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フランソワ1世 (ロレーヌ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランソワ1世
François I
ロレーヌ公
在位 1544年 - 1545年

出生 (1517-08-23) 1517年8月23日
ロレーヌ公国、ナンシー
死去 (1545-06-12) 1545年6月12日(27歳没)
ロレーヌ公国、ルミルモン
配偶者 クリスティーヌ・ド・ダヌマルク
子女 シャルル(カール)3世
ルネ(レナータ)
ドロテ(ドロテア)
家名 ロレーヌ家
父親 ロレーヌ公アントワーヌ
母親 ルネ・ド・ブルボン=モンパンシエ
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フランソワ1世(François I, 1517年8月23日 - 1545年6月12日)は、ロレーヌ(ロートリンゲン)公(在位:1544年 - 1545年)。アントワーヌの長男。ドイツ語名ではフランツ1世(Franz I.)。母はブルボン公シャルル3世の妹ルネ・ド・ブルボン=モンパンシエ[1]。

生涯

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1530年代中頃に一時、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘アンナと婚約していたが[2]、アンナはイングランド王ヘンリー8世の4番目の妃(英語名アン・オブ・クレーヴズ)となった。フランソワは1541年にブリュッセルで、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの王クリスチャン2世と王妃エリーサベトの娘クリスティーナ(ヘンリー8世は彼女にも求婚したことがある)と結婚した[1]。2人の間には1男2女が生まれた。

1544年に父アントワーヌの死により公位を継承したが、翌1545年に幼い子供たちを残して早世した。妃クリスティーヌが摂政となった。

脚注

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  1. 1 2 3 Carroll 2009, p. 310.
  2. ↑ Warnicke 2017, p. 34.
  3. ↑ Thomas 2010, p. 148.
  4. ↑ Sidney 2012, p. 513.

参考文献

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  • Carroll, Stuart (2009). Martyrs and Murderers: The Guise Family and the Making of Europe. Oxford University Press 
  • Sidney, Philip (2012). Kuin, Roger. ed. The Correspondence of Sir Philip Sidney. 1. Oxford University Press 
  • Thomas, Andrew L. (2010). A House Divided: Wittelsbach Confessional Court Cultures in the Holy Roman Empire, c.1550-1650. Brill 
  • Warnicke, Retha M. (2017). Elizabeth of York and Her Six Daughters-in-Law: Fashioning Tudor Queenship, 1485-1547. Palgrave Macmillan 
先代
アントワーヌ
ロレーヌ(ロートリンゲン)公
バル公
1544年 - 1545年
次代
シャルル3世