我々の時代のための平和

「我々の時代のための平和」(われわれのじだいのためのへいわ、英: Peace for our time)は、イギリスの首相ネヴィル・チェンバレンが1938年9月30日にロンドンで行った一連の発言のうち、ミュンヘン会談およびその後の英独共同宣言に関して行った声明である[1]。このフレーズは、1878年にベンジャミン・ディズレーリがベルリン会議から帰国した際に行った演説[注釈 1]を思わせるものであった。この声明は、主として痛烈な皮肉を帯びたものとして記憶されている。というのも、協定の締結から1年も経たないうちにドイツによるポーランド侵攻を端緒として第二次世界大戦が幕を開けたからである。
しばしば「我々の時代に平和を」(英: peace in our time)という形で誤引用されることがあるが、これは祈祷書のある一節[注釈 2]に登場する表現である[2]。
声明の内容
[編集]チェンバレンはヘストン飛行場に到着した後、以下のような声明を行った。
The settlement of the Czechoslovak problem which has now been achieved is, in my view, only the prelude to a larger settlement in which all Europe may find peace. This morning I had another talk with the German Chancellor, Herr Hitler, and here is a paper which bears his name upon it as well as mine. Some of you perhaps have already heard what it contains, but I would just like to read it to you. " ... We regard the agreement signed last night and the Anglo-German Naval Agreement as symbolic of the desire of our two peoples never to go to war with one another again".(日本語仮訳) 私は、今ここにおいて達成されたチェコスロヴァキア問題の解決は、欧州全体が平和を見いだすことのできる、大いなる解決への序章に過ぎないと考えています。今朝、私はドイツ国の首相、ヒトラー氏と再び会談しました。そしてここには、彼と私の名前が記された文書があります。既にその内容をお聞き及びの方もおられるでしょうが、ここで私から読み上げたいと思います。…我々は、昨夜署名された協定ならびに英独海軍協定を、われわれ両国民が今後決して相互に戦争を欲することはない、という願いの象徴であるとみなす。 — ネヴィル・チェンバレン、Munich, 1938: Appeasement and World War II
チェンバレンはその後ダウニング街10番地の前で再び文書を読み上げ、次のように締めくくった。
My good friends, this is the second time in our history that there has come back from Germany to Downing Street peace with honour.I believe it is peace for our time...
We thank you from the bottom of our hearts. Now I recommend you go home and sleep quietly in your beds.
(日本語仮訳) 親愛なる諸君、わが国の歴史において、ドイツから名誉ある平和がダウニング街にもたらされたのは、これが二度目であります。
私は、これこそが我々の時代のための平和であると信じています。
皆さんには、心からの感謝を申し上げます。今夜はお帰りになり、ご自宅のベッドで安らかにお休みください。
チェンバレンの帰還は、必ずしもすべての人々に歓迎されたわけではなかった。ミュンヘン協定が締結された日、トラファルガー広場には協定に抗議する人々が1万5000人集結し、その数はダウニング街で彼を歓迎した人々の3倍に上った。チェンバレンがBBCに対して継続的に行っていた介入により、この抗議運動はほとんど報道されずに終わった[3]。労働党のヒュー・ダルトンは、「チェンバレンが振りかざしていたあの紙きれは、『我が闘争』からちぎり取られたものだ」と公然と批判した[4]。
宥和政策に反対する平議員であったウィンストン・チャーチルはこの協定を激しく非難し、小国を独裁者に生贄として差し出したところで戦争を防ぐことは出来ず、ただ遥かに悪い条件で先送りにされるに過ぎないであろうと警告した。彼が協定締結後にチェンバレンに向けて述べたとされる次の言葉はよく知られているものである。
あなた方には戦争か、不名誉かの選択肢が与えられた。あなた方は不名誉を選んだ。そして、その選択は戦争をも招くであろう。
またチャーチルは、1938年9月11日付のモイン卿に宛てた手紙の中で、「我々は現在、戦争か恥辱かという暗澹たる選択を迫られるところまで来たように思われる。私の考えでは、我々は恥辱を選び、そして少しばかりの時を経て、今よりもさらに不利な条件の下で戦争を突きつけられることになるだろう」と記している。
チェンバレンに不信感を抱いていたアメリカの作家アイザック・アシモフは、1939年7月に発表した短編小説『Trends』の中で、1940年に大戦が始まると言及した。彼はのちに戦争の勃発時期について、「私はあまりにも控えめな予測をしていた」と述懐している[5]。
引用と言及
[編集]アメリカの大統領ジョン・F・ケネディは1963年のアメリカン大学卒業式で行った、「平和の戦略」演説(英語版ウィキソース)でこの声明に言及し、「我々が求めるのは、単に我々の時代における平和ではなく、あらゆる時代にわたる平和である」と述べた[6]。
映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』において、トニー・スタークは人工知能ウルトロンを創造する正当化のために、「我々の時代における平和」という言葉を用い、ウルトロンを世界を包み込む鎧として構想した。これは明確なオマージュであり、映画においてもその構想は完全に裏目に出る。ウルトロンは、人類の根絶こそが真の「平和」を実現する唯一の道であると結論づけるのである[7][8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “Neville Chamberlain”. Number 10. 2008年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月9日閲覧。
- ↑ “The Order for Morning Prayer”. Book of Common Prayer. Church of England. (1662)
- ↑ McDonough, Frank (1998). Neville Chamberlain, appeasement and the British road to war. Manchester, UK: Manchester University Press. pp. 124–133. ISBN 0-7190-4831-1. OCLC 36876037
- ↑ McDonough 1998, pp. 106–107.
- ↑ Asimov, Isaac (1972). The early Asimov; or, Eleven years of trying. Garden City, NY: Doubleday. pp. 79–82. ISBN 0-385-03979-4
- ↑ Sachs, Jeffrey D. (2013). To Move the World: JFK's Quest for Peace. New York: Random House. p. 74. ISBN 978-0812994926
- ↑ “Tony Stark's Peace Sign is Iron Man's Best Secret” (英語). Screen Rant (2020年7月20日). 2026年11月1日閲覧。
- ↑ “Being Human in an Age of Ultron” (英語). Mbird.com (2015年5月14日). 2026年11月1日閲覧。
参考文献
[編集]- David faber (2009-09-01). Munich, 1938: Appeasement and World War II. サイモン&シュスター
