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学校法人日本大学

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学校法人日本大学
Nihon University
法人本部が置かれる「日本大学会館」
法人本部が置かれる「日本大学会館」
法人番号 5010005002382 ウィキデータを編集
創立者 宮崎道三郎
理事長 林真理子
所在地 日本の旗 日本 東京都千代田区九段南四丁目8番24号
ウェブサイト www.nihon-u.ac.jp
プロジェクト:学校/学校法人の記事について
Portal:教育
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学校法人日本大学(がっこうほうじんにほんだいがく)は、東京都千代田区九段南に本部を置く学校法人。日本大学を運営する設置者。教育機関としては日本最大である。

基礎データ

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所在地

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  • 東京都千代田区九段南4-8-24(本部)

理事長

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名前フリガナ任期備考
圓谷弘ツムラヤ ヒロシ1946年7月
呉文炳クレ フミアキ1946年7月 - 9月総長兼任、
総裁(1946年1月 - 6月)、
会頭(1946年7月 - 1958年6月)
佐藤運雄サトウ カズオ1946年9月 - 1949年12月
古田重二良フルタ ジュウジロウ1949年12月 - 1951年2月、
1951年5月 - 1968年4月(理事会長)
会頭(1958年6月 - 1969年9月)、
会長(1969年9月 - 1970年10月)
高梨公之タカナシ マサユキ1969年9月 - 1972年9月
永澤滋ナガサワ シゲシ1972年9月 - 1974年10月
鈴木勝スズキ マサル1974年10月 - 1981年9月総長兼任
柴田勝治シバタ カツジ1981年9月 - 1993年9月
瀨在良男セザイ ヨシオ1993年9月 - 1996年8月総長兼任
森田賢治モリタ ケンジ1995年9月 - 2005年9月
小嶋勝衛コジマ カツエ2005年9月 - 2008年8月総長兼任
田中英壽タナカ ヒデトシ2008年8月 - 2021年12月
加藤直人カトウ ナオト2021年12月 - 2022年6月学長兼任
林真理子ハヤシ マリコ2022年7月 - [1][2]女性初

総長・学長

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2013年4月総長制から学長制に移行

歴代名前フリガナ任期
初代校長金子堅太郎カネコ ケンタロウ1889年10月 - 1893年7月
第2代校長、初代総長松岡康毅マツオカ ヤスコワ1893年12月 - 1923年9月
第2代総長平沼騏一郎ヒラヌマ キイチロウ1923年11月 - 1933年3月
第3代総長山岡萬之助ヤマオカ マンノスケ1933年8月 - 1946年1月
第4代総長呉文炳クレ フミアキ1946年1月 - 1958年6月
第5代総長永田菊四郎ナガタ キクシロウ1958年6月 - 1969年8月
第6代総長鈴木勝スズキ マサル1969年9月 - 1984年8月
第7代総長高梨公之タカナシ マサユキ1984年9月 - 1990年8月
第8代総長木下茂德キノシタ シゲノリ1990年9月 - 1993年8月
第9代総長瀬在良男セザイ ヨシオ1993年9月 - 1996年8月
第10代総長瀬在幸安セザイ ユキヤス1996年9月 - 2005年8月
第11代総長小嶋勝衛コジマ カツエ2005年9月 - 2008年8月
第12代総長酒井健夫サカイ タケオ2008年9月 - 2011年8月
第13代総長/学長大塚吉兵衛オオツカ キチベエ2011年9月 - 2020年8月
第14代学長加藤直人カトウ ナオト2020年9月 - 2022年6月
第15代学長酒井健夫サカイ タケオ2022年7月 - 2024年3月
第16代学長 大貫進一郎 オオヌキ シンイチロウ 2024年4月 -

前身組織

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  • 皇典講究所(1889年-1898年) 
  • 財団法人日本法律学校(1898年-1903年)
  • 財団法人日本大学(1903年-1951年)

併合法人

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分割法人

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  • 財団法人大阪専門学校(現・学校法人近畿大学) - 完全に独立
  • 財団法人日本第一学園(現・学校法人日本大学第一学園) - 分割後も提携
  • 財団法人日本第二学園(現・学校法人日本大学第二学園) - 分割後も提携
  • 財団法人日本第三学園(現・学校法人日本大学第三学園) - 分割後も提携
  • 財団法人大阪学園(現・学校法人大阪学園) - 完全に独立

建学の精神(校訓・理念・学是)

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日本大学では1914年に4ヶ条からなる「建学ノ趣旨及綱領」が制定され[3]、それが戦後(1949年)の改定により「目的および使命」と形を変え、さらに創立70周年を迎えた1959年の再改定によって現在の姿となった[4]。 また、2007年6月1日に教育理念として自主創造を選定した[4]。

目的および使命

日本大学は 日本精神にもとづき
道統をたっとび 憲章にしたがい
自主創造の気風をやしない
文化の進展をはかり
世界平和と人類の福祉とに
寄与することを目的とする

日本大学は 広く知識を世界にもとめて
深遠な学術を研究し
心身ともに健全な文化人を
育成することを使命とする

年表

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明治末期の皇典講究所
日本大学開校の地(千代田区飯田橋)
  • 1889年 皇典講究所に日本法律学校(現在の法学部の前身)を創立。学祖は時の司法大臣・山田顕義。創立者は宮崎道三郎(総代)、金子堅太郎、上條慎蔵、斯波淳六郎、末岡精一、添田壽一、野田藤吉郎(長森藤吉郎)、樋山資之、平島及平、穂積八束、本多康直。初代校長に金子堅太郎(後の司法大臣)就任
  • 1893年 第1回卒業式を挙行。第2代校長に(後に初代学長・総長)に松岡康毅(後の農商務大臣)就任
  • 1895年 7月、三崎町校舎落成
  • 1898年 高等専攻科を設置し、卒業生に日本法律学士の称号を授与。財団法人日本法律学校となり皇典講究所より分離独立する
  • 1901年 高等師範科(後の文学部、現・文理学部の前身)設置
  • 1903年 日本大学と改称
  • 1904年 商科(経済学部および商学部の前身)設置。専門学校令による大学となる
  • 1906年 初の留学生をヨーロッパへ送る
  • 1913年 2月に中学校(第一普通部。現・日大一高・日大一中)を設置
  • 1914年 6月、「建学ノ主旨及綱領」制定
  • 1920年 大学令による大学設立(法文学部・商学部)。初めて女子の入学許可。高等工学校(理工学部の前身)設置
  • 1921年 美学科(芸術学部の前身)設置。1916年創立の東洋歯科医学専門学校(歯学部の前身)を合併
  • 1922年 総長・学長の二長制に移行
  • 1923年 専門学校令による日本大学廃止
  • 1925年 専門部医学科(医学部の前身)と日本大学専門学校(現在の近畿大学)を設置
  • 1927年 3月に第二中学校(第二普通部。現・日大二高・日大二中)を、12月に幼稚園を設置。日本大学専門学校内に大阪中学校(現・大阪学園大阪高等学校)を設置。
  • 1928年 4月に工学部(現・理工学部)を設置(高等工学校を昇格)
  • 1929年 3月に工業学校(現・付属習志野高校)を設置。10月に私立赤坂中学校(第三普通部。現・日大三高・日大三中)を合併。専門部工科(工学部の前身)を設置
  • 1930年 3月、現・JR横浜線大口駅の地に第四中学校・第四商業学校(第四普通部。現・日本大学高等学校・中学校)を設置
  • 1932年 1月に医学科付属看護婦養成所(現在の医学部付属看護専門学校)を設置
  • 1934年 学部教育は昼間部のみで行い専門部教育は夜間とすることを大学理事会で決定(学部教育と専門部教育とを完全分割)。日本大学歯科医学校を日本大学専門部歯科と改称

日本大学旧本部・図書館棟
  • 1935年 大学本部・図書館棟竣工
  • 1936年 法人の代表として総裁を置き、総長・学長を法人外役員とする
  • 1937年 4月 専門部拓殖科(農学部の前身)を法文学部内に設置(3年制)。世田谷予科を設置(12月)
  • 1939年 芸術科が江古田校舎に移転、日本大学専門学校を日本大学大阪専門学校と改称
  • 1940年 日本大学大阪専門学校が独立、大阪中学校は日本大学にとどまる
  • 1943年 3月に医学部の認可(予科3年、学部4年制)。5月、農学部(現・生物資源科学部)を神奈川県藤沢市亀井野字三屋向1866番地・通称『むらさきが丘』[5]に設置。
  • 1944年 大阪中学校が独立
  • 1946年 総裁を会頭と改め、理事長職を新設。4月に三島予科を設置(静岡県三島市)。第一中学校(旧制)及び第一商業学校、第二中学校(旧制)及び第二商業学校、第三中学校(旧制)及び第三商業学校が独立。8月に専門部拓殖科を廃止、農業経済科を新設。
  • 1947年 2月に専門部法律科・政治経済科・商科・経済科・社会科・宗教科および高等師範部の学生募集再開。3月に 専門部工科が駿河台から福島県高瀬村および守山町の第一郡山海軍航空隊跡地に移転(郡山工科、のちの第二工学部→工学部)。6月に農学部に林学科と水産学科(神奈川県横須賀市馬堀の陸軍重砲兵学校跡地)[6]を設置。8月に法文学部に新聞学科を設置。歯学部予科を開設。
  • 1948年
    • 3月 - 専門部医学科を廃止[7]。
    • 7月 - 新学制による日本大学の設置認可申請を行う。
    • 11月 - 三崎町校舎に通信教育部を設置。
  • 1949年 新学制に移行。3月、神奈川県藤沢市亀井野に農林高校(現・付属藤沢高)、神奈川県横須賀市馬堀の陸軍重砲兵学校跡地に横須賀高校を設置。
  • 1950年 2月に世田谷高校(現・付属櫻丘高)、江古田高校(定時制。昭和45年4月休校51年2月廃止)を、3月に短期大学(現在の短期大学部)を設置。農林高校を普通課程高校「日本大学藤沢高等学校」に校名組織変更。
  • 1951年 学校法人日本大学認可(財団法人を学校法人へ組織変更)。2月に東北工業高校(現・付属東北高)を設置。3月に横須賀高校を藤沢高校に併合。4月に大学院を設置。10月に東京獣医畜産大学付属高等学校を合併し、鶴ヶ丘高校に名称変更。11月に1907年創立の東京獣医畜産大学を農学部に吸収合併。
  • 1952年 2月に工学部に薬学科(薬学部の前身)・工業経営学科(生産工学部の前身)を設置。3月 農学部に獣医学科を増設し、農獣医学部(生物資源科学部の前身)と改称。医学部・歯学部を新学制に移行。私立豊山中学校・高等学校が日本大学と提携、学校法人日本大学豊山学園となる
  • 1954年 8月に学校法人日本大学豊山学園(現・付属豊山高校・中学校)を合併。
  • 1956年 12月に歯学部付属歯科技工士養成所(現在の歯学部付属歯科技工専門学校)を設置
  • 1957年 12月に付属三島高校を設置
  • 1959年 4月に歯科衛生士養成所(現在の歯学部付属歯科衛生専門学校)を設置
  • 1960年 4月に付属明誠高校を設置
  • 1961年 大学令による日本大学廃止
  • 1962年 11月に学校法人山形学園山形第一高校(現・付属山形高)を合併
  • 1966年 付属豊山女子高校を設置
  • 1968年 会頭制を廃止し、会長と理事長に代表権を置く
  • 1971年 日本大学松戸歯科大学(松戸歯学部の前身)を千葉県松戸市に設置