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大島小太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおしま こたろう
大島 小太郎
大島小太郎のレリーフ、唐津駅北口
生誕 (1859-09-05) 1859年9月5日
日本の旗 日本 肥前国東松浦郡唐津(現在の佐賀県唐津市)
死没 (1947-12-17) 1947年12月17日(88歳没)
出身校 三菱商業学校
職業 実業家
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JR唐津駅前広場 鉄道功労者顕彰碑

大島 小太郎(おおしま こたろう、安政6年8月9日(1859年9月5日) - 昭和22年(1947年)12月17日)[1]は、日本の実業家。出身地唐津の経済発展を主導し、唐津銀行の設立、鉄道や道路整備、市街地の電化、唐津港整備などに尽力した[2]。号は巨州[3]。

生涯

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生い立ちと教育

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唐津藩士大島興義(おきよし)[2]の長男として唐津に生まれる[3]。父は唐津藩の財政を統括していた重臣であり[2]、廃藩後は藩の事業の民営化に尽力した[3]。

1871年、大島小太郎は13歳の時に唐津藩洋学校の耐恒寮に入学し、高橋是清の指導を受けた[2][4]。同時期に学んだ人物に、後の建築家辰野金吾や曽根達蔵らがいる[4]。耐恒寮は1871年5月に開設された学校だが、翌1872年8月に閉鎖されたので、大島は東京へ赴くが、眼を患い1874年には帰郷する[3]。

当時唐津の教育事情は荒廃しており、青少年の将来を考えた大島は、志道小学校教師中沢見作らと協力して、余課序という学校を設立した[3][5]。大島は余課序の世話人兼生徒であった[3]。1876年に小学校教員養成のための小学校伝習所が開設され、入学した大島は優秀な成績で卒業した[3]。1877年に再び上京して三菱商業学校で学び、1881年に卒業して宮城県の石巻商業学校の教師となる[3]。

実業界へ

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1883年には唐津に帰り、父親が1873年に創設し経営不振に陥っていた水産物の集荷販売を行う魚会舎を再建に導く[2][6]。そうした中で大島は地元産業の発展のために、唐津港の整備ともに金融機関の設立を目指し、同じ志を持った唐津商人らが協同して1885年に唐津銀行が設立され、大島は頭取に就任した[2][6]。1897年には、小口預金を集める唐津貯蓄銀行の設立にも尽力した[7]。その後、唐津銀行はいくつもの地方銀行を合併して規模を拡大し、1931年佐賀中央銀行となり、大島は初代頭取に就任した[2][8]。

整備された唐津港へ石炭を運び輸出するために、鉄道敷設の機運が高まってきた1894年、唐津興業鉄道の設立が出願され、1896年に仮免状を受け[9]、大島は取締役となった[3][10]。鉄道は1899年には開通し、翌1900年には唐津鉄道と改称した[11]。しかし日清戦争後の不況で石炭需要が減少すると鉄道収入経営も悪化し、1902年に唐津鉄道は九州鉄道へ合併して解散した[11]。

1908年、唐津電灯株式会社が設立され、大島は社長となった[2][12]。1917年、西唐津に唐津電気製鋼株式会社設立、社長となった[2][13]。

晩年

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1931年に発足した佐賀中央銀行は、世界恐慌を経て戦時下に至ると経営が悪化した。経営再建につとめた大島は、配当が回復した1942年、頭取を日銀出身の佐治仲太郎に譲り引退した[2]。

没後

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大島興義と小太郎父子は、唐津市西部の邸宅に住んでいたが、小太郎の没後は変遷の末、一部のみが唐津市の資産となった[2]。邸宅は移築された後に「旧大島邸」として公開されている[4]。

佐賀県の鉄道敷設に尽力した大島ら4人のレリーフが、唐津駅北口広場にある[2]。

脚注

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  1. ↑ 日本人名大辞典+Plus, 20世紀日本人名事典,デジタル版. “大島小太郎(オオシマ コタロウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2026年9月9日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 “「去華就実」と郷土の先覚者たち 第12回 大島小太郎”. 宮島醤油株式会社. 2026年9月10日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “大島小太郎のこと”. 季刊 ポート唐津 平成元年秋号 No.8. 2026年9月9日閲覧。
  4. 1 2 3 “旧大島邸|佐賀県唐津市”. oshimatei.jp. 2026年9月10日閲覧。
  5. ↑ “唐津共立学校(余課序)と長崎県唐津傳習所(「母校百年史」より)”. 2026年9月9日閲覧。
  6. 1 2 『佐賀銀行百年史』佐賀銀行、1982年12月、56-57頁。
  7. ↑ 『佐賀銀行百年史』、89頁。
  8. ↑ 『佐賀銀行百年史』、176頁。
  9. ↑ 『日本国有鉄道百年史 第4巻』日本国有鉄道、1972年、581頁。
  10. ↑ 『佐賀銀行百年史』、73頁。
  11. 1 2 『日本国有鉄道百年史 第4巻』、582-583頁。
  12. ↑ 『佐賀銀行百年史』、77頁。
  13. ↑ 『佐賀銀行百年史』、121-122頁。

参考文献

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