スイープトウショウ
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
| スイープトウショウ | |||||||||||||||||||||
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2005年10月9日、東京競馬場にて | |||||||||||||||||||||
| 欧字表記 | Sweep Tosho[1] | ||||||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 性別 | 牝[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 生誕 | 2001年5月9日[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 死没 | 2020年12月5日(19歳没)[3] | ||||||||||||||||||||
| 抹消日 | 2007年11月23日[4] | ||||||||||||||||||||
| 父 | エンドスウィープ[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 母 | タバサトウショウ[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 母の父 | ダンシングブレーヴ[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 生産牧場 | トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[5] | ||||||||||||||||||||
| 育成 | トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[6] | ||||||||||||||||||||
| 馬主 | トウショウ産業株式会社[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 調教師 |
渡辺栄(栗東)[2] →鶴留明雄(栗東)[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 調教助手 |
? →山田和広(鶴留)[7] | ||||||||||||||||||||
| 厩務員 |
木村久(渡辺)[8][9] →鎌田修一(鶴留)[7] | ||||||||||||||||||||
| 競走成績 | |||||||||||||||||||||
| タイトル | JRA賞最優秀4歳以上牝馬(2005年)[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 生涯成績 | 24戦8勝[1][2] | ||||||||||||||||||||
| 獲得賞金 | 7億4482万4000円[2] | ||||||||||||||||||||
| WTRR | 117L(2005年)[10] | ||||||||||||||||||||
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スイープトウショウ(欧字名:Sweep Tosho、2001年5月9日 - 2020年12月5日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
2005年にエイトクラウン以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬の宝塚記念優勝を成し遂げた。同年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬である。後述する気性から現役時はわがまま女王と呼ばれた[11]。
2004年の秋華賞、2005年のエリザベス女王杯も制してGI通算3勝を挙げた。その他の勝ち鞍に2003年のファンタジーステークス(GIII)、2004年のチューリップ賞(GIII)、2006年の京都大賞典(GII)がある。
デビュー前
[編集]誕生までの経緯
[編集]トウショウ牧場の低迷
[編集]トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[注釈 1]はフジタ工業の副社長や参議院議員を歴任した藤田正明が1965年に開いた、北海道日高地方静内町の競走馬生産牧場である[12][注釈 2]。藤田は1962年から馬主活動を行っていたが、トウショウ産業株式会社の名義でも馬主登録を行い、牧場生産馬を自ら所有して競馬場で走らせるオーナーブリーダーとなった[12]。トウショウ産業や藤田は「トウショウ」の冠名を用いていた。
1965年にはアメリカの繁殖牝馬ソシアルバターフライを牧場に導入する[12]。ソシアルバターフライは1976年の皐月賞、有馬記念を優勝した「TTG」の一角・トウショウボーイを始め、トウショウピット、ソシアルトウショウなど活躍馬を多く輩出。加えて孫以降の世代にも活躍馬が続出し、ソシアルバターフライ系と呼ばれる大牝系を構築した[12]。牧場は名声を高めるきっかけとなったトウショウボーイの種牡馬生活を後押しするために、交配相手の繁殖牝馬を外国から輸入[13]。調達した繁殖牝馬や、ソシアルバターフライ系以外の系統の繁殖牝馬に積極的にトウショウボーイをあてがっていた[13][14]。それと同時に牧場は、ソシアルバターフライ系の更なる発展を狙って、その牝系の繁殖牝馬を重用するようになる[13][15]。牧場繁殖牝馬の半数をソシアルバターフライ系にしては、好成績が期待できる大物種牡馬を優先的に割り当てていた[13]。当時の牧場には他に、シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系などの牝系が揃っていた[15]。しかしそれらの多くは、トウショウボーイ産駒の後押し、ソシアルバターフライ系の発展のために切り捨てられ、他の牧場に放出されていた[14]。
トウショウボーイとソシアルバターフライ系に重きを置く牧場だったが、そのどちらも奮わなかった[16]。ソシアルバターフライ系は次第に時代遅れの牝系となり、牧場はトウショウボーイの次になかなか出会えずに低迷していった[16][17]。トウショウボーイ産駒は、クラシック三冠馬ミスターシービーなどを出すも、活躍馬は他の牧場生産馬が中心だった。そんな中、1991年に、トウショウボーイ以来の大レース優勝を、シスタートウショウが成し遂げた。桜花賞を優勝したシスタートウショウは、牧場で唯一残されたシラオキ系繁殖牝馬コーニストウショウにトウショウボーイを配合し、産まれた牝馬だった[14]。同じ年、牧場としてはトウショウボーイ現役時を上回る最高成績を残していた[18]。その要因は、ソシアルバターフライ系以外の仔が活躍したためだった[18]。それでも牧場は、ソシアルバターフライ系の復興を願って止まずに執着し続け、併せてシラオキ系シスタートウショウからの大物誕生にもすがっていた[18]。しかし、ソシアルバターフライ系は衰退の一途を辿り、シスタートウショウの産駒も今一つ[18]。逆に放出したシラオキ系繁殖牝馬からGI優勝馬マチカネフクキタル[注釈 3][注釈 4]が誕生してしまっていた[18]。牧場は再び低迷期に突入、1980年代から1990年代前半にかけて、毎年のように重賞勝利を記録していたが、1994年からの4年間は重賞未勝利だった[17]。
そんな状況下で代替わりが発生。藤田の三男衛成が二代目オーナー、志村吉男が三代目牧場長となった[15]。衛成は低迷からの脱却を目指した。牧場の土壌や水質など環境改善に取り組み[19]、併せて繁殖牝馬を整理して血統の更新に努めた[13]。時代遅れとなったソシアルバターフライ系への偏りを解消し、シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系の軽視を見直した[19]。さらに外国から繁殖牝馬を輸入し、新しい牝系の構築を目指していた[20]。これまで好成績が期待できる大物種牡馬の相手は、おのずとソシアルバターフライ系だったが、他の牝系にもその機会が与えられるようになった[16]。
セヴァイン、チャイナトウショウ系
[編集]トウショウ牧場における牝系の一つ、チャイナトウショウ系は、二代目牧場長の成田勝四郎が新冠町の中本隆太郎から購入した牝馬の仔、チャイナトウショウ(スイープトウショウの母母母母、高祖母)に始まった[19][21]。日本では、アメリカ産牝馬セヴァインを1928年に輸入したことに始まる牝系[22]であり[23]、かつては牧場でもセヴァイン系と認識されていた[14][21]。セヴァイン系は、有力馬が現れずに衰退し、数々の枝葉が断たれたが、セヴァインの孫トミユキ(父:セントライト、スイープトウショウの六代母)だけが生き永らえていた[22]。
チャイナトウショウは、父がチャイナロックである[24]。チャイナロック産駒は、身体が大きくなり「ごつすぎる[19]」(三代目牧場長志村吉男)ことで有名だった。チャイナトウショウも例に洩れず「ひと目でチャイナロックの産駒とわかる大きな牝馬[19]」(志村)であり、牧場スタッフから導入を反対する声もあったが、藤田正明の一声で導入が決定する[19]。
未出走のまま繁殖牝馬となったチャイナトウショウは、藤田正明がフランスから導入した種牡馬ダンディルートと交配した[15][25]。1978年に産んだ牝馬マーブルトウショウ(スイープトウショウの母母母、曾祖母)は、栗東トレーニングセンターの戸山為夫厩舎のもと、1980年阪神3歳ステークス3着、1981年紅梅賞を優勝、桜花賞では3着[21]。牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)に出走し25着[15]、16戦4勝で引退した[26]。増えるソシアルバターフライ系に負けず、牧場の繁殖牝馬となった。トウショウボーイ応援という牧場の方針に則り、トウショウボーイと交配[21]。1985年に産んだ牝馬サマンサトウショウ(スイープトウショウの母母、祖母)は、栗東の渡辺栄厩舎のもと、1990年のエプソムカップ(GIII)を優勝、マイルチャンピオンシップ(GI)3着など27戦7勝だった[27]。繁殖牝馬となって1986年凱旋門賞優勝馬のダンシングブレーヴと交配、1993年に牝馬タバサトウショウ(スイープトウショウの母)が誕生する[28]。サマンサトウショウ、タバサトウショウ母娘は、いずれも『奥さまは魔女』の登場人物「サマンサ」「タバサ」母娘からの引用だった[19]。
タバサトウショウは、同じく渡辺厩舎からデビューし6戦1勝[28]。引退し、牧場で繁殖牝馬となった。初年度はフジキセキ、2年目はハウスバスターと交配し、2頭を生産する[31]。それから2000年の交配相手には、既に産駒サウスヴィグラスなどの外国産馬として活躍していた種牡馬、日本に輸入されて供用初年度のエンドスウィープ(父:フォーティナイナー)が選ばれた[13][20]。エンドスウィープは、二代目の衛成が選んだ。理由は、産駒の勝ち上がる確率[注釈 5]が高いことや「フォーティナイナーの子供たちは柔軟性があって、父親のいいところも持っているし、かなり広がりを見せてくる[20]」と考えたためだった[20]。
2001年5月9日、トウショウ牧場にて3番仔となる鹿毛の牝馬(後のスイープトウショウ)が生産される[1]。これまでチャイナトウショウ系の出世頭は、トミユキの玄孫トウショウバルカンやサマンサトウショウでGIII止まり。セヴァイン系まで広げても、トミユキの曾孫ドウカンヤシマでGIII止まり、だった[22]。しかしそんな牝系に、トウショウ牧場がダンディルートやトウショウボーイ、ダンシングブレーヴ、エンドスウィープと重ねたトミユキの昆孫が3番仔である[22]。中でも3番仔の目は、末脚の鋭さで鳴らした母父ダンシングブレーヴと同じ三白眼だった[32]。
幼駒時代
[編集]3番仔は、父エンドスウィープの一部「スイープ」と冠名の「トウショウ」を組み合わせた「スイープトウショウ」という競走馬名が与えられる[5]。
スイープトウショウは、スタッフからの評価は高く走ると期待された[33]。ただし走ることも馬房から出ることも嫌うなど、人間を拒否し続けていた