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ムハンマド・デイフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムハンマド・デイフ
محمد الضيف
生誕 1965年8月12日
アラブ連合共和国の旗 アラブ連合共和国占領下、ガザ地区ハーンユニス難民キャンプ
死没 (2024-07-13) 2024年7月13日(58歳没)
ハーンユーニス
所属組織 イッズッディーン・アル=カッサーム旅団(ハマス軍事部門)
軍歴 不明-2024年
最終階級 アル=カッサーム旅団最高司令官
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ムハンマド・デイフ (アラビア語: محمد الضيف, ラテン文字転写: Mohammed DeifEn-us-Mohammed Deif from Palestinian pronunciation (Voice of America).ogg 発音[ヘルプ/ファイル]、1965年8月12日 - 2024年7月13日[1]) は、パレスチナ自治区ガザ地区に本拠を置くイスラム原理主義組織ハマースの軍事部門(イッズッディーン・アル=カッサーム旅団)の総司令官[2]。

イスラエルに対するテロ活動により、2000年にパレスチナ自治政府に拘束されたが、脱走し[3][4]、2002年にサラーフ・シェハーデ(英語版)がイスラエル軍に排除された後、代わってハマス軍事部門のトップとなった[5]。

2023年10月7日に起きたハマスによるイスラエル南部へのテロ攻撃の主謀者の一人であり、アメリカ合衆国から殺人罪等で起訴されている[6]。

アメリカから特別指定国際テロリストに指定されている[7]。欧州連合(EU)からテロリスト・リスト(英語版)に加えられている[8]。日本からも国際テロリスト等財産凍結法に基づく国際テロリストの指定を受けている[9]。国際刑事裁判所からは、人道に対する罪および戦争犯罪の容疑で逮捕状を発付されている[10]。

2024年7月13日にイスラエル空軍の空爆により排除された[11]。

本名はムハンマド・ディヤーブ・イブラーヒーム・アル=マスリー(アラビア語: محمد دياب إبراهيم المصري、文語アラビア語発音:Muḥammad Diyāb Ibrāhīm al-Miṣrī, ムハンマド・ディーヤーブ・イブラーヒーム・アル=ミスリー[注釈 1], 口語アラビア語発音:Moḥammed Diyāb Ibrāhīm al-Maṣrī, モハンメド・ディヤーブ・イブラーヒーム・アル=マスリー、英語: Mohammed Diab Ibrahim al-Masri)。報道では「モハメド・デイフ」と表記されることもある[12]。

経歴

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青年期

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ムハンマド・デイフは1948年の第1次中東戦争の後にエジプト(当時はアラブ連合共和国と呼称)占領下にて設置されたハーン・ユニス難民キャンプで1965年に誕生し、ムハンマドと名付けられた[13][14]。 ムハンマド・デイフの家族はラムレ近郊のアル・クベイバ出身だが、1948年の第一次中東戦争中にシオニストの民兵によって逃亡するか追放された[15][16]。イスラエルの情報機関であるイスラエル総保安庁(シン・ベット)によると、ムハンマドの父親か叔父のどちらかが、1950年代にパレスチナ過激派によって行われたイスラエルへの散発的な襲撃に参加していたという[17][18]。

ムハンマドの幼少期の生活や生い立ちの詳細についてはあまり知られていないが[19]、伝えられるところによれば、ムハンマドは低所得の家族を養うために学校を一時中退し、父親と一緒に室内装飾品製造業で働き、後に小さな養鶏場を始めたという[15][20]。ムハンマドはガザ・イスラーム大学で化学を勉強していたとされており[21][22]、1988年に学士号を取得して卒業した[23]。

ガザ・イスラム大学在学中、デイフは芸術にも関心を示し、大学の娯楽委員会を率いて喜劇の舞台に立っていた[24]。

ハマスの戦闘員として

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ムハンマド・デイフは、第一次インティファーダ中にハマスが設立されてから数週間後の 1987年にハマスに加わったとされる[15][22]・

1989年にテロ組織ハマースの軍事部門によるテロ活動に参加した容疑でイスラエル当局に逮捕され、16か月間の行政拘禁を受けた[25]。16か月の拘留後、捕虜交換で釈放された[26]。

釈放後すぐに、ムハンマドはハマス軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の設立に関与した[22][23]。

ムハンマド・デイフは、1993年にイスラエル軍に排除されたイマード・アクル(英語版)を司令官・師としていた[27]。アクルはハマース軍事部門の司令官であり、1990年代初頭のイスラエル兵11人、イスラエル民間人1人、パレスチナ人4人殺害の一連の攻撃への関与の疑いで、イスラエルの指名手配リスト上位にあった人物だった[28][29]。

また、1996年にイスラエルに排除されたヤフヤー・アイヤーシュ(英語版)からは爆弾製造を学んだ[30][31]。アイヤーシュ排除後、デイフがハマースの爆弾製造で中心的役割を担うようになり、イスラエルから標的にされるのを避けるために目立たないように活動するようになった[21]。

ムハンマドは1990年代から2000年代初頭にかけて、1996年のヤッファ通りのバス爆破事件(英語版)など、数多くの自爆テロの首謀者であった[32][33][34][35][36]。彼はまた、1990年代のイスラエル国防軍の兵士であったシャハル・シマニ、アリエ・フランケンタール、ナクション・ワックスマンの誘拐とその後の殺害を指揮したとされている[37]。

2000年5月にムハンマド・デイフはイスラエルの要請によりパレスチナ国家当局によって逮捕されたが[15][3]、12月に何人かの協力者の助けを得て脱獄した[4]。

ハマス軍事部門のトップ

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2002年7月、イスラエル兵・民間人に対する多数のテロ攻撃を指揮したハマス軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の最高司令官であるサラーフ・シェハーデ(英語版)が、イスラエル軍により排除された[38][39]。デイフは、その後任として旅団の最高司令官となった[40]。

2006年7月12日未明、イスラエル空軍はガザ市シェイク・ラドワン地区で、デイフらハマス軍事部門幹部が集まっていた家屋を空爆した。イスラエル軍当局者はこの空爆でデイフが負傷したと述べ、軍の報道官も負傷の程度は不明であるとしつつ、デイフが負傷したことは把握していると述べた。一方、ハマスはデイフを標的とする空爆があったことは認めたが、それによってデイフが負傷したことは否定した[41][42]。

デイフが負傷したか否か、してたとしてもどの程度の負傷なのかは情報が錯綜していてはっきりしない。AP通信系報道では、デイフは重傷を負って4時間に及ぶ脊椎手術を受け、麻痺する可能性があるとパレスチナ治安当局者が述べたと報じられていた[43]。その後、イスラエル国内ではデイフが四肢を失い車椅子生活になったとの見方も広まったが[5]、2023年12月には、国防軍がガザで入手した映像から、デイフが軽い足取りで不自由さを伴いながらも自力歩行しており、両手も使っているとみられると報じられている[44]。

いずれにしても、デイフはアル=カッサーム旅団の最高司令官の地位にとどまりつつも、深い潜伏に入った。このため、副官のアフマド・アル=ジャアバリー(英語版)が旅団の日常的な指揮・実務を担うようになった[5]。

2015年9月にアメリカ合衆国国務省は、デイフと他の 3 人のハマスの指導者を米国の特別指定国際テロリストに指定した[45]。2023年12月には欧州連合 (EU) がムハンマドを2023年のテロのブラックリストに指定した[8]。

デイフは、イッズッディーン・アル=カッサーム旅団を、即席的な小規模細胞の集まりから、イスラエル領内への侵入作戦を実行できる組織化された軍事部隊へ変化させるうえで中心的役割を果たしたとされる[32]。

また、デイフはハマースのトンネル網と爆弾製造能力を発展させた人物とされ、イスラエル領内へのロケット攻撃と、イスラエルとの国境を越えるための地下トンネル建設を軸とする戦略を推進した[46][47]。

2023年10月7日のイスラエルへのテロ攻撃

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2023年10月7日、ハマスはイスラエル南部に対する大規模テロ攻撃を開始した。攻撃開始時、デイフは録音声明を発表し、「アル=アクサー洪水」作戦の開始を宣言した。声明の中でデイフは、ハマスがイスラエルに対して5000発以上のロケット弾を発射したと主張し、エルサレムやイスラエル国内、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人、さらにレバノン、イラク、シリアな