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大雲院 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大雲院

祇園閣
所在地 京都府京都市東山区祇園町南側594-1
位置 北緯35度0分7.54秒 東経135度46分48.21秒 / 北緯35.0020944度 東経135.7800583度 / 35.0020944; 135.7800583座標: 北緯35度0分7.54秒 東経135度46分48.21秒 / 北緯35.0020944度 東経135.7800583度 / 35.0020944; 135.7800583
山号 龍池山
宗旨 浄土宗
宗派 単立
本尊 阿弥陀如来
創建年 天正15年(1587年)
開山 貞安
正式名 龍池山大雲院
別称 祇園閣
文化財 絹本著色前田玄以像、紙本墨書正親町天皇宸翰消息(重要文化財)
祇園閣、書院(国登録有形文化財)
公式サイト 大雲院
法人番号 9130005001831 ウィキデータを編集
大雲院の位置(京都市内)
大雲院
大雲院
大雲院 (京都市)
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秀吉の移転命令による大雲院跡(四条寺町南)
京都・東山花灯路の期間中にライトアップされる祇園閣

大雲院(だいうんいん)は、京都市東山区祇園町にある浄土宗系単立の寺院。山号は龍池山。本尊は阿弥陀如来。祇園閣がある(祇園閣を参照)。また、金閣寺・銀閣寺に次ぐ「銅閣寺」の通称を持つ。

歴史

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当院は、天正15年(1587年)に織田信長とその子信忠の菩提を弔うため、正親町天皇の勅命を受けた安土宗論で活躍した浄土宗の僧・貞安(じょうあん)により創建された。場所は信忠が自害した二条新御所の跡地(烏丸御池)で、大雲院という名は信忠の戒名から採られたものである[1]。また、火除天満宮をその鎮守社とした。

しかし同年中に京都の改造を理由として、豊臣秀吉の命で四条寺町南(現・下京区貞安前之町)に移るように指示され、天正18年(1590年)に四条に移ったという[2]。同年には後陽成天皇の勅願所となっている[3]。天正19年(1591年)には後陽成天皇より勅額を賜っている[2]。

江戸時代には日向国佐土原藩主島津以久が貞安に帰依し檀家となっている。以降、毎年佐土原藩より米百石が寄進された[4]。

天明8年(1788年)1月の天明の大火で全焼するが、寛政4年(1792年)に本堂が再建され、文化元年(1804年)から文政12年(1829年)にかけて阿弥陀堂、釈迦堂が再建される[2]。

元治元年(1864年)7月の禁門の変後に発生したどんどん焼けで焼失し、明治時代初期にようやく再建された。しかし、神仏分離により火除天満宮は当寺から独立した。

第1回京都市会は当寺で行われている。

太平洋戦争後の1947年(昭和22年)に浄土宗から離脱し、単立寺院となる[2]。1962年(昭和37年)には東山区の今熊野に南谷別院が開設されている[2]。

次第に当院があった四条河原町の周辺は繁華街となり人通りが激しくなっていくと、当院は寺地を隣接する髙島屋京都店に売却して移転することにし、1973年(昭和48年)4月に東山区にあった大倉財閥の設立者・大倉喜八郎が建てた別邸「真葛荘[5]」の一部を買得して寺基を移した[2]。その際、本堂は智積院に移されて明王殿(不動堂)となった。

2014年(平成26年)に下京区の河原町通四条の発掘調査で旧大雲院の敷地跡から豊臣秀次の供養塔の一部とみられる石材が見つかった[6]。大雲院は秀次の切腹後、三条河原で処刑された秀次の側室らを供養したとする文献もあり、裏付けがなされたことになる。

祇園閣

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国登録有形文化財。銅閣とも呼ばれる。阿弥陀如来坐像を祀る。1927年(昭和2年)に建築された鉄筋コンクリート造の3階建ての建物で、これも真葛荘の建物の一つであった。設計は伊東忠太で高さは36メートルあり、祇園祭の鉾を模した造りとなっている[2][7][8]。屋根は銅板葺きであるが、これは大倉喜八郎が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作らせたためである[8]。入口にある額「祇園閣」は西園寺公望の筆。1988年(昭和63年)には望楼に至る階段の壁に敦煌・莫高窟壁画模写[2]が中国人画家の手により描かれている。

妙心寺大雲院(非現存)

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同じく織田信忠の慰霊のために、妙心寺にも同名の大雲院が建立された。

こちらは妙心寺56世の九天宗瑞と、宗瑞の妹で信忠の乳母かつ信長の側室であった慈徳院らの尽力によって創建されたものである。二人は信長の重臣であった滝川一益の子と伝わる。ここには、二条新御所で九死に一生を得た織田長益の子の長孝が葬られたという記録がある。

一方、同じ妙心寺内の隣接地に、天正9年(1581年)に滝川一益と同じく九天宗瑞が開いた「暘谷庵」を、一益の娘婿であった津田秀政が慶長11年(1606年)に再興し、「暘谷院」と名付けて津田氏の菩提寺とした。慶長17年(1612年)に宗瑞が、寛永12年(1635年)に秀政が90歳で死去すると、暘谷院は秀政の法号にちなんで「長興院」と名を変えた。この長興院が元禄5年(1692年)に隣接する大雲院を吸収合併したため、妙心寺大雲院は現在はない[9]。

境内

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  • 本堂 - 新たな境内地である現在地に1973年(昭和48年)再建。鉄筋コンクリート造[7]。かつての境内地にあった本堂は智積院に移されて明王殿(不動堂)とされている。 
  • 祇園閣(国登録有形文化財) - 銅閣とも呼ばれる。1927年(昭和2年)に大倉喜八郎により築[2]。詳しくは既述。
  • 庫裏
  • 書院(国登録有形文化財) - もともとはこの地にあった大倉喜八郎の京都別邸・真葛荘の書院、1927年(昭和2年)築。純木造であるが、寝室のみは鉄筋コンクリート造。応接間は八角形となっている[7]。1973年(昭和48年)の大雲院の移転により伽藍の一部となった。
  • 庭園
  • 織田信長・信忠の墓 - 一つの墓石で、右が信長で左が信忠の墓になっている。
  • 石川五右衛門の墓 - 処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡したという縁から墓が設けられている[4]。
  • 島津以久の墓 - 佐土原藩初代藩主。慶長15年(1610年)に伏見で亡くなり同院に葬られた[4]。
  • 清田龍川墓
  • 伊藤坦菴墓
  • 中村一鴎墓
  • 南門 - 文化4年(1807年)再建で、四条寺町の旧境内地にあった山門。1973年(昭和48年)に移築された[7]。
  • 鐘楼 - もともとは北野天満宮にあった鐘楼で、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもの。明治時代の神仏分離で北野天満宮から除かれることになったので1871年(明治4年)に当院に移された[7]。梵鐘は、祇園感神院(現・八坂神社)にあったもので[7]、延徳2年(1490年)に造られたもの。神仏分離で除かれることとなり、1870年(明治3年)に佐土原藩主島津忠寛により当院に寄進された。双方ともに1973年(昭和48年)に現在地に移築された。
  • 大雲院龍池会館 - 1987年(昭和62年)築[2]。
  • 総門(東門) - 大倉喜八郎が建てた京都別邸・真葛荘は、その後所有者がホテルニューオータニの創設者である大谷家に移っている。その際に東京のホテルニューオオタニの敷地(もとは皇族の伏見宮邸跡地)にあった門を現在地に移設したもの[7]。
  • 境外地
    • 南谷別院 - 1962年(昭和37年)に山荘「南渓園」を譲り受け、地名にちなんで南谷別院と名付けられて創建された[7]。
      • 釈迦堂 - 寺町四条にあった大雲院から移築[7]。
      • 開山廟 - 寺町四条にあった大雲院から移築[7]。貞安を祀る[4]。
      • 歴代住職の墓
      • 茶室 - 寺町四条にあった大雲院から移築[7]。
      • 庭園 - 東山三十六峰を借景にした総面積3,000坪の庭園[7]。
      • 瑞祥殿 - 1976年(昭和51年)建立[7]。
      • 庫裏
      • 山門

文化財

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重要文化財

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国登録有形文化財

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拝観

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寺内は通常は非公開であるが数年おきに期間を限って公開される。公開の際は祇園閣に登ることや、墓地の石川五右衛門の墓や織田信長らの墓の参拝もできる。書院の内部公開は行われない。

所在地

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  • 京都府京都市東山区祇園町南側594-1

アクセス

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周辺

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脚注

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  1. ↑ 織田信長と正親町天皇.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 京都三遷の歴史.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  3. ↑ 正親町天皇と貞安上人.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  4. 1 2 3 4 墓碑と墓石.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  5. ↑ 1927年に建設された大倉喜八郎の別荘で、圓山公園内の真葛庵とは別。
  6. ↑ 「非業の関白、豊臣秀次の供養塔 京都、ひそかに弔う?」『京都新聞』2014年8月22日。2014年11月24日閲覧。
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 境内と建造物.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  8. 1 2 祇園閣と大倉喜八郎.大雲院、2026年6月24日閲覧。
  9. ↑ 『妙心寺史』
  10. ↑ 曹洞宗公式

参考文献

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  • 槙野修 著、山折哲雄 編『京都の寺社505を歩く: 決定版 上(洛東・洛北(東域)・洛中編)』PHP研究所、2007年。ISBN 9784569692470。 
  • 辻ミチ子『「京あまべの歴史」を語る』部落解放同盟京都府連合会東三条支部、2014年。 
  • 川上孤山『妙心寺史』京都妙心寺派教務本部、1917年、307-309頁。 

関連項目

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外部リンク

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