人魚姫
| 人魚姫 Den lille Havfrue | ||
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Vilhelm Pedersen 画「人魚姫」 | ||
| 著者 | ハンス・クリスチャン・アンデルセン | |
| 発行日 | 1837年 | |
| ジャンル | 小説 | |
| 国 |
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人魚姫(にんぎょひめ、Den lille Havfrue)は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンによって執筆された創作童話である。1837年に『子供のための童話集』の一編としてはじめて出版されたこの童話は不滅の魂を手に入れるために海の暮らしを捨てる人魚の王女の物語を描いている。
あらすじ
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王妃を失って久しい男やもめの人魚の王は母君に6人の娘の教育を任せていた。姉妹はみな美しかったが、なかでもいちばん美しいのは深い海のように青く澄んだ目とバラ色の肌を持つ末の姫だった。末の姫はやや風変わりな思慮深い娘で、与えられた庭の花壇も姉たちのようにクジラや人魚の形にするのではなく、太陽のように丸い形に整え、太陽のように赤い花だけを植えていた。
姉妹がいっとう好んでいたのは祖母が話す人間の世界のことだった。花が香り、魚(=鳥)が囀る陸の上の話は姉妹の好奇心をくすぐり、とりわけ末の姫の憧れをかきたてた。 1歳ずつ年齢が異なる姉妹は、毎年1人ずつ海の上に行くことを許された。姉たちはそこで見た輝かしい街や燃える夕日、人間の子どもたち、どこまでものびる空、巨大な氷山にすぐさま夢中になったが、成長していくにつれてその熱は冷め、海の底のわが家をいっそう愛するようになった。5人の姉姫たちは嵐で沈みかけている船を見つけるたびに、水夫たちに海の底がどんなにすばらしいところか、恐れることは何もないと、人間にはわからない言葉で歌うのだった。
末の姫は待ちに待った15歳の誕生日に海の上に昇り、祝宴の真っ最中にある帆船を見つける。船室の窓からは美しく着飾った多くの人間が見えたが、姫の目にとまったのは、大きな黒い目を持つ16歳の王子だった。その夜、嵐で王子の船は難破し、王子も海に放り出される。人魚姫はすぐそばまで流れて来た彼にひとときの喜びを感じるが人間が水の中では生き続けられないことを思い出し、王子を一晩中海面に押し上げ続けた。朝日が出ても彼が意識を取り戻さないので温かい浜辺の方がよいだろうと考え、岸辺に王子を横たえ、自分は遠巻きにして様子を見ていたところ、近くの修道院から出てきた女性が王子に気が付き連れて行ったのでそのまま人魚姫は海の底に戻っていった。
このことをきっかけに人間に強い興味を持った彼女が祖母に人間と人魚の違いを問うと、祖母は300年生きられる人魚より人間はずっと短命だが、死ねば泡となり墓もない人魚とは違い人間は不滅の魂というものを持っていて天国に行くのだと教えた。姫が不滅の魂を手に入れるにはどうしたらいいのかと尋ねると「人間が自分の父母よりも人魚に愛を向けて結婚してくれれば可能」だが「全く異形の人間が人魚を愛することはないだろう」とほぼ不可能だと告げられる。
そこで人魚姫は蛇めいたポリプの森に住む海の魔女を訪ねて、美しい声と引き換えに人魚の尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。魔女から「王子が両親のことも忘れて姫のことだけを四六時中考えるほど愛してくれなければ、海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じるとも言われたが、それでも人魚姫の意思は変わらず薬を飲んだ。陸にあがり、人間の姿で倒れている人魚姫を見つけた王子は声をかけるが、人魚姫は声が出ない。その後、王子と一緒に宮殿で暮らすようになった人魚姫であったが、魔女に言われたとおりに歩くたびに足は激痛が走るうえ、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話せず、王子は人魚姫が命の恩人だとは気づかなかった。
それでも王子は彼女を可愛がり、歩くのが不自由な彼女のために馬に乗せてあちこちを連れて回り、また彼女と「おぼれていたところを助けてくれた人」が似ているともいうが、それは浜辺で彼を見つけ介抱してくれた修道院の女性の事で「彼女は修道女だから結婚なんてできないだろう」と王子は嘆き「僕を助けてくれた女性は修道院から出て来ないだろうし、どうしても結婚しなければならないとしたら彼女に瓜二つのお前と結婚するよ」と人魚姫に接吻をしてやった。
ところがやがて隣国の姫君との縁談が持ち上がり、その姫君こそ王子が想い続けていた女性だったことがわかる。修道院へは修道女としてではなく教養をつけるために入っていたのだという。見も知らぬ姫君を好きにはなれないと思っていたし、心に抱く想い人とは二度と会えないだろうと諦めていた王子は、予想だにしなかった想い人が縁談の相手の姫君だと知り、喜んで婚姻を受け入れて姫君をお妃に迎えるのだった。
悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れたのは姉姫たちだった。姉たちは美しい髪と引き換えに海の魔女から得たナイフを差し出し、王子の流した返り血を浴びれば人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。姫は眠っている王子にナイフを構えるが、隣で眠る姫君の名前を呟く王子の寝言を聞く。手を震わせた後ナイフを遠くの波間へ投げ捨てると、海はみるみる真っ赤に染まった。人魚姫は愛する王子を殺すことと彼の幸福を壊すことができずに死を選び、海に身を投げて泡に姿を変えた。結局は王子の愛を得られずに泡になってしまった人魚姫だったが、彼女はそのまま消えてしまったわけではなく風の精(空気の精霊)に生まれ変わり、泡の中からどんどん空に浮かび上がっていった。
どこに行くのか戸惑う彼女に精霊が話しかけ、それによると「あなたは空の娘のところに行く」、「自分たちは暑さで苦しむところに涼しい風を送ったり、花の匂いを振りまき、物をさわやかにする仕事をしている」、「自分たちも人魚と同様に魂はないが、人魚と違い人間の助けを借りずとも300年勤め続けることで魂を自力で得られる。あなたも今までの苦労でこの世界に来られた」というような答えが返ってきた。
生まれ変わった彼女は(自分の最期を知っているはずがないのに)海の泡を悲しそうに見ている王子と花嫁を見つけ、王子のお妃となった姫君の額にそっと接吻し、王子に微笑みかけたあと新しい仲間たちとともに薔薇色の雲の中を飛びながら「あと300年で天国に行けるようになるのかな」とつぶやくと先輩の精霊から補足が入った。
魂を得られるまでの期間は厳密には固定ではなく「子供のいる家で親を喜ばせて愛しみを受ける子供を見つけて私たちも微笑むと試練は1年単位で短くなり、逆に悪い子を見て悲しみの涙を流すと1日ずつ長くなるのですよ」と。太陽にむけて両手を差し伸べたとき、人魚姫の頬に最初の涙がこぼれ落ちたのだった。[1]
批評
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人魚の死と復活で締めくくられる結末は複数の議論と批判を巻き起こした。本作が子供の読者に対して、自分たちが良い行いをすれば人魚は不死の魂をより早く手に入れ、悪い行いをすればそれは遠のくと末尾のセリフで説いていることに、『メアリー・ポピンズ』の著者であり、著名な民話評論家でもあったP.L.トラヴァースは否定的な見解を示している。「子供たちが良い子にしていれば一年が差し引かれ、悪い子には人魚が涙を流し、一日が付け加えられる? アンデルセン、それは脅迫です。しかも子供たちはそれを承知の上で、何も言わない。これぞ寛大さというものです」[2][3]。
ヤコプ・ブーギルとペアニレ・ヒーゴー(1991年)は、結末において人魚姫のナラティブが悲劇から逸脱するような変化を経ることを指摘している。人魚の死に至る一連の出来事は本来悲劇でクライマックスを迎えるものだったが、ひねりの効いた急な展開によって、希望ある結末を迎えることが可能になる。ブーギルとヒーゴーは唐突な結末はアンデルセンの感傷性や宗教的信念に起因するものではいないと論じている。むしろ意図的に曖昧さを選択したことは、理想化された物質的・宗教的象徴に対するアンデルセンの懐疑的な姿勢に由来していた[4]。
一方でセーレン・バゲセン(1967年)やジェームズ・マセンゲール(1996年)などの批評家は、結末は付け足しではなく、宗教的なナラティブにおける作品構造としては自然なものであると主張している[5]。人魚姫の仮題は「空の娘たち」[2]であり、空の娘というのは300年にわたり善行を積むことで不死の魂を得る精霊である。物語の結末で、空の娘の一人が人魚姫に対して、定められた年月を終えた時に不死の魂を授かり、「人類の幸福を分かち合う」ことができるよう、可能な限り人間に善い行いをしているのだと説明する[6]。また精霊は、人魚姫が王子を殺すことを拒み、苦しみに耐えながらも人々のために善行を重ねてきたことで、「自らを精霊の世界へと高めた」ため彼女は、「空の娘たち」と共に300年にわたる善行の務めに加わることができたのだと教える。
『人魚姫』は、結婚によって魂を得る人魚の物語である『ウンディーネ』に影響を受けていたが[7]。、アンデルセンは自身の物語の結末の方がより優れていると考えていた[8]。1837年、アンデルセンは原稿を書き上げた直後、ベルンハルト・インゲマンに次のように便りを書いた。「私は、ド・ラ・モット・フケーが『ウンディーネ』で描いたように、人魚が不死の魂を得るすべを、異質な生き物、人間の愛に委ねるようなことはしなかった。それは絶対に間違っています! それはあまりにも、偶然に頼りすぎています。私はこの世でそんなことが起きることを許しません。私は私の人魚に、もっと自然で、もっと神聖な道を歩ませることにしたのです」[9][10]『ウンディーネ』を含め、本作に先行し、また影響を与えたデンマークおよびドイツの人魚文学[注釈 1]を関係づけて論じる研究は複数存在し、たとえばMonika Schmitz-Emans『Seetiefen und Seelentiefen.Literarische Spiegelungen innerer und äußerer Fremde.』、(Würzburg:Königshausen & Neumann,2003)、 小黒康正『水の女』(九州大学出版会, 2012)、Andreas Kraß『Meerjungfrauen. Geschichten einer unmöglichen Liebe』(Frankfurt am Main:Fischer, 2010)などでは、本作を人魚文学の代表的作品として論じている[11]。 先行作品には人魚が空気の精霊その他に生まれ変わる恩寵を受けるといった内容は存在せず、アンデルセンによる創作である[12]。中丸禎子は「人魚姫」の直接の前身はアンデルセンが1834年に発表した戯曲『アウネーテと人魚(Agnete og Havmanden)』であると論じている。戯曲の源流は人間の女と人魚の男の愛の終わりを扱ったデンマーク民謡『アウネーテと人魚(Agnete og Havmanden, 1300年頃)』[11]にある。
アンデルセンは、物語の意味が響くのは大人ではないかと懸念していたが、『子どものための童話集』の序文で、「しかしながら、子どももきっと楽しんでくれるだろうし、結末を素直に考えれば、子どももきっと心を掴まれるだろう」と記している[13]。
主題と解釈
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マリア・タタールは、著書"The Annotated Classic Fairy Tales"の中で、人魚が海の生き物から人間へ、さらには空気の精へと変身していく過程は、アンデルセンが一貫して抱いていた「変容」や「アイデンティティの転換」への興味を反映したものだと考察している。[14]タタールは、人魚がすべてを犠牲にしたのは、愛のためだけではなかったと指摘する。タタールはこの童話がはじめから人魚を自らの視野を広げようとする意志、未知や禁忌への強い関心、そして探究心に富んだ稀有なヒロインとして描いていると説明する。王子をひと目見るまえから、人魚は海の上の世界を訪れたいという強い憧れを示している。それは自分の花壇を赤い太陽を模した姿に整え、祖母や姉たちから海の上の話を聞き、王子の誕生日祝賀の最中の船室の窓を覗き込んだりしたことにも表れている。タタールは、人魚が何よりも望んでいるのは、世界を探検し、既知の外にあるものを発見することだと論じている。人魚の目に海の上の世界は広大で、冒険心を発揮する可能性に満ちているように映る。これは『人魚姫』のいくつかの版において、王子が人魚のために小姓の服をあつらえ、共に馬に乗って陸を探索できるようにする場面にも読み取ることが可能である。人魚が異性装に対し意欲的であることは、ジェンダーの境界を越え、リスクを冒してでも世界を見ることをいとわない姿勢を示唆している。タタールはこれがアイデンティティの変容に対するアンデルセンの関心をも反映していると考えている[15]。
バージニア・ボルヘスは『人魚姫』が愛と犠牲、そして愛の名の下に虐待や無思慮な扱いを受け入れることの危険性についてのメッセージを説いていると分析している[16]。
スーザン・ホワイトは『人魚姫』を少女が言語や男性的な社会的象徴性(権力、政治、主体性)の秩序へと移行する困難で「境界的(リミナル)」な過程として解釈している[17]。
アーティストのペン・ダルトンは、アートの分野におけるフェティシズムに関するローラ・マルヴィの解釈を援用し、『人魚姫』を服装のフェティシズムや強迫的な美容整形と結びつけながら、喪失に対する男性的な恐怖との関連性を提示している[18]。
伝記的批評としては、『人魚姫』はアンデルセンの失恋(初出は1837年だが、これ以前に少なくとも2人に失恋している[19])が原因で生まれたもので人魚はアンデルセン自身の投影であるとするのが定説である[20][21]。その他、この物語の最大の悲劇は、言葉を失った人魚姫が自らの存在の痕跡を語ることなく消えなければならない点にある、とする研究もある[22]。
リクター・ノートンとハインリヒ・デーテリングは『人魚姫』はハンス・クリスチャン・アンデルセンからイズヴァト・コリンに宛てたラブレターとして書かれたものであるという説を唱えている[23][24]。またヴィルヘルム・フォン・ローゼンは、アンデルセンがコリンに捧げた愛と自分自身を「深い分裂」と「深い統一」によって救済することが『人魚姫』の試みだったという説を論じている[25]。これらの説はアンデルセンのコリン宛ての書簡に端を発しており、アンデルセンがコリンの婚約を知った時期、また『人魚姫』の執筆期間に書かれたものである手紙には次のような記述がある。「私は、カラブリアの美しい娘を慕うかのように、あなたを恋い慕っています……あなたに対する私の想いは、女性のそれなのです。私の本質にある女性的な側面と、私たちの友情は、謎のままにしておかねばなりません。」[26]アンデルセンはイズヴァト・コリンに『人魚姫』の原文を送っている[27]。ノートンはこれをイズヴァト・コリンに対するアンデルセンの同性愛的な感情の表明と解釈し、『人魚姫』をアンデルセンの人生の寓話として捉えている[28]。
出版
[編集]1837年4月7日、コペンハーゲンのC.A. Reitzelより"Eventyr fortalte for Børn, 3"(『子どものための童話集・Ⅲ』)に収録されて出版されたのが初出。 "Eventyr"(『物語集』 1849年12月18日)、"Eventyr og Historier. Første Bind"(『童話と物語・Ⅰ』 1862年12月15日)にも収められる[29]。
後世への影響
[編集]人魚姫の像
[編集]文学
[編集]ジナイーダ・ギッピウス(1869 - 1945)の『聖なる血』(1901)は、幼いルサールカが人間のみに与えられた「不死の魂」を獲得するために受洗を希求する、という内容を持つ[30]。ギッピウスが本作を読んだという記録は残っていないが、19世紀末の時点でアンデルセンはロシアでもよく知られ、翻訳も存在した[31]。『聖なる血』は、ギッピウスによる本作の引用と再構成であるという考察がなされている[32]。
村上春樹の『国境の南、太陽の西』において、「島本さん」の脚が悪いという設定は、本作を物語のテンプレートとして使用しているとすると説明がつく(平野芳信による)[33]。
音楽
[編集]- 交響詩『人魚姫』(1903年、アレクサンダー・ツェムリンスキー作曲)
- 音楽物語『人魚』(1966年作曲、1968年改訂、鈴木静一作曲、ナレーション入りマンドリンオーケストラ)
- 『Mermaid Girl』(2010年、コナミ、beatmaniaIIDX 18 Resort Anthemの楽曲、Ryu☆作曲、ボーカルはCream puff)
- 『MerMaiD』(2010年、that作曲、作詞・ボーカルはみーちゃん)
- 『深海のリトルクライ』(2012年、sasakure.UK作曲、ボーカルは土岐麻子)
- 『マーメイドラプソディー』 (SEKAI NO OWARI 2015年、作詞:Saori、作曲:Nakajin、編曲:SEKAI NO OWARI、CHRYSANTHEMUM BRIDGE)
- 『リトル・マーメイド~the First Love~』(2016年、GLAM GRAMM@R)
- 『人魚姫』(Flower「THIS IS Flower THIS IS BEST」2016年 作詞:小竹正人,作曲:FAST LANE・ERIK LIDBOM)
- 『マーメイドシアター』(2022年、Royal Scandalのアルバム「777/Three Seven」に収録 作詞作曲:奏音69 編曲:岸利至)
絵本
[編集]- 『にんぎょひめ』(1967年、偕成社、著:曽野綾子、イラスト:いわさきちひろ)
- 『音楽絵本・にんぎょひめ』(2013年、音楽絵本出版、イラスト:酒井景都) ※iPhoneアプリケーション。
- 『にんぎょひめ プリキュアオールスターズ名作えほん3』(2014年、講談社)※テレビアニメ『ハートキャッチプリキュア!』と『ハピネスチャージプリキュア!』登場キャラで構成。人魚姫役は花咲つぼみ(キュアブロッサム)。
アニメ
[編集]- 『魔法のマコちゃん』(1971年、東映動画、テレビアニメ)
- 『アンデルセン物語』第31話~第33話(1971年、東映動画、テレビアニメ)
- 『東映まんがまつり アンデルセン童話 にんぎょ姫』(1975年、東映動画、アニメーション映画)
- 『まんが世界昔ばなし』第2話「にんぎょ姫」(1976年、ダックスインターナショナルテ、レビアニメ)
- 『リトル・マーメイド』(1989年、ディズニー、アニメーション映画)
- 『人魚姫 マリーナの冒険』(1991年、テレビアニメ)
- 『世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国』第24話「人魚姫」(1995年、東映動画、テレビアニメ)
- 『雪の女王 〜THE SNOW QUEEN〜』第24話「月夜の人魚姫」(2005年、出崎統、テレビアニメ)
- 『バブル』(2022年、WIT STUDIO、アニメーション映画)
- 『さよならララ』(2026年、キネマシトラス、テレビアニメ)
舞台
[編集]実写映画
[編集]テレビドラマ
[編集]- 『フェアリーテール・シアター』 (1987年、同タイトルで同ドラマの1エピソードとしてアメリカ合衆国で映像化・テレビ放送された。)
- 『青い海の伝説』(Legend of the Blue Sea)-ジュン・ジヒョンとイ・ミンホ主演の2016-2017年の韓国のテレビシリーズ
ライトノベル
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 中丸禎子は下半身の形状問わず水と関連する異類が登場する作品を「人魚文学」と呼んでいる。
出典
[編集]- ↑ ハンス・クリスチャン・アンデルセン作『人魚姫 (あなたの知らないアンデルセン)』長島要一訳、評論社 、2005年、ISBN 978-4566021792
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参考文献
[編集]- 中丸禎子「バレエを踊る人魚姫―「爪先立ち」があらわす異界―」『比較日本学教育研究センター研究年報』第13号、お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター、2017年3月16日、39-49頁。
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関連項目
[編集]- ルサルカ (ドヴォルザーク) - アントニン・ドヴォルザークのオペラ歌劇音楽作品。ロシアにいる水の精霊・ルサルカが人間の王子に恋し、魔法で人間になる点などストーリーに類似点あり。
外部リンク
[編集]- 『人魚のひいさま』:新字新仮名 - 青空文庫(楠山正雄訳)
- 『人魚の姫』:新字新仮名 - 青空文庫(矢崎源九郎訳)
- 『人魚姫』のための注釈 (Heidi Anne Heiner編)