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李承燁 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李 承燁
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 大邱広域市
生年月日 (1976-10-11) 1976年10月11日(50歳)
身長
体重
183 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手、指名打者
プロ入り 1994年 KBO高卒優先指名
初出場 KBO / 1995年4月15日
NPB / 2004年3月27日
最終出場 KBO / 2017年10月3日 (引退試合)
NPB / 2011年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗 大韓民国
五輪 2000年、2008年
WBC 2006年、2013年
オリンピック
大韓民国の旗 韓国
男子 野球
金2008野球
銅2000野球
イ・スンヨプ
各種表記
ハングル: 이승엽
漢字: 李 承燁
発音: イ・スンヨプ
RR式: I Seung-yeop
MR式: Yi Sŭng-yŏp
英語表記: Lee Seung-Yuop
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李 承燁(イ・スンヨプ、韓国語: 이승엽, 1976年10月11日[1][2][3] - )は、大韓民国の大邱広域市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。左投左打。

1995年から2003年、および2012年から2017年にKBOリーグのサムスン・ライオンズで活躍し、2004年から2011年にかけては日本プロ野球 (NPB) の千葉ロッテマリーンズ、巨人、オリックス・バファローズの3球団でプレーした。韓国プロ野球で記録した通算467本塁打は崔廷に次ぐ歴代2位、背番号36はサムスンの永久欠番である。またオリンピックでは韓国代表の四番打者として活躍、2000年シドニーオリンピックで銅メダル、2008年北京オリンピックで金メダル獲得に貢献した。

韓国では「国民的打者」「アジアの大砲」「球帝」「ライオン・キング(人物の項参照)」「56発男」「解決者」といった愛称がある[4]。

経歴

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プロ入りとサムスン時代

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1995年に慶北高等学校卒業後、サムスン・ライオンズに投手として入団したが、高校時代に傷めた左肘が完治せず、白仁天の勧めで打者に転向し、王貞治を真似た一本足打法にフォームを改造。

1997年に初の本塁打王を獲得した[5]。同年から一度サムスンを退団する2003年までの7年間で、1998年と2000年を除く5シーズンで本塁打王を獲得した[5]。

1998年も8月の一時期は本塁打王争いを繰り広げていた斗山ベアーズのタイロン・ウッズに本塁打数で7本差をつけてリーグトップに立っていたが、ウッズは真夏に入って本塁打を量産するようになった一方、李はスランプに陥り[6]、9月13日には37本塁打で並ばれる[7]。最終的にはウッズが当時の韓国プロ野球記録となるシーズン42本塁打と103打点を記録し、本塁打王・打点王(朝鮮語版)の二冠王を獲得した一方、李は38本塁打で無冠に終わった[6]。この件を受け、李は「ウッズに負けたのではなく、自分自身に負けた」と語っている[5]。しかしゴールデングラブ賞の一塁手部門には、同年の最優秀選手 (MVP) を獲得したウッズではなく、李が選出された[7]。

1999年には、8月2日に開催されたシーズン99試合目の[8]対ロッテ・ジャイアンツ戦(大邱市民運動場野球場)で、文東煥から43号本塁打を放ち、前年にウッズが記録したシーズン本塁打記録を更新[9]、最終的には54本塁打を記録した[8]。同年には日韓プロ野球スーパーゲームにも出場した[8]。また、シドニーオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権にも出場し、日本戦で本塁打を放った。この年から「ライオンキング」や「国民的打者」の愛称が定着し始めた。

2000年にはシドニーオリンピックの野球韓国代表に選出された。3位決定戦の日本戦で松坂大輔から決勝タイムリーを放ち、五輪での韓国代表初のメダル獲得に貢献した[10]。なお、予選リーグの日本戦では松坂から本塁打を記録している[11][12]。同年はSKワイバーンズの朴勍完に敗れて本塁打王を逃した[5]。

2001年から2003年まで3年連続で本塁打王を獲得する[5]。2001年オフには海外進出のFA権を取得し、NPBの阪神タイガースや大阪近鉄バファローズなどが李に関心を寄せていると報じられていた[13]。

2003年シーズンの年俸は韓国プロスポーツ界最高額の6億3000万ウォンで、当時の為替レートでは約6300万円だった[14]。同年6月22日の対SKワイバーンズ(大邱市民運動場野球場)戦において、8回裏に金圓衡から通算300号本塁打を放つ。26歳での到達は、NPBの王貞治やMLBのアレックス・ロドリゲスの27歳を抜く世界最年少記録とされる。なお、この試合では同点で迎えた9回裏二死満塁の場面に打席が回り、自身初となるサヨナラ満塁本塁打を放っている[15]。同年9月25日には光州で開催された対起亜タイガース戦で、6回に55号本塁打を放ち、自身が1999年に記録したシーズン54本塁打の韓国記録を更新、同時にNPBで王や