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ハリーオン系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(カネツセーキから転送)

ハリーオン系(ハリーオンけい、Hurry On line)とはサラブレッドの父系の一つ。ハリーオン(Hurry On)を系統の父祖とする。

ハリーオン系はマッチェム系の分枝である。特別にスタミナに秀でた系統として知られ、20世紀半ばに全盛期を迎え北米を除く世界各地の競馬開催国で大変に繁栄した。しかしながら1970年代中頃から競走馬の父系としては衰退。現在は南米を中心に僅かに残るのみとなっている。

概要

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代表的なステイヤー父系の祖ハリーオン

代表的なステイヤー血統

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ハリーオン系は、様々なサイアーラインの中でも際立って長距離に強い、優れたステイヤー血統の代表格である。ハリーオン系に属する競走馬は、体が大きく、やや晩熟で持久力に優れ、代々優れたステイヤーを出した[1][2][3][4]。

イギリスの最良のステイヤー血統の一つであるハリーオン系は、卓越したスタミナと晩熟さ、大きな馬体を伝え、北米を除く世界の競馬先進国で極めて大きな影響を残した。ハリーオンの産駒は、イギリス、フランス、イタリア、アルゼンチン、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカでチャンピオンサイアーになり、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカ、南アメリカの各地で父系を広げ、歴史的名馬を輩出し、種牡馬界を支配し、黄金時代を築いた[5]。

ハリーオン系とマンノウォー系

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21世紀初頭の視点にたつと、サラブレッドの三大父系のうちもっともマイナー[6] とされるゴドルフィンアラビアン系は、ほぼマンノウォー系のみによって保たれている。現存するサラブレッドについて述べる上で、「マンノウォー系」という言葉は事実上「ゴドルフィンアラビアン系(もしくはマッチェム系)」を示すに等しい。

しかし20世紀半ばの時点では、イギリス、アイルランド、フランス、イタリア、ドイツといった西ヨーロッパ、ソビエト、ドイツ民主共和国を筆頭とする共産圏のヨーロッパ諸国、南アフリカ、オセアニア、南アメリカ諸国、日本では、ゴドルフィンアラビアン系を担うサラブレッドはハリーオン系に属するものがほとんどだった。

父系の観点に限ると、ハリーオンとマンノウォーは近いとはいえない程度に異なった系統にある。ハリーオンからもマンノウォーからも5代遡るとようやく共通の祖先、ウエストオーストラリアンにたどり着くが、5代を重ねるのにどちらも60年以上を要している。しかしハリーオンとマンノウォーはほぼ同じ時期に活躍し、1926年にはハリーオンがイギリスで、マンノウォーはアメリカでチャンピオンサイアーとなった。

ハリーオン系を育てたウーラヴィントン卿

ハリーオン系の概観

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第1次世界大戦の頃のイギリスに登場したハリーオンは無敗のまま引退して種牡馬になった。産駒からは3頭の英国ダービー馬が出て、ハリーオン自身は1926年に英国のチャンピオンサイアーとなった。この頃、アメリカでは同じマッチェム系のマンノウォーが、日本でも同系のチャペルブラムプトンが種牡馬として最盛期を迎えていた。

ハリーオンの子のなかで種牡馬として最も成功したのはプレシピテーションで、英国二冠馬エアボーンをはじめ、プレモニション、シャモセールなどの英国クラシックホースを出した。これらの世代の全盛期は第二次世界大戦の時期でありシャモセールは戦火を避けてヨーク競馬場で代替開催されたセントレジャーに勝っている。これらの活躍馬やその子孫は、大戦を避けてオーストラリアやニュージーランドに渡り、そこで繁栄した。戦後、日本でも競馬が再開すると、これらのハリーオン系の種牡馬が輸入されるようになるが、その多くはオセアニアから輸入されている。

南アフリカやイタリア・ドイツで父系を広げたのはキャプテンカトル、コロナック、南米で繁栄したのがハンターズムーン、オセアニアではハンティングソング、テストケイスらが大勢力を築いた。

大戦の影響から回復し始めたヨーロッパで活躍したのがプレシピテーションの子で、イギリス生まれのシェシューンである。シェシューンはイギリス、フランス、ドイツの大レースに勝ち、種牡馬になるとフランスのチャンピオンサイアーとなった。英国三冠馬ニジンスキーを破って凱旋門賞に勝ったことで有名になったササフラが有名である。

この頃には、ハリーオン系のサイアーラインは下火になってきたが、ササフラの子がブラジルで人気種牡馬となり、1980年代から1990年代にかけて、ブラジルで多くの一流馬を出してハリーオン系が発展した。なかでもサンドピットはブラジルからアメリカへ移籍して活躍し、ジャパンカップに来日して1番人気(結果は5着)になるなど、日本でも知られている。しかし、ブラジルでのハリーオン系の代表格であるマッチベター、サンドピットのいずれも早逝し、有力な後継種牡馬を残していない。

この系統の日本での活躍馬は、京都杯など20勝をあげたヤサカ、最良スプリンターのカネツセーキ、最良スプリンターのシェスキィなどがいたが、日本国内でサイアーラインを発展させるには至っていない。

ハリーオン

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ハリーオンは第1次世界大戦中のイギリス馬である。戦争の影響で代行競走として行なわれたセントレジャーや、ジョッキークラブカップを含め、6戦全勝で引退し、種牡馬となった[7]。極めて大きな馬で、体高は17ハンド=約173センチもあった。そのほか、胸囲82 1/2インチ、管囲9 3/4インチと、雄大な馬格を有していた。こうした体格的特徴は、父系のソロンやウェストオーストラリアンにも共通する特徴だった[7][8]。

種牡馬になると、キャプテンカトル、コロナック、コールボーイの3頭の英国ダービー馬を出し、1926年にはイギリスのチャンピオンサイヤーになった。ハリーオンと同時期に種牡馬ランキングを争ったのは、ザテトラーク、ファラリス、ゲインズボロー、サンインローである[9]。ハリーオンの血統的特徴はセントサイモン系の血を全く持たない点にあり、『サラブレッドの世界』の著者サー・チャールズ・レスターは、ハリーオンを、『明らかに偉大な種牡馬[10]』で、ハイペリオン、フェアウェイ、ファロス、ネアルコに次ぐ重要な種牡馬で、ブランドフォード、ゲインズボロー、トウルビヨン、カーバインやザテトラークと同等に位置づけている[11]。産駒のうち、種牡馬として最も成功したのはアスコットゴールドカップなどに勝ったプレシピテーションだった。

ハリーオンの主要父系

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*は日本輸入馬