寄港便を廃止。大阪 - 別府航路の大阪行のみ松山経由となる。
  • 2011年4月30日 - 大阪 - 別府航路、大阪行の松山寄港を取りやめ。
  • 2011年10月1日 - ダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併し解散。

航路

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別府国際観光港

※会社合併時点(2011年9月30日)の状況を記述する。

大阪港の乗り場は、2008年7月8日より南港フェリーターミナルからコスモフェリーターミナル(ATC前)R-5岸壁に移転した。

  • 大阪 - 別府航路
  • 小倉 - 松山航路(小倉/松山フェリー)
  • 大阪 - 坂手航路(小豆島季節便)
    • 大阪港(大阪南港コスモフェリーターミナル) - 坂手港(小豆島)
繁忙期(年末年始・ゴールデンウイーク・お盆など)と、5月下旬に開催される「小豆島マラソン」期間の土・日曜日に運航していたが、2011年8月を最後に運航していない。

船舶

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