福井俊彦
| 福井 俊彦 ふくい としひこ | |
|---|---|
| 任期 2003年3月20日 – 2008年3月19日 | |
| 前任者 | 速水優 |
| 後任者 | 白川方明 |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1935年9月7日(91歳) |
| 国籍 | |
| 出身校 | 東京大学法学部 |
| 職業 | 銀行家 |
| 署名 | |
福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、日本の銀行家。一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長。
来歴
[編集]大阪府大阪市出身。東京大学法学部を卒業後、日本銀行プロパーの中で頭角を現し、早くから将来の総裁候補として嘱望されていた。1994年の副総裁就任によって、当時の大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行では次期総裁の座がほぼ約束されていたが、大蔵省接待汚職事件との関連で、日銀職員のノーパンしゃぶしゃぶ接待問題が明らかになり、日銀にも逮捕者が出たこと等から1998年辞職。その際、松下康雄総裁も同時に監督責任を問われ、辞任することとなった。
松下総裁の後任として日銀プロパーの速水優が就いた為、一時は福井総裁誕生の可能性が薄らいだが折りしも中央銀行の独立性の確保の為に新日銀法が制定され、大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行が廃止されることになり、新日銀法の制定に尽力すると同時に、行政・立法府との調整力のあった福井が再び総裁候補として浮上した。2003年、小泉総理官邸は複数の候補者のなかで日銀国際派エースでOECD副事務総長だった重原久美春を隠れた最有力候補にしていた(「選択」2003年6月号)が、結局、財界などからの支持を得た福井総裁の誕生となった(太田康夫「日本銀行 失策の本質」<日本経済新聞社、2019年、111~112ページ>によれば、三重野元日銀総裁などの働きかけで、旧時代にもてはやされた福井を宮沢元首相が小泉に推した、とされる)。この時、イギリスのフィナンシャルタイムズ紙(2003年2月25日号)は「小泉の小心(Koizumi's Timidity)」と題する社説において、小泉の意中の人であった重原の総裁就任に抵抗した既成勢力の圧力に屈した小泉を批判した[1]。直後にイラク戦争が発生し、国際情勢が混迷を極めていた中での就任となった。
日銀総裁就任時の当初は、前任者速水優の路線を踏襲するのではないかと予想する向きもあったが、そうした予想に反して金融の量的緩和政策をより積極的に進めた。その後、日本経済ことに輸出部門は2004年から回復に向かったが、本格的なデフレ脱却にはいたらなかった。
しかしながら、2006年3月9日には5年超続いた金融の量的緩和政策を解除、同年7月には実質的に約8年間に及んだゼロ金利政策からも脱し、短期誘導金利を0.25%(ロンバート金利は0.4%)へ引き上げた。3月9日の決定は意外と受け止められると共に、ここまで回復してきた日本経済に冷や水を浴びせかけるのではないかと危惧する声が出た[2]。また、第3次小泉内閣当時において官房長官を務めた安倍晋三は、民主党の野田内閣の下で 2012年12月16日に行われた 第46回衆議院議員総選挙を前に自由民主党総裁として選挙運動中、この決定をした福井総裁が誤っていたと名指しで批判、安倍自身は反対であったことを明らかにした。
経歴
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- 1947年 追手門学院小学校卒業
- 1950年 大阪市立東中学校卒業
- 1953年 大阪府立大手前高等学校卒業
- 1957年 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後[3]、日本銀行入行
- 1970年 パリ駐在
- 1972年 帰国
- 1974年7月 総務部調査役
- 1977年5月 総務部企画課長
- 1980年3月 高松支店長
- 1981年8月 大阪支店副支店長
- 1983年1月 総務局次長
- 1984年5月 人事局次長
- 1985年10月 調査統計局長
- 1986年9月 営業局長
- 1989年5月 総務局長
- 1989年9月 日本銀行理事
- 1993年9月 同理事再任
- 1994年12月 日本銀行副総裁
- 1998年3月 同副総裁退任
- 1998年11月 富士通総研理事長
- 2001年4月 経済同友会副代表幹事
- 2002年6月 キッコーマン株式会社取締役
- 2003年 日本銀行総裁
- 2008年 同総裁退任、一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長に就任
- 2008年4月 中央放送番組審議会委員
- 2008年7月 日本証券業協会公益理事
- 2008年11月 信越化学工業株式会社特別顧問
- 2008年12月 東京工業品取引所取締役・指名委員会委員長・報酬委員会委員長
- 2009年3月 社団法人クラブ関東理事長
- 2009年6月 信越化学工業株式会社取締役
- 2009年6月 キッコーマン株式会社取締役
- 2010年1月 程ヶ谷カントリー倶楽部株式会社監査役
- 2010年4月 アクセンチュア株式会社アドバイザリー・ボード・メンバー
評価
[編集]2004年2月14日、英エコノミスト誌はToshihiko Goldilocksと題した記事で、前任の速水優を「おそらく世界で最悪の中央銀行総裁(Possibly the world's worst central banker)」と評した上、連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長や欧州中央銀行(ECB)のジャンクロード・トリシェ総裁ではなく、より強力な量的緩和に踏み切った福井俊彦を世界で最も優れた中央銀行総裁と評価する記事を掲載した[4]。
安倍晋三元総理は回顧録で「長年の金融政策が間違っていたのは明らかでしょう。私が官房長官時代、小泉純一郎首相と一緒に福井俊彦日銀総裁に量的緩和の解除は時期尚早だから辞めてくれ、とお願いしたにもかかわらず、06年に解除してしまった」と述べている。