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柳河藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳河藩
柳川城。明治3年頃撮影。
立藩年 慶長5年(1600年)
初代藩主 田中吉政
廃藩年 明治4年7月14日
(1871年8月29日)
最終藩主 立花鑑寛
国 筑後国
居城 柳川城

田中家
石高 32万5000石
種類 外様大名
格式 国主
江戸城控間 大広間
極位極官 従四位下
藩主 田中吉政

立花家

柳川守
石高 10万9000石
種類 外様大名
格式 国持並
江戸城控間 大広間
極位極官 従四位下
藩主 立花宗茂
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柳河藩(柳川藩、やながわはん)は、筑後国に存在した藩。藩庁は柳川城(現:福岡県柳川市)。当初は筑後一国を支配する大藩であったが、のちに久留米藩の成立により筑後南部のみを領有する中藩となった。

歴史

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柳河(柳川)地域を中心とする下筑後(筑後南西)地方は、鎌倉時代から戦国時代末期まで蒲池氏の領地であり、次いで蒲池氏を滅ぼした龍造寺氏が一時期支配する。

豊臣時代は立花宗茂が柳川城主として13万2千石を領していたが、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易除封となった。

同年、三河国岡崎城主田中吉政が、石田三成を捕らえた功により筑後一国32万5千石を与えられ、柳川城に入った。吉政は筑後川などの河川改修、新田開発の奨励、有明海沿岸に「慶長本土居」と呼ばれる32キロメートルにも及ぶ堤防の構築など、領内の整備を精力的に行った。元和6年(1620年)、2代忠政が病没すると、無嗣断絶により改易となった。

同年のうちに旧田中領は分割され、西軍加担の罪を赦され陸奥国棚倉藩3万石を領していた立花宗茂が8万石弱の加増を受けて10万9千石で柳川城に返り咲いた。また久留米城に有馬豊氏が21万石で入部し、久留米藩を立藩した。さらに翌元和7年(1621年)には、宗茂の甥にあたる立花種次が三池郡に1万石で入り三池藩を立藩している。

渡辺村男の『旧柳川藩志』には、2代忠茂が万治元年(1658年)家臣の禄を地方知行制から蔵米知行制に変更したとあるが、知行制の変遷についての具体的な推移は解明されていない[1]。これにより藩士は、分限帳上においてその収入が地方知行制による石高で表わされる「給人」と呼ばれる知行取と、蔵米知行による禄高を切米の容量と与えられる扶持米により「〜石○○人扶持」と表わされる「無足」に大別され、家中の役負担や格付に差がでるようになる。

4代鑑任は元禄10年(1697年)城の西方に藩主別邸「集景亭」を造営した。鑑任死後は会所となったが、元文3年(1738年)に柳川城二の丸にあった奥(江戸城大奥に相当)が同所に移転され、以降は御花畠と呼ばれるようになった。この建築物は旧藩主立花家が経営する料亭旅館「御花」として現存している。

8代鑑寿の時に下手渡藩に左遷転封となった一族の旧三池藩領1万4千石は西国筋郡代支配となっていたが、文化13年(1816年)にこれが柳河藩預かりに変更された。その後嘉永4年(1851年)に預かり地のうち5千石が下手渡藩領に復し、明治元年(1868年)に下手渡藩が藩庁を三池に移転したことで三池藩が再び立藩、これにより柳河藩の預かりは終了した。

最後の藩主である12代鑑寛は安政年間(1854年 - 1859年)、家老の立花壱岐を登用し安政の改革を断行した。明治2年(1869年)戊辰戦争での軍功により明治政府より賞典禄5千石を与えられた。

明治4年(1871年)、廃藩置県により柳川県となったのち、三潴県を経て福岡県に編入された。

明治2年(1869年)、立花家は華族に列し、明治17年(1884年)に伯爵となった。

歴代藩主

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田中家

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外様 32万5千石 (1600年 - 1620年)

代 氏名 肖像 官位 在職期間 享年 備考
1 田中吉政
たなか よしまさ
従四位下
筑後守
兵部大輔
侍従
慶長5年 - 慶長14年
1600年 - 1609年
62 三河国岡崎から転封。
2 田中忠政
たなか ただまさ
従四位下
従五位下
筑後守
侍従
慶長14年 - 元和6年
1609年 - 1620年
36

立花家

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1902年(明治35年)まで立花鑑広と立花鑑備が別人であることが極秘とされていたために、それまでは鑑広改め鑑備が10代、鑑寛が11代ということになっていた。

外様 10万9千石 (1620年 - 1871年)

代 氏名 肖像 官位 在職期間 享年 備考
1 立花宗茂
たちばな むねしげ
従四位下
飛騨守
左近将監
侍従
元和6年 - 寛永15年
1620年 - 1638年
76 関ヶ原の戦い以前の柳河領主。
陸奥棚倉藩から転封。
2 立花忠茂
たちばな ただしげ
従四位下
従五位下
飛騨守
左近将監
侍従
寛永15年 - 寛文4年
1638年 - 1664年
64 旗本・高橋重種の子。
3 立花鑑虎
たちばな あきとら
従五位下
従四位下
飛騨守
左近将監
侍従
寛文4年 - 元禄9年
1664年 - 1696年
57
4 立花鑑任
たちばな あきたか
従四位下
飛騨守
元禄9年 - 享保6年
1696年 - 1721年
39
5 立花貞俶
たちばな さだよし
従四位下
飛騨守
侍従
享保6年 - 延享元年
1721年 - 1744年
47 旗本寄合席・立花茂高の子
6 立花貞則
たちばな さだのり
従五位下
従四位下
丹後守
伯耆守
飛騨守
延享元年 - 延享3年
1744年 - 1746年
20
7 立花鑑通
たちばな あきなお
従五位下
従四位下
左近将監
侍従
左京大夫
延享3年 - 寛政9年
1746年 - 1797年
69
8 立花鑑寿
たちばな あきひさ
従五位下
従四位下
伯耆守
左近将監
寛政9年 - 文政3年
1797年 - 1820年
52
9 立花鑑賢
たちばな あきかた
従四位下
左近将監
文政3年 - 天保元年
1820年 - 1830年
42 立花鑑一の子
10 立花鑑広
たちばな あきひろ
天保元年 - 天保4年
1830年 - 1833年
10
11